ミャンマー軍部がクーデターを起こして37日目の9日、市民が街に出て1カ月が過ぎました。先月28日と今月3日、4日間で50名以上の死者が発生し、負傷者と逮捕された人は集計が難しい状況です。メディアでも犠牲者の胸の痛む話が伝えられ、悲しみを呼んでいます。
特に3日、軍警の銃で犠牲になったマンダレーの19歳のテコンドー少女のエピソードは、ミャンマー市民の公憤を呼び起こしました。デモ現場から戻ってきた彼女の冷たい遺体には、本人の血液型と犠牲になったときには遺体を寄贈するという内容の名札がついていました。彼女が着た黒いTシャツに書かれた「すべてうまくいく」(Everything will be OK)という文句は、まるで軍部に立ち向かった市民たちを慰める遺言のようなものになりました。
彼女の葬式が行われた翌日の5日午後、墓が誰かによって掘り返されました。墓が盗掘された写真が現地メディアとソーシャルメディアを通じて広まりました。市民たちは驚愕し、自然に軍部の仕業ではないかという疑いが湧きました。その後すぐ、軍服を着た人々が彼女の墓を掘り返す写真がソーシャルメディアに上がってきました。夕方、官営メディアはこれを説明するように、少女の死亡原因を調査するために裁判所から令状を取って遺体を検査し、彼女の体から出た銃弾を分析した結果、軍警が使用しているものではなかったと報道しました。先月9日、首都ネピドーで23歳の女性がデモの途中で死亡した時も、軍部は同じ内容の発表をしました。
現在、軍部は官営メディアを通じて、武力鎮圧に対する正当性を毎日のように報道しています。しかし今日も、犠牲者の死を無駄にしないために市民は街頭に出て、非暴力デモを続けています。
先月28日、死亡者が急増し、デモに参加するミャンマーの市民たちは片手には木やブリキで作った盾を、もう一方の手には国連と米国の速やかな介入を要請するプラカードを持ち始めました。国連と米国が保護責任(R2P・Responsibility to Protect)を発動して、公権力を持った軍部が平凡な市民を殺傷するミャンマーの事態に急いで介入することを要請することです。軍警の鎮圧はますます強度を増し、市民はデモ現場で命の危険を感じています。
3日、国連のクリスティーヌ・シュラネル・ブルゲナー事務総長特使(ミャンマー担当)は、武力強硬鎮圧を行なう軍部を強く批判し、国際社会の積極的な介入を強調しました。国連安全保障理事会は5日、ミャンマー事態に対する国際社会の介入について非公開常任理事国会議を開きましたが、国連の介入は依然として不透明です。国連が積極的に介入するためには、安保理常任理事国5カ国(米・英・仏・中・露)の満場一致で決議が必要なのに、中国とロシアが留保しているからです。
特に中国はミャンマーで多くの利益を得ており、ミャンマー人の怒りはますます大きくなっています。ミャンマーは中国が追求する対外政策である「一帯一路」政策で、インド洋に進出する第一関門です。言葉通り、海洋に通じる正門のようなものです。ミャンマーは鉱物資源と天然ガスの宝庫なのに、国内資本が劣悪で外国企業に資源を開発してもらい、その分の価値を交換する政策を取ってきました。中国はすでにミャンマー北西部の海上の天然ガス田から巨大な管を連結してミャンマー国土を貫通して中国に運んでおり、ミャンマー北部から出る大規模なレアアースや石炭も大量に輸入しています。
中国に対するミャンマー人の不信感は、中国が主導する東南アジアのダム建設事業にも起因しています。中国は、ミャンマーを含む大陸部の東南アジア諸国すべてを貫くメコン川の上部にダムを建設し、地域の水路を制御しようとしているという疑惑を受けてきました。これをめぐって東南アジア諸国とかなり前から争ってきました。ミャンマー最北端にあるイラワディ川のミッソンダム建設政策も、このような対立の一つです。2000年初めにミッソンダム建設の議論が始まり、ミャンマー軍部は中国から莫大な援助を受け、2005年の開発協約まで締結しました。しかし2011年の文民政権第1期の時、ミャンマー国民らの強い反発を受け、政策が暫定的に見合わせられました。2015年の文民政権第2期の時も、中国は計画の履行を要求しましたが、協議は失敗に終わりました。
1月11~12日、中国の王毅外交部長がミャンマーを公式訪問し、アウンサンスーチー国家顧問と面談した後、今回のクーデターの責任者であるミン・アウン・フライン総司令官と面談しましたが、こうした一連の事件を見守るミャンマー市民は不愉快に感じるばかりです。
今月5日の国連安保理総会が成果なく終わった後、軍部の鎮圧の水位が上がるだろうという予測どおり、軍警の武力鎮圧の水位が高まっています。昨年ユネスコ文化遺産に指定されたバガンという古代遺跡地で数十発の弾丸があちこちに飛び散り、数十人の死傷者が発生しました。最近ソーシャルメディアには、銃撃死亡事件以外に殴打による死亡事件が目立って掲載されています。軍警の残酷な暴行映像と真っ青なあざの跡が鮮明に映し出されています。
明日の生存が保障されない市民が、今日また街頭に出て「軍部に反対する」というスローガンを叫びます。彼らは非暴力を武器に、いつか国際社会の助けがくるという希望を抱き、37、8度を上回る暑さの中で自由を叫んでいます。
ヤンゴン/チョン・ギホン|ヤンゴン大学世宗学堂教授(釜山外国語大学ミャンマー語科特任教授) (お問い合わせ japan@hani.co.kr)