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「平和憲法擁護者」の退位…新しい天皇は安倍の暴走を牽制するか

登録:2019-05-01 09:56 修正:2019-05-01 16:18
「支えてくれた国民に感謝」との言葉で  
明仁天皇、4月30日に退位 
「戦争体験世代」は歴史の中へ 
 
「国政禁止」の制約のなか、平和憲法に愛着 
「戦争で命を失った数知れない人々に哀悼」 
安倍の改憲推進にもさりげなく反対の意思 
 
「戦後世代」の徳仁天皇が即位 
安倍の右傾化を牽制する「防波堤」の役割は難しいとの見方優勢
明仁天皇が4月30日、東京の皇居の「松の間」で行われた退位式で、国民たちに最後のあいさつを述べている。退任式には皇太子夫妻(左)と安倍晋三首相など約300人が出席した=東京/AP・聯合ニュース

 日本の明仁天皇(86)が30日、平成30年を閉じて退位した。天皇の生前退位は、1817年光格天皇依頼202年ぶりだ。

 明仁天皇はこの日午後5時、東京の皇居「松の間」で退位の儀式「退位礼正殿の儀」を開き、皇位を手放した。行事には1日に新天皇に即位する徳仁皇太子夫妻、安倍晋三首相や閣僚、地方自治体代表など約300人が出席した。明仁天皇は「即位から30年、これまで天皇としての務めを、国民への深い信頼と敬愛をもって得たことは幸せなことだった。象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に心から感謝する」と述べた。続いて「明日から始まる新しい令和の時代が平和で実り多くあることを、皇后と共に心から願い、ここに我が国と世界の人々の安寧と幸せを祈る」と述べた。安倍晋三首相は「国民に寄り添い、被災地の住民に寄り添い励まし、明日への勇気と希望を与えてくださった」と感謝の意を表した。

 天皇はこれに先立ち、午前10時には皇室の祖神である「天照大御神」を祀る賢所で退位を知らせる儀式を行った。装束を着た天皇が賢所から出て礼を捧げる場面がNHKなどを通じて生中継された。

 雨のちらつく天気にも関わらず、多くの市民が朝から皇居前の広場で天皇の退位を祝った。神奈川県から来た65歳の女性は、天皇皇后夫妻について「国民に寄り添う姿が象徴的だった。感謝の言葉をお伝えしたい」とNHKに話した。

 明仁天皇の退位により、「戦争体験世代」が日本に歴史から「象徴的な退場」をした。明仁天皇が生まれた1933年は戦争の時代だった。生まれる2年前の帝国主義日本は満州事変を起こし、4年後には日中戦争を起こして、取り返しのつかない敗戦の泥沼にはまっていった。戦争の狂気に巻き込まれていた時期、父親の裕仁は「現人神」として君臨した。裕仁は「神聖で侵すことのできない」統治者であり、陸・海軍統帥権を握る最高司令官でもあった。

明仁天皇が4月30日、東京の皇居で皇室の祖神である「天照大御神」に退位を報告するために賢所に向かっている。彼が着用した黄色い衣装は平安時代(794~1185)から天皇が重要な儀式の際に着る「黄櫨染御袍」=東京/ロイター・聯合ニュース

 明仁天皇は1999年1月の即位10周年記者会見で、幼少期を回想しながら「私の幼い日の記憶は、3歳の時の昭和12年(1937年)に始まる。戦争は昭和20年(1945年)8月まで続いた。したがって私は戦争がない時を知らないで育った」と話した。その時皇太子だった明仁は、軍施設を見学したり、勝戦行事で日の丸を振るなど、戦意を高める象徴に利用された。そのような記憶のためか、明仁天皇は「戦争で数知れない人々の命が失われた。哀悼の気持ち切なるものがある」と述べた。

 1930年代に生まれ80代に達したこの世代は、軍隊の保持と交戦権を否定した平和憲法の「最後の守護勢力」ともいえる。2000年代に入り、イラク、アフガン戦争に自衛隊が派兵されると、危機意識を感じたこの世代は2004年、平和憲法を守るため「9条の会」を結成した。その後15年が経ち、直接戦争を経験した世代は大幅に減った。これまで積極的に護憲活動をするこの世代の人物は、ノーベル文学賞受賞者の大江健三郎(1935年生)くらいだ。

 彼らと同時代を生きた明仁天皇も、平和憲法の強い擁護者だった。彼は「天皇は国政に関与してはならない」という制約の中でも、時おり平和憲法に愛着を示した。2013年12月、「平和と民主主義を守るべき大切なものとして日本国憲法を作り、様々な改革を行って今日の日本を築いた」と述べた。安倍晋三首相が「畢生の課業」として推進する改憲に対し、さりげなく反対の意思を示したものだ。

 敗戦後、新しい憲法の下で天皇は「統治者」から「国民の象徴」へと地位が変わった。1989年1月、皇位を継いだ明仁は翌年「日本国の統合の象徴として現代の時期に合う天皇の務めを遂行したい」と述べた。彼が見出した象徴天皇の姿は、災害現場で被害者たちの前でひざまずき、太平洋戦争の激戦地で亡くなった人々を追悼する生き方だった。1975年7月、皇太子時代に初めて訪問した沖縄で、ある市民が火炎瓶を投げたときには「気にしない」と言った。

徳仁新天皇=東京/聯合ニュース

 新たに即位する徳仁は1960年生まれだ。同じ戦後世代である安倍首相より6歳若い。彼も敗戦70周年を迎えた2015年、「戦争の記憶が薄れようとしている今日、謙虚に過去を振り返ることが大切だ」という見解を明らかにしている。しかし、政治性向や憲法観はほとんど知られていない。2月の記者会見でも皇位継承の感想を問う質問に「国民と苦楽を共にし、象徴(天皇)とはどのような姿であるべきか考え続ける」と述べるにとどめた。新しい天皇が父のように安倍首相の暴走を牽制する「見えない防波堤」になるのは難しいという見方が優勢だ。

東京/チョ・ギウォン特派員、キル・ユンヒョン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/international/japan/892160.html韓国語原文入力:2019-04-30 20:03
訳M.C

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