始まりはとても小さな事件だった。 1977年米国、バージニア州に移民してきたピーター キム(55)氏は、2012年2月小学校に通う息子と話をして衝撃を受けた。 ‘東海’をどのように呼ぶのかと尋ねたところ‘Sea of Japan’(日本海)と答えたためだ。 そうではないといったところ、息子は学校でそう習ったのに、どうしろと言うのかと抗弁した。 キム氏は子供たちがこのように誤った教育を受けてはならないという思いで教科書の地名表記を変えなければならないと決心した。
公立教科書に東海と日本海を併記するようにしようという内容の‘東海併記’法案はすでに以前に他の人が試みたことがある。 民主党デイブ マースデン州上院議員が選挙区のある在米同胞の要請により2011年この法案を発議した。 しかし2012年1月常任委で否決されるなど遅々として進まなかった。
キム氏は当初はベトナム系の友人の助言によりホワイトハウスへの請願運動を始めた。 2度も請願したが、連邦政府は教科書を変える事には関与できないという返事が帰ってきただけだった。 彼はもっと組織的な運動が必要だと判断して、周辺の人々をかき集めた。 志を同じくする人が15人ほどになった。 全員がビル清掃業、洗濯業、食品店などに従事する平凡な人々だった。 彼は家族が営む法律会社で顧客管理の仕事を担当していた。 そのようにして作られた団体が今回の法案通過を主導した‘アメリカ韓国人の声’という社団法人だ。
この団体は2013年1月に公式スタートして、州上院40人、下院100人の議員ファイルを作り指向分析作業を行った。 他方では各種資料を探して東海併記の妥当性を知らせるパワーポイント資料も作った。 ここには東海という名前の歴史性と韓国・日本政府の公式見解、両国が地名に合意できなければ併記を勧告した国際水路機構(IHO)決議などが入れられた。 そして、個別に電話したりEメールを送り、行事を尋ね歩いて後援支援金も出した。 底引き網式説得作業を展開したのだ。 その年の11月、バージニア州議会で民主・共和両党が東海併記法案を超党派的に推進することを決めたのは、このような努力の結果であった。
しかし昨年12月、駐米日本大使館がこのことに介入すると状況が尋常でなくなった。 日本大使館は大型ローファームをロビー団体として雇用して、佐々江賢一郎大使が直接乗り出し州知事と州議会指導者に面談し、法案の否決を要請した。
ピーター キム会長は 「日本がこのように乗り出したのは、バージニア州の教科書が変われば南部7州はもちろん、他の州も大きな影響を受けると憂慮したため」と話した。 日本のこういう執拗なロビーのせいなのか、今年1月に州上院で圧倒的に通過した法案が、下院小委員会1次表決では4対4の状況が演出されもした。 州知事も揺れ動いているようだった。
再び在米同胞たちの反撃が始まった。 在米同胞たちは共和党指導部を訪問し、昨年末の州知事と検察総長選挙の時、民主党に薄氷の票差で敗北した事実を取り上げて韓国人有権者を無視してはならないと圧迫した。 共和党側は協力の意向を明らかにした。 共和党所属の下院議長と党代表がこの法案の共同発議者として参加した。
駐米韓国大使館にも協力を要請した。 その間には韓-日間対決として見えるようになれば、議員が簡単には出て来ない現実を考慮して、徹底してバージニア州の教育イシューとしてアプローチしたが、日本側が露骨に出てくるようになり、その後は仕方がなかった。 アン・ホヨン駐米大使が州知事と議会指導部に会ったのは、このような背景からだった。 結局、下院議員100人中20人が共同発議者として立って大勢が固まった。
ワシントン外交消息筋は、今回の法案通過と関連して「(韓国人)同胞社会の力を見せたこと」としながら「米国連邦政府は単一地名原則を守っているが、これが底辺から崩れている」と話した。
リッチモンド(バージニア州)/パク・ヒョン特派員 hyun21@hani.co.kr