洪水に飲まれて命を落とした人々の魂が濃い煙に乗って空へと向かう。
「天国で幸せに」。妻は、顔を赤く塗り花に包まれて横たわる夫のナワクル・シャルマさん(33)の顔をなでながら、耳元で3度ささやいた。ネパールの伝統楽器「シャンカ」の音とともに、シャルマさんの遺体は荼毘(だび)に付された。煙と白い灰が空中に広がった。天に昇れず残された灰は、火葬場の隣のバグマティ川に流された。
1日(現地時間)に大洪水発生から7日目を迎えたネパールは、命を落とした人々への哀悼と生き残った人々の喪失感が次第に深まっている。遺体の収容と身元確認の遅れにより、日を追うごとに死者数が増加しているからだ。発生当日は100人あまりと推定されていた死者数は、いつの間にか1000人近く増えている。生と死の境に立つ行方不明者の痕跡を探す家族の焦りもいっそう強まっている。
カトマンズにあるヒンドゥー教最大の聖地で、火葬場でもあるパシュパティナート寺院の職員は、「洪水による死者の遺体は日に日に増えている」と語った。シャルマさんの遺体も遅れて発見され、この日、同寺院で火葬された。土石流が襲ったその日の朝、税関職員のシャルマさんはいつものようにネパールと中国のチベットの間にあるティムレの国境検問所で貨物を検査していた。シャルマさんが発見されたのは、ティムレからトリシュリ川を100キロ近く下ったゴルカ地域だったという。シャルマさんの親戚のカディリ・ディワクさん(42)は「昨日やっとトリブバン大学病院で遺体を見つけた。まさかと思いながらずっと病院の近くにいた。それを知ってわんわん泣いた」と語った。
恐るべき洪水の猛威を前にして奇跡的に生き延びた人たちも、安堵の表情は浮かべられていない。罪の意識と喪失を語るのみだ。スバソ・カルドガさん(33)は、シャルマさんが洪水に飲まれたティムレのすぐそば、下流のルンガで救助され、トリブバン大学病院で治療を受けている。「周りにいた仲間で、生き残ったのは私を含めて2人だけです」。カルドガさんは虚空を見つめながら言った。
中国のチベットとネパールのカトマンズを行き来する貨物トラックの運転士だったカルドガさんは、その日も国境を越えていることろだった。「地震の音がして5秒もしないうちに車が激しく揺れ、あちこちにぶつかった。気がついたら車が水にぷかぷか浮かんでいた」と語った。頭、胸、腕に傷を負ったが、どうにかカルドガさんは生き延びた。仲間の40人あまりのトラック運転士は、ほとんどがこの世を去った。「仲間たちが水に飲まれていったことを考えると、とてもつらい。毎日懸命に生きている人たちで、小さな子どもたちの父親でした」。カルドガさんはさらに悲痛な表情で続けた。「子どもたちもどうなったかは分からないけど」
ドゥンゲバザールで救助されたグロカ・タバさん(50)は、肺炎の症状がみられるため病室に横たわり、自分よりも重傷を負った息子や行方不明の家族を心配していた。「息子は集中治療室にいます。頭を負傷して包帯を巻いており、胸骨が折れ、脚も切りました」。洪水に襲われたのは朝、家族が全員で農作業をしていた時だった。自身と息子以外の家族は生死すら分からない。分かっているのは洪水に飲まれたということだけだ。「嫁と妻は流されてしまいました。孫もおそらく水に流されたのでしょう。とてもつらいです」
彼らが治療を受けているトリブバン大学病院の壁には、行方不明の家族を探す多くのチラシが貼られていた。29日にこの場所でハンギョレの取材に応じ、「3歳の甥を探してほしい」と訴えていたユバラズ・ラマさん(29)も、相変わらず病院のそばにいた。表情はいっそう暗くなっていた。「ここに来続けることしかできません。待っていたら、もしかしたら(行方を)知っている人が現れるかもしれないと思って」