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[キム・ドンチュン コラム] 誰が彼等を‘怪物’に育てたか?

登録:2014-08-05 22:08 修正:2014-08-05 23:08
キム・ドンチュン聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授

 ユン一等兵事件が全国に衝撃と悲しみを与えている。 与党代表は加害者を‘殺人者’と名指しして叱り飛ばし、一部マスコミは彼の叱責を絶賛する。 殺人罪を適用し、加害者に法的最高刑の処罰を与えようという話も出ている。 しかし、私が見るには皆が本質を回避しショーをしているように見える。

 ‘殴打根絶’スローガンは、私が軍隊生活をした30年前にも常に耳にタコができるほど聞いた話で、その標語が貼り出されている内務班の脇で私は何度も殴打される屈辱を味わった。 大韓民国政府樹立から現在まで、軍隊内殴打は韓国軍でほとんど日常茶飯事だった。 もちろん過去には今回の場合とは異なり、その残酷性と野蛮性は少なかったし、時にはそばで止める古参兵もいたし、殴打の後で慰められることもあった。 しかしメカニズムは変わっていない。

 概して指揮官である将校はこのようなことが起きることを察していながらも知らぬフリをする。 彼等は「部隊がうまく運営されるために」軍規を確立しなければならないと考えるので、先任兵の逸脱行動を黙認したり、さらには励ましたりもする。 被害軍人たちは‘訴願受理’を通じてそれを告発しても同僚や古参兵に完全に除け者にされ、苦痛が更に深刻になることをよく知っているので誰にも話さない。 議論の通路が完全に詰まった閉鎖的で全体主義的な社会では、いかなる非人間的なことも何事もなかったかのように過ぎ去り、大韓民国の男たちはこのような組織で訓練受けた後に社会に出てきて、権力に順応する‘卑屈な市民’となる。

 李明博政府の‘戦闘型部隊’育成政策で、軍は完全に過去に戻った。 1950年代式反共・反北朝鮮主義の政治教育が堂々と行われ、自由な雰囲気と自己表現に馴染んだ今の青年たちには耐え難い絶対服従の規律が強要された。 競争とストレスでいじけ、共感能力が極めて弱い今の青年たちは、この閉塞した組織の中で次第に‘怪物’に変わって行った。

 理念と哲学のない軍隊、‘愛国’は単なるスローガンに過ぎず、実際には出世だけに関心がある将校が指揮する部隊で秩序を維持するためには‘暴力’以外に手段はない。 内容より形式だけが重視される軍隊、金があり力の強い人々の子弟は皆要領よく兵役を逃れてしまうような軍で、忠実に服務する理由を知らない兵士たちに暴力以外のどんな言語が受け入れられるだろうか?

 もちろん今回のユン一等兵事件に見られる加害軍人の精神疾患的行為や残虐性に対しては別途の調査が必要だ。 表面から見たところ、過去の殴打が古参兵による一方的暴力だとすれば、今回のケースは同僚の‘過度順応’による集団暴力の性格が強く、残虐行為に対して集団内の自制力と牽制力が喪失された道徳真空、あるいは解体、すなわち人間社会の基本である‘到底それはできないという心’(不忍之心)が完全に消滅した病理社会の地獄のような風景を示している。 これはかつてベトナム戦争末期に米軍が同僚に対し、また日本軍や韓国軍が民間人を虐殺する際に見せた姿と似ている。 これら全てが理念なき戦争、あるいは非人間的軍組織下で人間性を否認された兵士たちが上官に代わって弱者である同僚と民間人に復讐する行為だ。

 極度のストレスに捕われた兵士たちが弱者である下級者にうっぷん晴らしをする現実、このような組織を作ったのは彼らではないため、彼等も含めてすべてが犠牲者だ。 このような軍隊に行かなかったならば、彼らが怪物になることはなかっただろう。 事実、このような非人間性と残虐性は軍隊だけにあるのではなく、金のない弱者が生きていくすべての現場で他の方式で毎日行われている。 過去には暴力が社会の主要な規律手段だったとすれば、現在の社会はひたすら金だけが人間関係の唯一の媒体になっているという点が違う。 暴力(命令)と金はコインの両面であり、国民を精神的に導く能力のない韓国の権力者らと軍はこの二つの媒体に依存してきた。 弱者の間の残虐性はまさに強者が普段から彼らに教えたことだった。 怪物は彼らではなく、まさにこの国家と社会だ。

キム・ドンチュン聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/649919.html 韓国語原文入力:2014/08/05 18:37
訳J.S(1861字)

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