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植民地朝鮮より前にアイヌがいた

登録:2022-10-17 02:55 修正:2022-10-17 08:43
[ハンギョレS]ホン・ミョンギョの異床同夢 
日本のアイヌテーマパークの悲しさ
2008年7月3日、北海道札幌で開かれた先住民族サミット「アイヌモシリ」の参加者が、伝統的な祈祷儀式であるカムイノミに参加している/EPA・聯合ニュース

 7月25日、アイヌ民族の権利回復に一生をささげた小川隆吉さんが86歳で世を去った。彼は1935年に朝鮮人の父親とアイヌの母親の間に生まれたが、強制労働をさせられていた父親は戦争が終わる前に故郷に帰ってしまった。若い頃、アイヌに対する蔑視と差別に苦しんだ彼は、次第にアイデンティティを自覚しはじめ、1995年から北海道アイヌ協会と共にアイヌコモンズ運動とアイヌ民族遺骨返還訴訟を主導した。

 19世紀後半から数十年間にわたり、日本の国立大学は血統研究との名目でアイヌの数千の墓を盗掘した。民族間の遺伝学的地図を描くのがせいぜいだったが、1930年前後のこの作業は当代の日本の支配層の帝国主義的で人種主義的な熱望とつながっていた。1980年代に至り、アイヌの活動家と被害子孫たちは盗掘作業を行った大学を相手取って訴訟を起こし、数十年にわたる訴訟の末、辛うじて100体あまりの遺骨の返還を受けた。2018年には沖縄の先住民である琉球人も、京都大学を相手取って訴訟を起こしている。京都大学内には依然として数千体にのぼる琉球・アイヌ・朝鮮人をはじめとする東アジア被植民地の民衆の遺骨が保管されているという。

帝国主義の欲望のスケープゴート「アイヌ」

 広く知られているように、アイヌ民族は非常に古くから19世紀半ばまで「アイヌモシリ」と呼んでいた日本の北部の北海道や秋田県をはじめ、ロシアのサハリンなどの大きな島々の各地に独立的な共同体を築いて暮らしていた。徹底した身分社会だった本土の幕府の支配階級には、アイヌの人々は警戒の対象外である馴染みのない人々と思われているに過ぎなかった。経済や軍事力の面では比較にならなかったが、侵略がはじまったのは明治維新(1868年)期に日本の封建社会が近代国民国家へと移行する過程においてだ。

 「近代化された文明人」を自任していた日本人たちは、警戒の対象外の社会を侵略して自らの植民地とし、これを「文明化」と美化する西洋人の欲望を積極的に受け入れた。明治維新からわずか1年後の1869年、日本政府は「人間の土地(アイヌモシリ)」を「北海道」と命名し、1871年からはアイヌ民族の宗教活動や伝統文化を禁止する政策を展開した。1899年、北海道全域を占領していた日本政府は「旧土人保護法」を制定してアイヌ民族を「外国人」ではなく「かつての先住民」と規定することにより、アイヌ民族は外国人でも国民国家の成員でもないということを公式化した。20世紀初頭を通じてアイヌの人々の強制移住が行われることで、彼らが先祖代々暮らしていた土地と秩序は否定された。日本人はアイヌ民族に強制的に借金を負わせ、返済代わりに土地を永久賃貸したり、日本語の読めないアイヌを酒に酔わせ、無理やり土地契約に署名させるというやり方で追い出したりした。1886年9月3日、現地の「函館新聞」は、適者生存の原理によると文明が発達するほど優越した種族は成功し、劣等な種族は消滅するというのが、アイヌ民族の土着民の例で明確に分かるという内容を報じた。

 日本帝国主義史の研究者であるマーク・ピーティーは、このころの日本の政策を「定着植民地の建設についての実際の経験を事前に提供した事件」と評した。北海道を占領したからこそ朝鮮、台湾、フィリピン、ミャンマーも占領できたのだ。

 日本の敗戦後もアイヌ民族の発言権は制限された。先住民としてのアイデンティティや経験は20世紀には注目されなかった。2017年の北海道庁の「アイヌ生活実態調査」の結果によると、アイヌの人口は約1万3000人で、4年前に比べて4000人減少していた。このように急減したのは、この調査が北海道に限定された調査であるうえ、アイヌ協会員が減少したからだ。保守的な日本社会でアイヌ民族のアイデンティティを明らかにすれば、あらゆる差別に耐えなければならない。国連人種差別撤廃委員会は日本政府に対して全国的な実態調査を勧告しているが、調査はただの一度も行われていない。非公式の推定値である20万人と顕著な差があるのはこのためだ。

 2007年の国連総会で「先住民族の権利に関する国連宣言」が採択された際には、日本政府も賛成票を投じた。もはやアイヌ民族の存在は否定できなくなっている。これにより2019年4月、国際的な圧力の中でアイヌ施策推進法が成立し、アイヌ民族は法によって「先住民」として認められた。植民地化150年にして、先住民としてささやかな権利が尊重される枠組みが作られたのだ。法の成立後、参議院国土交通委員会は「近代化の過程で多くのアイヌの人々が苦難を受けたという歴史的事実を厳粛に受け止める」と表明した。

 しかし依然として日本政治は、アイヌ民族の不平等に対する実質的な改善や歴史的な共有資産の認定からかけ離れている。コロナ禍の真っ最中の2020年7月、日本政府はウポポイにアイヌ民族博物館とテーマパークを開設したが、アイヌ民族の活動家たちはこの施設を共同体に対する侮蔑と受け止めている。定着民たちの植民地主義が構築した権力構造を永続化し、むしろアイヌを観光商品へと転落させる措置だからだ。実際にアイヌ民族にはこのテーマパークに対する意思決定権がなく、建設目的は東京五輪時の観光収入増大だった。

アイヌの悲劇は彼らだけのものではない

 軍部のクーデターに立ち向かったミャンマー人が出勤と登校を拒否したように、在日朝鮮人が何世代にもわたって抵抗しているように、アイヌの人々も不服従行動を繰り広げている。例えば、1980年代初めから進められていたニ風谷ダム建設事業に対して、そこに住んでいたアイヌ民族はダム建設の手続き的な問題、違法性、環境破壊、先住民差別などを不断に告発し闘った。8年にわたる訴訟の末、札幌地裁は日本の歴史上初めて、アイヌ民族の住民には彼らの文化を享受する権利があり、政府が掲げた洪水などは誇張された脅威であるとの判決を下した。

 日本のアイヌ民族抹殺と商品化政策は、彼らだけの話として片付けられるだろうか。今日、中国の新疆地域で行われている少数民族に対する大々的な弾圧、台湾先住民に対する漢族政権の無視、ロヒンギャに対するビルマ族の弾圧は、これがかなり近しいある話であることを想起させる。曽祖母の代から暮らしてきた中国の地でも、生計のためにやって来た韓国でも心安らげない朝鮮族移住民の現実も、まったく遠い話ではない。彼らに対する憎悪を正当化しておきながら、他国の植民地主義と人種主義を非難できるだろうか。ますます国境を強化する国家権力に従順になるのではなく、境界に立たされている人々を可視化し、境界人の共同体の民主主義を要求すべきなのではないか。

ホン・ミョンギョ|東アジア研究活動家。プラットフォームC活動家 。東アジアの話を書く。副題にはそれぞれの社会の違いを理解し同じ夢を目指す(異床同夢)という意味が込められている。理想を抱く東アジアの夢(理想東夢)という意味も込められている。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/international_general/1062788.html韓国語原文入力:2022-10-15 14:23
訳D.K

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