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[社説] セウォル号惨事、26才<ハンギョレ>の反省と誓い

登録:2014-05-14 21:13 修正:2014-05-15 07:33

 セウォル号とともに韓国の言論も沈没した。私たち言論機関がこれほどまで国民の不信を受け、叱責されたことがあったろうか。 セウォル号の惨事の現場で‘記ゴミ’(記者+ゴミ)と呼ばれた記者たちは喉元を引きずられ取材現場から追い出され、放送カメラは投げ飛ばされた。韓国言論の恥ずかしくみじめな肖像だ。

 自業自得だろう。正確な報道より報道機関間の速報競争の中で誤報と刺激的な報道を乱発したし、政府の責任を追及する記事はできるだけ無視した。事故当初‘生徒全員救出’という大型誤報をすることで結果的に迅速な救助をなしうる金のように貴重な時間を浪費させ、その後は刺激的な報道で遺族の胸をえぐることさえした。そのような言論機関はいっそ存在しないほうがましな凶器に違わない。

<ハンギョレ>もこのような批判と完全に無関係とは言えない。

他の言論機関に比べて政府の責任を明らかにすることにより注力し、扇情的な報道は最大限自制したと自評するものの、読者の視線がそんなに甘くないことも理解できる。他の報道機関とはっきり差別化されることもなく、国民の全面的な信頼を得ることができなかったことを謙虚に受け入れて反省したい。

 26年前の今日である1988年5月15日、ハンギョレは従来の新聞と全く違う新しい新聞を標ぼうして、国民に初心を表明した。当時権力の絶え間ない干渉や規制に順応した既成の制度言論機関は真実を伝えるより権力の片棒をかついで国民の目と耳を遠ざけた。言論に対する不信は極に達していたし、国民は自分たちの声を全てにおいて代弁する完全に新しい言論機関を望んだ。ハンギョレはそのような国民の求めに力づけられて26年前の今日この世に初めて踏み出した。

 創刊以後ハンギョレは常に韓国社会の民主化と統一、そして民生のために少なくない寄与をしてきたことをあえて自負したい。非民主的な政治権力に対する監視と批判の手綱を放さなかったし、南北和解と統一指向的な報道を続けたし、共生社会を作るための努力も続けてきた。かりに我々の社会を全て変えるには力不足だったとしても、ハンギョレは一貫した主張を絶えず出し続けることによって私たちの社会を一段階進展させるのに主要な役割を果たしてきた。保守政権の絶え間ない牽制と、保守一色の劣悪な言論界にあってもハンギョレがこのように少なくない成果をあげられたことは、じっと静かにハンギョレを信じて愛していただいた読者と国民のおかげだ。深く感謝申し上げたい。

 しかし、セウォル号の惨事を体験してハンギョレに対する国民の信頼が以前と同じではないということを痛感している。ハンギョレが従来の新聞と何が違うかと叱責する読者も少なくない。また相当数の国民がハンギョレ以外の新しいタイプのメディアにいっそうの関心を示していることは、ハンギョレとしては骨身にしみる思いだ。これは全く新しい言論機関を目指したハンギョレが、あれほど蔑視していた既存の言論機関の一部分になりつつある兆しとして見られるためだ。ハンギョレの創刊趣旨と存在意義が何なのかを振り返らせる恐ろしい警告だ。 国民のこのような警告に耳をふさいで、26年間の成果に満足していてはハンギョレの未来は決して保障されないということははっきりしている。

 これについて26才のハンギョレは国民の無限の信頼を受ける言論として生まれ変わるために新たな覚悟をしたいと思う。

 まず言論機関の基本は何より真実の報道であることをもう一度確認する。真実でない報道とは、単純に事実伝達を間違うだけでなく、我々の社会と国民を誤った方向に導く。その被害はそっくり国民に向かってしまう。

 ハンギョレは‘信頼度1位の新聞’という今までの外部評価に満足せず、真実の報道のための努力を一層強化することを目指す。創刊当時に戻って‘私たちの社会の真実を知るにはハンギョレを読むべき’という評価を受けられるよう全ての取材・編集の力をハンギョレの記事の信頼度向上に注ぎ込もうと思う。国内言論史上初めて‘誤報をした時は1面に訂正記事を掲載する’という方針も、そのための小さな踏み台だ。

 また国民と読者の中に入って、彼らと暖かみを分かちあい共感する言論機関になろうと思う。これまでハンギョレは権力と資本に対する鋭い批判など、社会正義を正すために多くの努力をしてきた。しかし冷静な考えだけに徹して、温かい心は不足していなかったか反省したい。 今回のセウォル号の惨事を報道しながら、本当に被害者たちと痛みを分かち合い、彼らが切に願うものは何なのかを先んじて思いやる報道をしたか、自問してみたい。読者と国民との共感の中で、鋭い批判と共に、暖かくて希望的なメッセージも共に報道するハンギョレになろう。

世の中の真実を入れる、オン、オフのメディア

デジタル時代のなかで急変する言論環境もハンギョレの前に置かれた重い宿題だ。今回のセウォル号惨事で、多くの読者はインターネットやモバイル等を通して事故のニュースを見て、共に悲しみ怒った。 セウォル号の惨事は新聞の時代が去り、デジタル時代が目前にあることをはっきりと示した。ハンギョレが26年前に全く新しい‘新聞’として生まれたように、今また全く新しい‘デジタル言論’として変貌することをお約束したい。

 押し寄せる海水の中で生きようともがき苦しんだ子供たちを思えば、今も胸が詰まる思いだ。わが子を心に刻み込んだ遺族と、いまだあてもなく海を見つめるだけの行方不明者の家族の心情はいかばかりだろう。むなしく亡くなった犠牲者たちと遺族と不明者家族に深い哀悼とともに慰労の言葉をおくりたい。

https://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/636970.html 韓国語原文入力:2014/05/14 18:50
訳T.W(2439字)

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