レバノン侵攻を開始したイスラエル軍は、ヒズボラとの最初の交戦で8人が戦死し、3台の戦車が破壊された。34日間の戦争で100人以上のイスラエル軍兵士が死亡した2006年のレバノン戦争と同様に、イスラエルが泥沼に陥る可能性があるという分析が出ている。
イスラエル国防軍(IDF)は2日、レバノン侵攻2日目に行われたヒズボラとの戦闘で、将校1人を含む8人が戦死したと発表した。イスラエル軍は、兵士7人がヒズボラのメンバーの攻撃を受けて戦死し、それ以前にレバノンに侵入していた特攻部隊の大尉も別の戦闘で戦死したと説明した。
イスラエル軍が周囲の非国家武装勢力との戦闘で、1日に8人も戦死者を出したのは異例だ。
これに先立ち、ヒズボラ側は当日朝、SNSのテレグラムへの投稿で、レバノン南部のオダイセに侵入したイスラエル兵士たちと「衝突し、彼らに打撃を与え撃退した」ことを明らかにした。
衛星放送局アルジャジーラは、イスラエル軍が最初の戦闘で戦死者を出すなど苦戦しており、地上戦での攻撃を中断して空爆に切り替えたと報じた。
イスラエル軍8人戦死の発表後、ヒズボラは「マルーン・アル・ラス村に進軍中の(イスラエル軍の)メルカバ戦車3台をロケット砲で破壊した」と発表した。ヒズボラはさらに、国境のペイク・ヒレル村の上空を飛行していたイスラエルのヘリコプターにロケット砲を発射し、「ただちに撤退させた」とも主張した。国境西側でも「ヤルン村周辺に侵入しようとしていた」イスラエル部隊も攻撃したとも述べた。
イスラエルは1日、レバノンで制限的な地上戦を始めたと発表するのに先立ち、約2週間にわたりレバノン南部など全域に2600回の高強度の空襲と爆撃を加えた。この空襲での死者だけで1000人を超え、レバノン政府は100万人が難民になったと明らかにした。イスラエル軍は絨毯(じゅうたん)爆撃を通じてヒズボラの戦闘力は大幅に低下したとみていたが、ヒズボラはまだ一定の戦闘力を維持していることを地上戦で示した。
このような状況は、2006年のイスラエルのレバノン戦争初日を思い起こさせる。当時イスラエルの戦車がレバノン国境を越えた直後、道路に設置された爆弾に接触し、4人の兵士が死亡した。イスラエルは、2006年のレバノン戦争の際にはヒズボラ粉砕を目標に掲げ、レバノンの奥深くに侵攻したが、目標を達成できず、軍を撤退させなければならなかった。この戦争の経過を調査したイスラエル政府のウィノグラード委員会は「戦略的失敗」と結論付けた。
イスラエル内外の軍事専門家は、イスラエルが先月27日にヒズボラの指導者ハッサン・ナスララ師の暗殺成功で情報能力と航空戦力の優位を示したが、地上戦が始まれば、そのような優位を失う可能性があると警告した。ヒズボラのメンバーがゲリラ戦術を活用し、慣れ親しんだ地形を利用し、望みの場所で望みの方式でイスラエル軍を苦しめることができるという警告だった。ヒズボラは初めての戦闘でこれを証明したのだ。
ヒズボラはこの日、さらにイスラエル北部に140発のロケット攻撃も加えた。約40発のロケットミサイルが正午ごろにツファット市近郊に発射され、70発はイスラエル北部のハイファ港の北にある西部ガリラヤの村に、30発は国境に接するガリラヤの北の村に落ちたと、イスラエル軍が明らかにした。イスラエル軍はロケットを迎撃したが、一部は迎撃に失敗した。
米国ワシントン・ポストは「イスラエル軍の死傷者がレバノンで続出すれば、今回の攻勢の深さと範囲に影響を与えることになりうる」として、「イスラエルにとって戦死者の発生は、2006年のレバノン侵攻の苦い記憶を想起させるだろう」と分析した。
イスラエルは今回のレバノン地上戦を、国境線から数キロ内で「制限的かつ地域化され、目標が設定された」攻撃だと規定し、国境地域でヒズボラの脅威をなくしイスラエル北部の住民の安全な帰還が目的だと明らかにしている。イスラエル軍のダニエル・ハガリ報道官は、地上戦を始めたことを明らかにした1日、「私たちはベイルートには行かない。レバノン南部の他の都市にも行かない」と述べ、国境周辺での制限戦であることを強調した。
イスラエルの安全保障担当補佐官を務めたヤーコブ・アミドロール元少将は「侵攻の深さがどの程度で、どの程度浄化されるかについては、私たちは分からない」としたうえで、「これは戦場での成果によって決まるだろう」と述べた。イスラエル軍が目標を達成できなければ、さらに深くさらに広く進攻する必要があるという意味だ。実際、イスラエル北部の国境地帯には大規模な戦車と兵力が集結し、作戦拡大に備えている。
イスラエルは、1978年のレバノンへの初めての侵攻のときから2006年のレバノン戦争まで、当初は制限戦だと主張しながらもベイルートまで侵攻する長期戦を行い、最終的には撤退した。イスラエルの1978年の侵攻と1981年のレバノン戦争は、これに抵抗するヒズボラを誕生させ、2006年の戦争はヒズボラを結果的に中東最大の非国家武装勢力に台頭させた。
今回の地上戦の目的である北部住民の安全な帰還は、最終的には政治的解決策が必要だが、イスラエルは軍事的手段だけでアプローチするという過ちを繰り返している。ベンヤミン・ネタニヤフ首相の極右内閣を支える極右勢力は、レバノン領土に恒久的な「緩衝地帯」の設置を求めている。極右のアミハイ・チクリ・ディアスポラ問題相は「敵の住民たちから自由な新たな緩衝地帯は、現在の命令であり、安全保障の観点や政治的、道徳的観点のいずれでも正当であり、最も公正なこと」だと主張した。
しかし、レバノン国境内部の緩衝地帯は、その中にいる兵力を脆弱な状態にさらし、ヒズボラにとってのプレゼントになると、リスク管理コンサルティング会社「ルベック」のマイケル・ホロウィッツ氏はワシントン・ポストで指摘した。ホロウィッツ氏は「イスラエル軍が緩衝地帯の北から銃撃を受けた場合はどうするのか」として、緩衝地帯を設定して軍が駐留すれば、逆に戦闘がさらに拡大する可能性があると指摘した。