詩人の言葉は迫害を受ける者たちの武器だ。貧しい者たちの癒しであり、疎外された者の友だ。言葉によって彼らは再び立ち上がり、抵抗し、前進する。その言葉の通り詩と文学は苦痛の産物で、詩人が時代の痛みに対して誰よりも敏感な理由はここにある。そのような詩人の最前列に彫られた名前の中の一つがキム・ジハだ。彼の言葉は黄土から流れる鮮烈な汗と血の緊張の中から生まれ、独裁者と反逆者の胸に向かって飛ぶ矢だった。その致命力のために彼は死刑宣告にあわねばならなかった。当事者たちはその前で静かに身震いしていた。
そのような彼の言葉は、ある日、貧しく抑えられた者たち、不正に対抗する者たちにとって恥ずかしいものになった。時代の絶望が強要した散華を死の巫祭に追い立てた。 最近では、彼自身を縛り付けたアカ、共産党などの言葉を乱発している。黄土を離れ空を駆け巡った彼の言葉がいつからか権力の力を受けて貧しい者たちの胸に向かうことになったのだ。もちろん致命力を心配する必要はない。苦痛を捨てて悲しみを忘れた言葉が力を持つことはないからだ。 権力の饒舌は単にげん惑おなり、脅迫、箱部屋、ネズミ野郎、ケツの穴、切り殺す…などの言葉は‘五賊’や‘蜚語’の言葉そのままだが、力なく目の前のドブにほうむられるのはそのような理由からだ。
彼が信仰する後天開闢(かいびゃく)と女性時代の到来、朴槿惠 大統領当選人に対する信頼などをむやみに非難することはできない。信念は信念として尊重されるべきだろう。女子性に対する判断を巡って議論はあるだろうが、是非を単純に決めることはできない。 変わり身を惜しみはするが、変節だと批判することもできない。 しかし彼の拙劣な憎しみとむやみな加害はこらえ難い。ある人は彼に安っぽい怒りはもう止めろと言ったが、最近彼が口にするむやみな怒りは安物の価値すらない。共生を口にしながら自分一人が正しいと言い張って怒り、過去の空しかった気持ちのために一生を呪う彼の言葉に一銭の価値とてあるだろうか。
彼自身も言っているように、‘五賊’以後、言葉が肉体となり力と希望になるような詩を彼は書いていない。そのため‘詩人キム・ジハ’は極めて古びれた伝説の中の名だ。だが、いくつかの詩と彼が受けた苦難は一時代のイバラの冠として私たちの記憶に刻まれている。たとえ今日の彼の言葉が恥かしい存在であったとしても、その名を簡単に消すことはできない訳はここにある。それでも今や彼は詩集の中に閉じ込めなければならないようだ。そして再び今日の痛みを表わす今日の言葉と詩人を探しに出るべきなのかも知れない。