ロシア軍のウクライナ侵攻で膠着状態が続いていることで、ウクライナはロシアにとっての「第2のアフガニスタン」になる可能性があるとの見通しすら登場しはじめている。
米国のマイケル・ビッカース元国防次官は27日のCBSのインタビューで、今回の戦争を「赤軍が史上初めて敗北した」旧ソ連のアフガン侵攻に例えた。当時、中央情報局(CIA)の軍事要員として、1979年に勃発した同戦争においてアフガン抵抗勢力の支援を担当していた同氏は、経済制裁や国際的孤立などがロシアのウクライナ戦争の展望を暗くしていると語った。
ビッカース氏は、ソ連軍は1980年代にアフガンでまともに作戦を遂行できていないケースが多かったが、「現在のロシア軍よりははるかにましだった」と述べた。当時のソ連軍は戦争初期に2~3週間でアフガンのほとんどの地域を掌握したが、ロシア軍はウクライナ軍の抵抗に直面し、進軍が止まっているというわけだ。ウクライナ戦争はウラジーミル・プーチン政権の崩壊につながりうるかとの問いには「彼の22年間の統治に初めて疑問符が付いたと思う」と答えた。
ロシア駐在米国大使を務めたマイケル・マクフォール氏も、先日の「ワシントン・マンスリー」とのインタビューで「ウクライナはプーチンのアフガンだと思う」と述べた。同氏は「アフガン侵攻とソ連崩壊は密接につながっていた」とし「今回の戦争はプーチニズムの終わりの始まりだと考えている」と述べた。
二つの戦争を直接比較する見方が登場しているのは、それだけ似ている点があるからだ。ソ連は、国境を接するアフガンが西欧に接近し、米軍基地が設置されうるとの判断から戦争を開始した。ロシアは、北大西洋条約機構(NATO)への加盟計画を理由として隣国ウクライナに侵攻した。当初はまともに抵抗できていないように見られていたにもかかわらず、米国などの軍事援助を受けて頑強に抵抗していることも、アフガンとウクライナの共通点だ。両戦争ともに、米国が弱点を露呈した状況において始まっていることも似ている。米国は、ソ連のアフガン侵攻の際にはイランの米国大使館人質事件で苦境に陥っており、今回はアフガンからの無秩序な退却で打撃を受けていた。
最大の関心は「今回もロシアやプーチン政権にとって没落のきっかけとなり得るのか」に集まる。1980年代にソ連は軍備に過度な支出を行うとともに、戦争を10年も引きずったことで軍と市民の士気が落ち、その影響圏にあった国々がソ連の脆弱な実態を確認したことで、没落の道へと足を踏み入れている。
1986~89年にパキスタン駐在のCIAの作戦部長としてアフガン抵抗勢力の支援を率いたミルトン・ベアーデン氏も「フォーリン・アフェアーズ」への寄稿で、ロシアがウクライナの首都キエフ(現地読みキーウ)を占領しても、根強い武装抵抗に直面するとの見通しを示した。ベアーデン氏は、戦争開始わずか20日でロシア軍には7千人の戦死者が出ていると推定されているが、アフガン戦争ではこれほどの戦死者が出るまでに数年かかったと述べた。同氏は「プーチンのアフガニスタン」と題するこの文章で、戦況が今のように展開されれば「アフガン戦争がソ連に対してそうだったように、プーチン政権とプーチン自身の生存を脅かしうる」と主張した。また、プーチン大統領はソ連の影響圏の回復のために「歴史の逆行」に着手したものの、「(自滅の)歴史を繰り返すことになりかねない」と述べた。