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香港、週末に100万人デモ…「殴るなら殴れ、民主主義を支持する」

登録:2019-08-19 08:53 修正:2019-08-19 10:05
70日目を迎えた「反中国送還デモ」ルポ

激しくあふれ出す「自由・民主主義」… 
再び「雨傘」広げた香港市民 
ビクトリア公園を埋め尽くし  
中国軍投入説にも熱気冷めず  

「度を越した警察の暴力…ラム長官出て来い」 
「軍の武力介入?結末は中国も知っている」  
「いまや真実と嘘の闘いになった」  
雨にもかかわらず、老若男女の人波で埋め尽くされ  

2014年「雨傘革命の敗北」再現を防ごうと 
11週目にもデモの勢い緩めず  
「度を越えた」過剰鎮圧も熱気に油を注いだ

今月18日午後(現地時間)、香港のビクトリア公園で中国の逃亡犯条例改正案に反対し警察の強硬鎮圧を糾弾する大規模な都心集会が開かれている。この日の集会は、香港で大規模都心デモを主導した民間人権陣線の主導で開かれた/聯合ニュース

 民間人権陣線(香港の市民社会連帯団体)が主催した週末の大規模な集会を3時間後に控えた18日午前11時、香港の都心の真ん中のビクトリア公園に急に雨が降った。公園の片隅で傘を差していたラムさん(54)は、今回の反送中(中国送還反対)集会の参加は初めてだと話した。「警察の暴力が度を越えている。この70日間、政府は市民たちの要求に全く耳を貸さなかった。どうしてこんなことができるのか?」キャリー・ラム行政長官の辞任を求めるプラカードを持つ彼の手が小刻みに震えた。

 一緒に来た妻のチェンさん(49)は「元朗事件」を知っているかと聞き返した。7月21日、地下鉄元朗駅で白いシャツ姿の男たちが帰宅途中のデモ隊を無差別に暴行した「白色テロ」は、香港社会を衝撃に陥れた。「そんなことが起ころうとは、以前は夢にも思わなかった。さらには、警察が暴力を振るった“白シャツ”たちと笑いながら話を交わす姿を見た。我慢できなかった」。夫妻は香港北部の「新界」に住んでると言った。中国深セン湾から橋を渡ればすぐに着く国境地帯にある。先週から装甲車まで動員して宣伝陣を張っている中国人民武装警察は「車で10分で香港に着く」と脅し、武力介入の緊張感を高めている。二人は「そうしようとしたならすでに来たはずだ。ただ脅そうとしているのだ。中国軍が入ってくれば香港は“終わり”だ。中国もよく知っているはずだ」とし、「200万人では十分じゃないという。私たちも力になりたくて早めに出てきた」と話した。

 香港の「反中国送還」(中国「逃亡犯条例改正案」反対)デモが11週目に入った。70日目だ。6月9日、香港市民100万人あまりが参加した中で始まった反中国送還デモがこれほど長引くとは誰にも予想できなかった。中国軍の投入が迫っているという説まで出回っているが、デモの熱気は冷める気配がない。岐路に立った反中国送還デモは、“敗北”に終わった2014年の雨傘革命を越えられるだろうか。

 集会開始が近づくにつれ、公園入り口の地下鉄天后駅周辺は膨れ上がった人波で足の踏み場すらなかった。午後3時10分頃、雨が強くなった。街路を埋め尽くした市民たちは、土砂降りの中で傘を差して「香港人、頑張ろう」と叫んでいた。顔に笑顔が広がっていた。

 集会時間を過ぎても人出はまったく減らなかった。公園周辺の銅鑼湾(コーズウェイベイ)から北角(ノースポイント)まで4つの駅ごとに黒い服の市民たちが続々と顔を出した。天后と炮台山(フォートレスヒル)駅では、抜け出ることができなかった市民たちで駅舎があふれ、無停車通過をするしかなかった。公園に集会場所を制限することは物理的に不可能だった。

 政府庁舎が集中している金鐘(アドミラルティ)と中環(セントラル)に向かって行進が始まった。途切れず続く傘の行列が巨大な水の流れのように香港の都心を流れた。早くも薄暗くなった街頭に大きな掛け声があふれた。黒いシャツを着た若者たちの背中に小さなシールが貼られている。「殴るなら殴れ、私たちは民主主義を支持する」。香港の都心のセントラルに到着したデモ隊は、日が暮れるにつれ解散しはじめた。

 民間人権陣線はこの日集会後、都心での行進を計画したが、香港警察側は「安全」を理由に行進を許可しなかった。人権陣線は「ビクトリア公園がいっぱいになれば周辺道路まで集会の許可地域を拡大すると警察側が約束した」とし、「1人でも多く参加してほしい」と訴えた。この日のデモ参加者は100万人と推算される。

 「1967年の香港暴動を知っているか?」金融業をしているというチョさん(52)はだしぬけに質問から入った。「当時、親中派の支援を受けた労働組合が全面ストライキに出た。英国植民地当局は事態を収拾するために赦免令を下した」。チョさんもこの日初めて集会に参加した。彼にも「中国軍投入説」について尋ねたところ、「怖くないわけがないだろう」と答えた。彼は「私たちが恐怖を感じるようにするのが中国の目的だ。だが、あまりにも怖いから闘うしかない。だから出てきた」と話した。2014年の雨傘革命は、中国全国人民代表大会(全人大)常務委員会が香港行政長官の間接選挙制を維持するという原則を明らかにした「8・31宣言」が口火となった。直接選挙制を含む広範囲な民主化を要求し、香港の都心を79日間占拠したが、当時デモは何の成果を出せないまま幕を下ろした。惨敗だった。その後、香港の市民社会は長い沈黙に陥った。反中国送還デモが始まる前まで、香港の市民社会の内部でさえ「犯罪者引渡し条例」を不服従運動で防げるかどうか確信できなかったのも、このためだ。

 しかし、誤った判断だった。敗北感を払拭した市民たちは100万人(6月9日)、200万人(6月18日)と街頭にあふれ出した。2014年以降、中国中央政府の香港に対する干渉と介入はさらに露骨化した。条例制定はその象徴だった。6月15日、香港政府が条例の推進中止を宣言したにもかかわらず、市民たちは条例公式撤回▽暴徒・暴動規定に対する謝罪▽キャリー・ラム行政長官の辞任などを求め、デモの勢いを緩めていない。警察の過剰鎮圧もデモの熱気に油を注ぎ続けている。大学で建築学を教えているというアデリナ・チャンさん(34)は、マカオから“遠征デモ”にきた。マカオの状況を尋ねると「静かだ。集会デモさえ許可をもらわなければならないことになった」とし、「香港もそうなってしまうのが心配で、やってきた」と、苦々しく笑った。

 チャンさんは2014年雨傘革命の時にも遠征デモにきたと話した。彼は「その時は終盤に市民の参加がぐっと減った。反中国送還デモは様相が違うようだ。2014年の経験のためだろうか。あのとき諦めた政治改革要求まで再び出ている」と話した。彼はさらに「経済的繁栄と安定感が中国政府が与える“賄賂”だ。中国本土でも、マカオでも通用した。そうやって飼いならされていくのだ。自由と民主主義のために闘う香港を尊敬する」と話した。ビクトリア公園周辺は、黒い服の波でうねりを打っていた。

香港/チョン・インファン特派員 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/china/906189.html韓国語原文入力:2019-08-18 20:48
訳C.M

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