(私が生まれた)1973年にソ連と東欧圏、そして世界の社会主義運動史上、一つ極めて重要な事件が起こりました。それは、西側でソルジェニーツィンの『収容所群島』という大作が出刊されたことでした。たかが本一冊出版されたことを、「極めて重要な事件」と言っていいのかと聞き返す方がいらっしゃるかもしれませんが、まぎれもない事実でした。『収容所群島』は文芸の観点から見ても、そして歴史学的な観点から見ても、粗雑きわまりない作品でした。口調はほとんど悲憤慷慨に満ちた「告発」調であるだけに、極めて単純であり、また「共産主義者」たちに対する行き過ぎた黒白論理で貫かれているため、文学らしい「人間一人ひとりに対する深読み」が欠けていたように思われます。そして歴史学的には―もちろん約220人のかつての囚人たちの口述に基づいた「オーラル・ヒストリー」としての限界ですが―信憑性などほとんどなかったのです。たとえば、ソルジェニーツィンが1953年のスターリン死亡当時、政治犯たちの総数を「約千万人以上」と大まかに(?)把握していましたが、これは20倍(!)ほどの誇張でした。政治犯の一斉釈放が決まった際、共産党総書記長フルシチョフが関連機関から受け取った資料によれば、正確には収容所には467,946人の政治犯(「反動反革命犯罪者」)だけがいました。もちろん、これも今私が住んでいるオスロの人口ほどの数字ですが、中には、たとえば数万人にのぼる数字は、一時期ファシズムと手を結んだウクライナやリトアニアなどの分離独立民族主義者たちでした。彼らを一概に否定することも不適切ですが、とにかく私たちが通常思っている「政治犯」とはやや異なった歴史的行為者たちだったからです。また、ソルジェニーツィンはソ連の収容所をまるで「アウシュヴィッツと違わない所」として描いているものの、正確にいえば、ソ連の収容所における1931~1953年間平均死亡率は約2%でした。強制労働の活用は、もちろん国家的犯罪ですが、「アウシュヴィッツ」とは類型的な違いのようなものを感じませんか。
実に粗雑な本であったにもかかわらず、ソルジェニーツィンの―理念的な偏向性が甚大な―告発書は何ゆえにかくも大きな歴史的役割を果したでしょうか。理由は簡単明瞭です。この本の主な役割は「左派に打撃を与え現実社会主義からの離脱を加速化させる」ことだったため、ここでは文学的な欠点や歴史的な不正確さは問題ではありませんでした。この本の地下版を読んで体制に対する信頼を失ったソ連の知識人や、この本の影響でフランスやイタリア共産党を離党した人々は、この本の叙述が荒い点も感じたかもしれないし、数字が極めて不正確であるということも十分に気づいていたかもしれません。公式の資料ではなく、「口述」にのみ頼っていたことを最初から明らかにしたソルジェニーツィンは、正確な数字を知っていると自ら主張したこともありません。問題は、「四十万か一千万か」ではなく、四十万人であろうと何人であろうと、「自由の楽土」を目指さなければならない体制が、抑圧と大きな国家暴力を生んだという事実そのものでした。罪もなく死んだ人、罪もなく収容所に入れられた人がたとえ一人だけであったとしても、左派の立場からすれば、それは最早このような体制に対する重い懐疑につながります。左派の理想はすべての抑圧の克服であり、左派はたとえ一人の命であっても、いかなる人も歴史の目的ではなく歴史の手段として利用されてはならないという立場に立っているからです。つまり、スターリン時代の国家暴力の濫用に明白な客観的な理由(内戦と列強の干渉時期に作られた「包囲された要塞」のような革命家集団の集団心理、1920年代末の革命の保守化と、一つの反動としてのスターリンの独裁体制の強固化、戦争脅威下の超高速工業化、戦争期と冷戦初期の外部からの圧迫の実感、絶えない外部からの圧力下における「規律」の宗教化など)があったとしても、ソルジェニーツィンの本は左派の良心からは絶対に無視できない、常に心の中で反芻しなければならない、ある「問い」を投げ掛けたのです。この問いに対する「答え」の中で、左派はスターリン主義の毒を自分自身からうまく洗い落とすことができるはずでしたが、とにかく1973年に『収容所群島』が刊行されてからは、左派陣営は最早以前と同じではありえなかったのです。最早過去のような図式を盲信することはできなくなったのです。
ソルジェニーツィンの告発がソ連を含む左派の意識を揺るがし、多くの左派を画期的に変えてしまいました。ソ連では1989年まで禁書でしたが、地下版を読む人はすべて読んだと思います。その本の精神的な影響力は到底言葉では言い尽くせないほどでした。しかし考えてみれば、これはすべて私たちのそれとはあまりにもかけ離れた世界のことのようです。過去の国家暴力に対する告発が世を変える?まあ、こちらの資本主義世界では、悪魔ルシファーよりももっと邪悪な奴が私たちを統治している事実を告発・立証しても、何もまったく変わらないのです。たとえば、その儒教的な名分論からは、あるいはソ連/ロシアよりも統治者たちにもっと厳しい「倫理」を要求してきた私たちの大韓民国を見てみましょう。ここ15年間告発されてきたのは、李承晩時代の報道連盟の虐殺(犠牲者の総数は約20万人と推計、確認された死体は約5千体)、朴正煕時代の派越韓国軍の民間人虐殺と強姦などの悪質な犯罪(公式の統計では韓国軍が殺したベトナム人は、41,450人でしたし、実際に少なくとも数万人の民間人を虐殺したとみられます)、そして李承晩―朴正煕両政権時代の北派工作員による北朝鮮軍―民の無差別殺害、テロ行為(明かになった資料で確認しただけでも、少なくとも数千人の射殺者を出したとみられます)などですが、敢えて人口の割合で計算しても、少なくともスターリン時代の国家犯罪に匹敵するほどです。スターリンの犯罪がソ連で「社会主義」が遂にまともに実現しえなかったことを証明しているように、私たちが分かったことだけを見ても、大韓民国を長い間「自由民主主義」ないし人権などとは無縁の、アメリカに雇われたようなものか、積極的な支援を受けた殺人魔たちが統治しており、彼らは自国の民衆のみならず、ほかのアジアの民衆たちにも多大な被害を及ぼしたということです。この位なら、何らかの打撃を与えてしかるべきではないでしょうか。
とんでもありません。ソルジェニーツィンは旧東欧圏の知性界を揺るがしたものの、韓洪九先生や金東椿先生、『ハンギョレ21』のベトナム通信員のク・スジョン(구수정)先生などによる、韓国「虐殺史」関連の暴露は、そうでなくても大韓民国のいわゆる「名分」や「伝統性」をあまり信じない人々にのみ読まれたような気がします。大韓民国の知性界の主流は?相変らず、1960年代初頭のアメリカの支配者たちの「近代化論」、すなわち「産業化」勢力たちは過ちが(少々)あったとしても、功労も極めて多大で、後に彼らの過ちは民主化により矯正されており、一応結論的には私たちは成功したとする、そのような立場に立っているのです。朴正煕の「国家主導の資本主義」を「合理的」と一応肯定する張夏準氏は、大韓民国でいくらでも「進歩」とみなされうるのです。それに基づき、少なくとも新自由主義を糾弾しているから。朴正煕が4万人ではなく40万人のベトナム人を殺す「請負」(?)を引き受け、金儲けをしたことが突然知られるようになったとしても、果してそれに対する評価は変わるでしょうか。とんでもありません!まったく同じでしょう。そしてこれは必ずしも私たちだけの問題ではなりません。最も保守的な医療専門家たちの評価によっても、2003~2006年間だけでも、イラク侵攻の過程で601,027人のイラク人が「暴力的に殺」されたのです(http://en.wikipedia.org/wiki/Lancet_surveys_of_Iraq_War_casualties)。スターリン末期の政治犯数より大きな数字ですが、欧米圏の政治体制を「良い民主主義」、そして旧ソ連を「悪い全体主義」と捉えようとする英米圏の「主流」知識人たちの意識はその数字を知ったからといって、果して少しでも変わるでしょうか。彼らは本当にその数字が知らないため、彼らの体制を肯定しているのでしょうか。
皆さん、私たちは自らを欺くのをやめましょう。この「民主と自由の世界」の知識販売業者たちは、彼らの体制が犯した悪事について熟知しているとしても、彼らの支配者たちがヒトラーと一つも変わらないことをよく認識しているとしても、彼らの多くは、絶対反体制的な思考や実践に出ようとはしないでしょう。東欧圏の知識人やソルジェニーツィンに泣かされ憤り思想を変えたりした70年代の西欧の左派と異なり、彼らはいかなる「抑圧の克服」や「人間の完全なる自由の実践」を夢見たことがないからです。ベトナムで地元の人々を適当に殴り、お金を儲け、我が国を祖国近代化を導いたなら、それで十分でしょう、イラクでサダムなにがしが油田を国有化させ、私たちの油田への投資、油田の所有を拒んでいたが、図図しくもイラクの石油がイラクのものだと、私たちに楯突いたあのやつを除去し、石油部門を国際(すなわち、私たち)投資に露出させたなら、それのどこが問題なのか、その過程で地元の人たちが少し苦労したなら、それは地元の人たちの問題であって私たちの問題ではない―概して「国際社会」の標準的な考えはこの程度のものです。大韓民国の理念は、「民族主義」でもなければ、「自由民主主義」ではもっとありません。ほかの資本主義世界と同じように、ただ終りなき冷笑主義が私たちの真の「理念」なのです。
今日の資本主義世界ほどのシニカルな知識売買師たちを、ソルジェニーツィンもイラク侵攻の真実もイエス・キリストさえも揺るがすことはできません。人間の良心を冷凍させる彼らの冷笑主義が人民たちに与える精神的な被害は莫大なものです。おそらく私たちがみずからの肌で戦争、侵略、虐殺がなぜ悪なのかをもう一度再確認しない限り、ベトナム人の命を人間の命とも思わないこの知識業者たちの悪質さがいかなるものかは充分に理解できないでしょう。
朴露子(パク・ノジャ、Vladimir Tikhonov) ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学