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「韓国が同じ民族の北朝鮮と対決するために日本と協力するのは間違っている」

登録:2023-08-16 06:39 修正:2023-08-16 07:58
著書2冊が韓国語で訳された和田春樹名誉教授
和田春樹名誉教授/聯合ニュース

 「韓日の関係改善は平和のためでなければなりません。同じ民族である北朝鮮に対抗するために日本と協力するのは、韓国にとっては邪道です。(韓日)協力が意味を持つためには、北朝鮮との関係改善に向けたものでなければなりません」

 日本国内の代表的な「知韓派知識人」の和田春樹東京大学名誉教授(85)の著書2冊が今月、相次いで韓国語に翻訳された。旧ソ連の機密資料を活用し、朝鮮戦争の始まりと終わりを総合的に再構成した『韓国戦争全史(原題:朝鮮戦争全史)』(チョンア出版社)と、「敗北」で終わった日朝国交正常化交渉過程を振り返った『朝日交渉30年(原題:日朝交渉30年史)』(ソヘ文集)だ。ロシア研究者として研究活動を始め、40年間にわたり朝鮮半島を第二の研究テーマにして数多くの学問的・実践的役割を担ってきた和田名誉教授に3日、ソウル中区のあるホテルで会い、これまでの学問的道のりと今後の計画について聞いた。

 和田名誉教授が朝鮮半島と縁を結んだ直接的な契機は、8日で50年を迎えた「金大中(キム・デジュン)拉致事件」だった。この事件まで日本の市民社会は韓国に関心を示さなかった。そのような「無関心」の中で、韓国の大統領選候補だった有力な野党政治家が白昼堂々東京で拉致されるという信じられない事件が発生した。日本社会は実に大きな衝撃を受けた。

 和田教授は「日本が韓国(の現実)について目覚めたのは金大中を通じて」だと語った。拉致が行われた1973年8月8日は、ちょうど日本の革新陣営を代表する雑誌「世界」9月号が発売された日だった。同誌には安江良介編集長と金大中の対談「韓国民主化への道―朴政権の矛盾は拡大している」が掲載されていた。和田教授は「日本人はこの雑誌を読んで初めて迫害される韓国人政治家の声を聞くことができた」と話した。日本の市民社会は翌年の1974年4月、「日本の対韓国政策をただし韓国民主化闘争に連帯する日本連絡会議」を結成する。和田名誉教授は同会議の事務局長を務め、韓国の民主化運動を支援した。

 朝鮮半島を本格的な研究テーマにしたのもこのような過程を通じてだった。「数年間活動をしているうちに、韓国のことはある程度分かるようになりました。(専門がロシアなので)社会主義国家である北朝鮮についてもある程度知っていると思っていましたが、実際には全く知りませんでした。それに気づいたのが1979~1980年頃です。ロシアを研究しているから、最初はソ連の北朝鮮占領期について論文を書こうと思いました。ちょうどその頃、ソ連で占領軍関係者の回想録などの資料が発見されており、それを使って最初の論文を書き上げました。1981年のことです」

 論文を発表した直後、シカゴ大学のブルース・カミングス名誉教授の記念碑的な大作『朝鮮戦争の起源』第1巻が出た。「その本を読んで恥ずかしいと思いました。あまりにも資料のレベルの差が大きかったのです。カミングス教授は戦争の際に米国が鹵獲(ろかく)した北朝鮮の文書を使っていました。そのような資料があることを知った以上、本格的に調べるしかないと決心しました」。こうして始まった和田名誉教授の朝鮮半島研究は、金日成(キム・イルソン)主席と朝鮮戦争などに広がっていった。

日本の代表的な知韓派知識人 
『朝鮮戦争全史』と『日朝交渉30年史』が翻訳される 
金大中拉致事件で韓国に関心を持つように 
専門のロシア史から朝鮮半島研究へ 
「日朝国交正常化」などの実践的活動も 
 
「安倍流の対決路線は完全に閉ざされている… 
絶望の淵から希望を見いださなければ」

 同時に日朝国交正常化と日本軍「慰安婦」問題解決など実践的活動にも積極的に乗り出した。その始まりは、全斗煥(チョン・ドゥファン)大統領の訪日を控えた1984年7月に出した声明だった。日本の市民社会は「日本が植民地支配を通じて朝鮮民族に多大な苦痛を与えた事実を反省し、心から謝罪する」という内容を盛り込んだ国会決議を提案した。「これを機に韓国との関係を改善し、国交のない北朝鮮の門を叩いてみようとしたのです」

 ところが、日本社会の反応は冷ややかだった。石橋政嗣社会党委員長までこのような国会決議を採択することは「夢のような話」だと一蹴した。しかし、それから11年後の1995年8月、村山談話を通じて、日本社会は植民地支配と侵略に対する謝罪と反省の意を表明し、これは1998年10月の韓日パートナーシップ宣言につながる。

 だが、日本の市民社会はそこから前に進むことができなかった。和田名誉教授は『朝日交渉30年』で、戦前の日本の歴史に未練を持つ「保守勢力」と、過去の歴史を謝罪し反省しようとした「革新勢力」が、日本の真の過去事清算を意味する日朝国交正常化という決定的戦線で対立し、革新勢力が「敗北」したとみている。勝負の分け目になったのは、2002年9月に行われた小泉純一郎元首相の平壌(ピョンヤン)訪問だった。金正日(キム・ジョンイル)総書記が日本人拉致問題に対して謝罪を表明したことで、「巨大な逆風」が吹き荒れた。現在朝日関係は、北朝鮮が拉致した日本人は全員生存しているため彼らを送還してもらうべきという安倍晋三元首相の「拉致三原則(拉致問題は日本の最重要課題、拉致問題の解決なしには国交正常化はない、拉致被害者の全員生存・全員帰国)」という制約のもとで身動きが取れない状態だ。南北関係も同じだ。2019年の「朝鮮半島平和プロセス」が止まって以来、朝鮮半島の緊張は以前とは比べものにならないほど高まっている。

 和田名誉教授は、韓日関係の改善を導いた尹錫悦大統領の決断をひとまず評価した。しかし、これは北朝鮮との関係改善、すなわち平和のための協力にならなければならないと強調した。また韓米日が18日に首脳会談を開くなど関係を強化しているため、3カ国が連帯する過程で「韓国が中心に立って北朝鮮問題を今後どのように解決していくかについて話してほしい」と語った。「米国との関係を強化し軍事力を強化するのは、戦争のためではなく、戦争をしないためです。結局、北朝鮮と外交をしなければなりません。韓国が方向を示すべきです」

 ベテラン学者の執筆欲は衰えていなかった。和田名誉教授は「今後日朝関係について本をさらに2冊書くつもり」だと話した。「最初の本ではいかにして敗北したのかを書いたので、2冊目では『安倍三原則』を終わらせようと主張し、3冊目では日朝が国交を正常化すればどんな良い点があるのかについて書くつもりです。現状は絶望的ですが、安倍首相の(対決)路線も完全に閉ざされています。今のような状況は持続可能ではありません。絶望の淵から希望を見出さなければなりません」

キル・ユンヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr)
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/1104433.html韓国語原文入力:2023-08-16 02:36
訳H.J

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