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大学授業料 15年間0ウォンから1500万ウォン… 「階層移動のハシゴ外し」

登録:2013-09-13 09:37 修正:2014-09-05 13:35
*1500万ウォン:<年間上限線9000ポンド>
天に噴き上がる英国の大学授業料
大学無償教育 1998年 廃止…政府・一部大学 意気投合 暴騰事態 招く
学費負担で昨年大学受験生 12% 減少…少数人種・低所得層 入試差別も
2011年1月29日ロンドンで学生と市民が大学授業料引き上げに抗議してデモを行っている。 英国政府が2012年秋から大学授業料上限線を一挙に既存の約3倍に上げる方案を発表したことに抗議するデモが英国全域に広がった。 ロンドン/ロイターニュース1

 英国バーミンガム大社会政策学科の最若手教授であるロス ミラーが2000年代初めに大学を卒業した時、彼の銀行残高には1万2500ポンド(2100万ウォン)の借金がたまっていた。 学部時期に授業料と生活費の一部を銀行借入で賄った結果だ。 5年前に大学に働き口を得てから彼はずっと借金を返し続けている。 政府が支援する学費融資プログラムはそれでも利率が低かった。 一ヶ月に160ポンドずつ返していけば5~6年後には元金まで全て返せそうだ。 彼は「今の大学生に比較すれば運がとても良かった」と話した。 そうだろう。 ミラー教授の学部時期の授業料は年に1000ポンド(170万ウォン)に過ぎなかった。 10年余り経った今、英国の大学新入生の授業料は8000ポンドを軽く越える。 この間英国の大学授業料が何と9倍に急騰したためだ。 物価上昇分を考慮しても苛酷な水準だ。

 1990年代と比較すれば変化はより一層劇的だ。 英国の大学教育は1997年まで無償だった。 変化は労働党政府で始まった。 1997年5月に執権したトニー・ブレア労働党政権は、1998年秋から大学が入学生に年に1000ポンドまで授業料を賦課できるよう許容した。 名分は大きく分けて2点だった。 第一は、政府の財政支出を減らそうということであり、第二は大学の収入を増やしていわゆる国際競争力を強化しようということだった。 オックスフォード、ケンブリッジなど一部名門大学が授業料制限という‘鎖’から解放されるために政府を圧迫し続けた結果であった。 もちろん反対世論も少なくなかった。 労働党の政治家であるケン リビングストンのような人は 「階級移動のためのハシゴを外してしまうこと」と強く批判した。 批判世論の中でも授業料は徐々に上がり続けた。 2009年には授業料上限線が年間3225ポンドまで引き上げられた。

 2010年11月、授業料値上げが絶頂に達した。 その年の選挙で勝利した英国の保守党-自由民主党連立政権は、衝撃的な政策を発表した。 2012年秋から英国大学の授業料上限額を既存の3290ポンドから9000ポンドに、3倍近く上げるという内容だった。 その年の初め、政府の依頼を受けた民間調査団が英国大学の授業料上限を完全になくそうという破格的な提案を出したが世論は半信半疑の雰囲気であった。 保守党と連立政権を構成した自由民主党が、その年の春の総選挙で出した代表公約中の一つが大学授業料撤廃であった。 嘘の約束で執権に成功した政党は約束を守るどころか、正反対の極に立った。

 政府が提示した授業料基準はあくまでも上限線だったが、市場では‘定価’として受けとめた。 全国で60ヶ所を超える大学が2012年秋の新入生を対象に年間9000ポンドの授業料を払わせ始めた。 英国の大学総長の集いである‘ユニバーシティーズUK’が最近出した資料を見れば、2012年全国平均大学授業料は年に8385ポンドであり、今年は平均8500ポンドを越えると見積もられた。

 急騰する授業料はもちろん批判の俎上に上がった。 2010年11月全国の街頭は学生たちの抗議デモの波で覆いつくされた。 その年の11月24日、ロンドンで起きたデモでは学生41人が連行されもした。 市民社会のこのような反発も気にかけず当時英国議会は授業料上限引上げ案を可決した。

 これほどになれば疑問が出てくるだろう。 英国の市民社会がどうしてこんな無謀で過激な政策を結局は受け入れたのだろうか。 概略2つの理由が挙げられる。 まず、政府は授業料値上げに相応する支援金や融資制度をある程度用意した。 実際、貧困層の子供の場合には授業料はもちろん生活費についても全額融資が受けられるようにした。 もちろんその金額がほとんどそっくり借金として残るが、卒業以後に年俸が2万1000ポンド(3600万ウォン)を越えるまでは借金を返さなくても良い。 もし生涯低所得層として残るならば? 借金は消える。 こういう‘朝三暮四'的政策を持って政府はこのようにもっともらしく宣伝した。 「少なくとも大学に通う間は無料で通えるので、今後はより多くの貧困層出身学生たちが大学に通うことができる。」ギャグのように聞こえるが、実際に英国の副首相であるニック クルレクが2010年(BBCに出てきて真顔でした話だった。

 第二に、英国教育分野の新自由主義的変化を望む勢力が授業料の引き上げを支持した。 当時<ファイナンシャル タイムズ>は社説を通じて「(授業料上限をなくそうとする構想は)非常に急進的であり、英国の大学教育分野に自由市場原理を適用させる革命につながる」としもろ手を挙げて歓迎した。 総合すれば、市場論者らと財政支出縮小を望む政府、そして収益増大を通じて大学財政を肥らせようとする一部名門大学が授業料引き上げという地点で意気投合した。

 2012年から大学授業料を一度に3倍にあげた政府政策は、大学への進入障壁を高めた。 去る1月BBCの報道を見れば、2011~2013年の間に大学受験者数が何と12%も減った。 2009~2011年の間に大学受験人口が16%近く増えたのと比較すると、下落傾向はより一層際立つ。 2年間で4万人を越える若者が大学への入り口で挫折したり他の選択をしたと推算された。

 授業料引き上げのために低所得層が教育から疎外されるという批判に直面して、政府は政府独立機関である‘公正な教育機会のための事務局’を設置した。 事務局のレス エプトン代表は先月「大学が収益を増やすために低所得層の学生たちの選抜を忌避している」と非難した。 彼は「大学は収益を最大化するため中産層以上の家庭の子供たちを選ぶ。 父母が金を払うから低所得層の子供たちとは違い、中産層以上の子供たちが辞退しないためだ」と主張した。

キム・ギテ英国バーミンガム大学校社会政策学博士課程

 このような差別は隠密だったが、統計さえもだませなかった。 英国Durham大学社会政策学科ビキ ポリボ博士の研究を<ガーディアン>が紹介した内容を見れば、英国の名門大学が少数人種と低所得層志願者を差別してきた情況が明らかになった。 1996~2006年の間の4万9000件の大学志願者標本を対象に実施した研究を見れば、英国の上位24大学に合格した黒人とパキスタン、バングラデシュ系学生たちは大学入学試験成績が白人学生より平均で一等級高かった。 同じ成績を得れば白人学生が合格したという意味だ。 また安い一般高等学校を卒業した学生たちは高額の私立高等学校卒業生より二等級高い成績を得て初めて名門大学に入学できたと分析された。 ポリボ博士は「大学入学は決して公正でない。 大学入学過程に対する綿密な検討が必要だ」と話した。

 2010年経済協力開発機構(OECD)が出した資料を見れば、英国は比較対象12会員国中で階級移動性が最も低い国に分類された。 ‘不平等の国’米国よりもさらに深刻だった。 英国教育界の新自由主義的な変化はこのような傾向をより一層深化させるだろう。 英国の階級社会は、富益富 貧益貧の動脈硬化に苦しめられている。

バーミンガム/キム・ギテ英国、バーミンガム大学校社会政策学博士課程 limpidkim@gmail.com

https://www.hani.co.kr/arti/international/europe/603271.html 韓国語原文入力:2013/09/13 08:31
訳J.S(3382字)

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