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関東大震災朝鮮人虐殺の3年後に起きた「木本事件」から100年

登録:2026-01-06 09:01 修正:2026-01-06 10:52
虐殺被害者の「訃報」を伝える者も見つかっていないのに… 
朝鮮人差別、現在の日本の「排外主義」につながる
3日、三重県熊野市木本町の李基允さん、裵相度さんの追悼碑の前で、裵さんの遺族が儒教式の礼をささげている=ホン・ソクジェ特派員//ハンギョレ新聞社

 「100年前、ここで私の祖父がなぜ死ななければならなかったのか、なぜそのように殺されなければならなかったのか問いたいです」

 今月3日、三重県熊野市木本町の李基允(イ・ギユン)さん、裵相度(ペ・サンド)さんの追悼碑の前で、ペ・チョリョンさんは重い表情で悲しみを抑えながらこう語った。同氏は「非常に長い歳月が過ぎてしまった事件であり、もうどうしようもない過去だと言えるかもしれないが、日本側には被害者に対して痛切に反省する気持ちを持ってほしい」と述べ、切々と口惜しさを訴えた。

 ペさんの祖父の裵相度さんは日帝強占期の1926年、山を貫いて道を通すトンネル工事現場の労働者として植民地朝鮮から木本町に渡ってきた。今からちょうど100年前の1926年1月3日、彼は同僚の朝鮮人、李基允さんと共に日本人によって残忍に殺害された。村の映画館での小さな口論が発端となり、日本人が朝鮮人を凶器で刺す事件が起きた。翌日、複数の朝鮮人労働者がこの問題を問いただすと、日本人が群れをなして朝鮮人の合宿所を襲撃。李さんを無残に殺害した。日本人の在郷軍人、消防隊、少年団などは、軍事教育用の銃剣や猟銃、日本刀、消防用の鉄の鉤(かぎ)、竹槍で無慈悲な攻撃を加えた。朝鮮人たちは命を守るために近くの山に身を隠し、工事用ダイナマイトなどを投げて抵抗した。この時、共に工事現場で働いていた一部の日本人が朝鮮人を助けたという記録がある。しかし、この過程でもう一人の朝鮮人労働者、裵相度さんが路上で残酷に殺された。殺された2人は25歳、29歳に過ぎない若者だった。当時の資料には、裵さんは鉄の鉤で刺されて死亡し、そのまま3日間路上に放置されていたことが記録されている。日本側の自警団などはそれにとどまらず、山やトンネルに避難していた朝鮮人をすべて追跡して捕らえ、彼ら全員を町から追放した。

 犠牲になった朝鮮人に対する残酷な行為は、これで終わらなかった。犠牲になった李さんと裵さんを雇っていた日本人は、近隣のある寺の無縁墓地を使い、彼らの墓碑には4文字からなる戒名が記された。「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会(木本会)」は「たいてい日本人の戒名は6文字。4文字の戒名は人には使わないもので、当時、朝鮮人を同等な人間として考えなかった」と批判した。

 この事件の歴史的真実を究明してきた在日同胞の歴史研究者、金靜美(キム・チョンミ)さんと日本人の佐藤正人さんの主導で、1989年に「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会(木本会)」が作られた。5年後、志ある市民による寄付で、木本トンネルの南側の入口の近くに、残酷な歴史を記憶するための追悼碑が建てられた。木本会の努力により、裵さんの遺族とは連絡が続いているが、李さんについては100年が過ぎても訃報を伝える人さえ見つけられずにいる。佐藤さんはこの日、「日本が朝鮮を侵略した悲劇的な歴史は、今も完全に解決されていない」として、「この100年間、私たちは何を経験してきたのか」と振り返った。この日も、追悼碑の横の案内文には「李基允氏と裵相度氏が朝鮮の故郷で生活できずに、日本に働きにこなければならなかったのも、異郷で殺されたのも、天皇(制)のもとにすすめられた日本の植民地支配とそこからつくりだされた朝鮮人差別が原因でした」という痛切な歴史が刻まれていた。残酷な歴史から100年がたったこの日、木本会は遺族と共に追悼の場を設け、「1926年1月3日に李基允さんと裵相度さんが虐殺された現場に、私たちも立ってみようと思う。その死の意味を100年が過ぎた今、考えてみようと思う」と述べた。この日も追悼式が行われた追悼碑のすぐそばで、朝鮮人労働者が手作業で山を掘って作った長さ600メートルあまりの古いトンネルを、人々が行き来していた。

 植民地朝鮮の人々に対する差別と蔑視がもとになった残酷な虐殺事件に、100年たった今、改めて注目するのは、日本社会に排外主義の嵐が吹き荒れているからだ。木本会は、李さんと裵さんに対する虐殺は、1926年にある田舎で突発的に起きた事件ではなく、この事件の3年前に起きた関東大震災の朝鮮人虐殺(1923年)と、現在の日本社会のあちこちに存在する差別問題をつなぐものだと考えている。

 実際、木本事件に先立つ1923年9月には、日本の首都圏一帯の大地震による混乱の中で、6千人あまりの朝鮮人が犠牲となった「関東大震災朝鮮人虐殺事件」が起きている。「朝鮮人が井戸に毒を入れた」、「朝鮮人が日本人の家に火をつけている」などのデマを口実に、戒厳令下で軍と警察、自警団が罪のない朝鮮人などを虐殺した。植民地朝鮮から渡ってきた人々を差別、蔑視し、命すらどうしようともかまわない存在として扱ってきたことで起きた悲劇だ。

 木本事件は、関東大震災での虐殺から3年後に関東地方以外の場所で起きたもので、朝鮮人に対する差別が発端となっている。事件当時「朝鮮人がダイナマイトを持って復讐にやって来る」、「村に火をつけようとしている」というデマが広がったことなど、同じ構造をもつ。誰も謝罪しておらず、責任を取ってもいないことも類似する。1932年に岩手県の大船渡線建設工事現場で、正当な処遇を要求していた朝鮮人労働者を日本人が襲撃し虐殺した、いわゆる「矢作事件」でも、惨状が繰り返された。金靜美さんは「木本虐殺事件だけをみても、これまで日本政府や地域の責任ある人々の誰として、被害者と遺族に謝罪や賠償をしていない」とし、「さらに大きな問題は、2026年の今、1926年と変わらず世の中には依然として数多くの『李基允さんと裵相度さん』、そして彼らの家族が存在するということ」と述べた。

 今も日本社会では、差別の歴史は完全に断絶されてはいない。昨年の参議院選挙では、右翼系の参政党が「外国人がやたらに日本に入ってくるから日本人の賃金が上がらない」と述べたり、韓国人を蔑視する用語を使ったりして露骨に差別を助長し、平凡な有権者がこのような態度に呼応して15議席を獲得した。そのうえ与党自民党をはじめとする主要政党までもが、有権者獲得を狙ってこのような雰囲気を助長している。

 とりわけ、強硬保守系の高市早苗首相が就任したことで、日本政府までもが「排外主義」的政策に積極的な態度を取っている。実際に昨年11月4日、高市首相は「外国人の受入れ・秩序ある共生社会実現に関する関係閣僚会議」で、不法滞在者ゼロ計画、外国人の在留資格審査の厳正な運用、帰化要件の厳格化などを「首相指示事項」として示した。また、外国人に対する国民健康保険料と医療費に関する制度の再点検、児童手当と就学費用の支援問題の再検討も指示した。これらの政策が適正かを点検せよというのが名目だが、事実上、日本に在留する外国人を以前より厳しく管理するということだ。高市首相は「排外主義とは一線を画している」と主張している。しかし高市首相は「一部の外国人の違法行為や逸脱に日本国民が不安と不公正を感じている」として、国家公安委員会をはじめ法務省、文部科学省、厚生労働省、国土交通省、防衛省、外務省など、事実上、全省庁レベルでの外国人管理対策の強化を指示した。

 関東大震災での朝鮮人虐殺を扱った「隠された爪痕」(1983)、「1923ジェノサイド、93年間の沈黙」(2017)などのドキュメンタリー映画を製作してきた在日同胞の呉充功(オ・チュンゴン)監督はハンギョレに、「100年前の木本事件のような悲惨な歴史を二度と繰り返さないためにも、日本の政府と社会は外国人との共生、他の文化と人権を尊重する社会のために必要なことを、より深く考えるべきだ」として、「次の100年が始まる今こそ、過去をどのように記録し記憶するかがより重要だ」と述べた。

木本(三重県)/ホン・ソクジェ特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1238195.html韓国語原文入力:2026-01-06 05:00
訳D.K
三重県熊野市木本町にある、日帝強占期に朝鮮人労働者が手作業で掘った木本トンネル=ホン・ソクジェ特派員//ハンギョレ新聞社
「三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会」が1994年に建てた李基允さん、裵相度さんの追悼碑の前で、追悼式が行われている=ホン・ソクジェ特派員//ハンギョレ新聞社

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