イルベに対する運営禁止仮処分申請と関連した議論が熱い。 賛成する側では表現の自由にも一定の限界はなければならないとし、イルベがまき散らしている盲目的憎悪を遮断しなければならない緊急性を挙げる。 反面、慎重論を展開する人々はややもすれば表現の自由が全般的に縮小される可能性と名誉毀損の無限反復を憂慮する。 両側が共に無視できない根拠を掲げていて、とても難しい選択だ。 そんなことも無いだろうが、もしイルベ利用者がある日考えが変わって、これまでの行動を反省して、謝って、サイトを自主的に閉鎖したとしよう。 それでイルベの件は最も望ましい方式で解消された。 それで終わりなのか?
問題の核心は、誰が、どんな根拠で、どんな方式で、どの程度まで、私たちの表現の自由を制約することを許容するのかにある。 この問いはその対象が極右でも極左でもイルベでも、<今日のユーモア>でも、同じように適用されなければならない。 イルベが社会問題化する以前まで、いやイルベによって世の中が騒々しいこの瞬間にも、私たちの表現の自由がどれほど少数の人々によって、どれほど曖昧な根拠と方式で、どれほど広範囲に制約されているのか、多くの人々は感じられずにいる。
例をあげてみよう。 私たちがコンピュータや携帯電話を利用して書いて、撮って、作る全てのものは国家情報化基本法が定める‘情報’だ。 ところで、放送通信委員会の設置および運営に関する法律によれば‘一般に公開され流通する’情報は、審議と規制の対象になる。 ‘一般に公開され流通する’ものと認定されるために、どのくらい多くの人が見なければならないかは明らかでない。 3人なのか、4人なのか、千人なのか? このような曖昧性が解消されていない状態で、掲示板やSNSに書いた文は当然その対象と見なされている。 それでは、内容的にはどんな情報が問題になるのだろうか? 情報通信網利用促進および情報保護などに関する法律44条7によれば、例えば青少年保護法と国家保安法で禁止する内容は全て不法情報だ。 青少年保護法一つだけとってみても、扇情、淫乱、暴悪、射幸、反社会、非倫理、事実歪曲、不健全な内容は全て不可だ。 それでは何が‘不健全’なのか? 誰にも分からない。 現在としては少数の審議委員が不健全だと決めれば不健全なのだ。 映画に等級を付けることでもなく、私たちが作り出した文書、映像、通信のほとんど大部分がいつでも審議されえて規制されるのに、その根拠さえ曖昧な状況である。 実際、2008年通信審議2万9589件の内 1万5004件に対して是正要求(50.7%)が成り立った反面、2012年には2.5倍以上増加した7万5661件の通信審議が成り立ち、この内 7万1925件(95.1%)に対して是正要求が成り立った。 人々の間の通信が審議対象になる場合が急激に増加し、一旦審議対象になればほとんど例外なく規制を受けているという話だ。
興味深いのはイルベや最近問題になった総合編成チャンネルの5・18歴史歪曲も、青少年保護法のほとんどすべての条項にゴマ粒のように違反しているという点だ。 イルベを閉鎖したからといって終わりでない理由がここにある。 もちろんイルベのような憎悪犯罪は、最大限早期に私たちの社会に足を踏入れられなくさせる最善の方法を探さなければならない。 しかし少数の人々が大多数の国民の表現の自由を曖昧な根拠で広範囲に制約することを許容している現在のシステムを作り直す努力が必ず並行しなければならない。 これをそのままにした状態でイルベにのみ集中すれば、彼らを制裁するために私たち自らの口を塞ぐことになり、そうなれば背中で笑う人々は他にいるだろう。
チャン・トクチン ソウル大社会学科教授