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[インタビュー] 「北韓のやり方 ‘挑発-補償’サイクルと診断するのは間違い」

登録:2014-01-20 00:49 修正:2014-09-05 18:02
ロバート・カーリン 米国スタンフォード大国際安保協力センター客員研究員
北‘挑発’大慨は約束履行 圧迫戦術
米 重油提供遅滞の時 核凍結も遅延
北挑発サイクル論では韓・米責任 脱却
北、ジュネーブ合意 隙間活用 HEU追求
それでも慎重に交渉推進しなければならない
しかしブッシュ政府は‘処罰’のみに集中
最近『二つのコリア』増補版出版
‘対北韓交渉時間 浪費’幻想つぶしに注力
南北関係に‘待ちの戦略’は間違い
写真 スタンフォード大国際安保協力センター

 韓国と米国政府は対北韓交渉無用論の主な根拠として、いわゆる北韓の‘挑発-交渉-補償サイクル’を掲げている。 北韓が核とミサイル挑発で韓・米政府を交渉の場に引き出して補償を受け取り、合意については履行しないということだ。 しかし、米国行政府で約32年間にわたり韓半島問題を扱ってきたロバート・カーリン米国スタンフォード大国際安保協力センター客員研究員は歴史を顧みれば、これは事実に反する主張だと話す。

 カーリンはハーバード大で東アジア学を専攻した後、1971年中央情報局(CIA)に入り1974年から北韓を担当した。 1989年国務部へ席を移し、2002年まで情報調査局東北アジア責任者を務めた。 続いて2006年まで韓半島エネルギー開発機構(KEDO)主席政策諮問官として仕事をした。 カーリンとのインタビューは先月中旬<二つのコリア>増補版出版を契機に3回のEメール インタビューで進行された。

-あなたは<二つのコリア>で北韓-米国関係を説明し、北韓の‘挑発-補償サイクル’と診断するのは誤りだと指摘した。 その理由は何か?

"私たちはいわゆる‘サイクル’が北韓の重要政策を説明するように執着しているが、事実はこれは一連の事件を作った責任から我々を抜け出させる。 我々(韓・米)は事件の大きな部分を占めているという点を忘却しているようだ。 例えば、北韓の何らかの行動(‘挑発’)は実際に韓・米が交渉履行を遅滞する時に圧力を加えるための戦術的動きだ。 いつだったか北韓外交官は自分たちも絶壁まで行くことは好きでないと話した。けれども時々、韓・米が状況を放置するよりは真剣に受け止めて事態の解決に焦点を合わせるようにさせるために、そうしなければならないということを感じると話した。 北韓のすべての行動がこのような形で説明されると言うつもりは内。 私は依然として2010年延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件の動機が何かを理解できない。ある意味、問題を北韓サイクルよりは両者が互いに状況を悪化させることに滋養分を提供する悪循環と見る方がより適当かもしれない。 私は南側と北側の強硬派が非常に奇異な方式で最高の友人になったとたびたび考えてきた。"

-そのような事例を挙げられるか?

"(1994年10月)ジュネーブ合意履行期間に、北韓は寧辺(ヨンビョン)の使用済み燃料棒の封印を遅延・中断したり関連米国専門家たちのビザ承認を遅延させたりした。 ところが、これは単純に問題を起こそうとしたわけではなく、重油提供遅延など米国の義務履行が遅滞したためだった。 北韓側のこのような行動は後になって見れば、別に重要ではないと見られかちだが、事件当時にはその重要性が拡大され、挑発的だとか不正直な事例というレッテルが貼られることになった。"

-韓・米政府は対北韓交渉無用論の主な事例としてジュネーブ合意の失敗を挙げる。 これに対してどう思うか?

"ジュネーブ合意は文書上に出てくる単語よりはるかに多くのものを意味していた。 この傘の下で北韓と広範囲な会議と活動が始まった。 ミサイルを含む多様な重要懸案を議論した。 米国はジュネーブ合意を主に非拡散協定として眺める傾向があったが、私はもう少し広範囲な重要性を持っていると見た。 北韓にとって、これは中国・ロシアの影響力に対する防御策として米国との関係を改善するという金日成の戦略的決定を実行する方策だった。 それは重油や軽水炉獲得に対するものでなく、米国との関係正常化を成就することに関連したことだった。 北韓はジュネーブ合意のもう少し広範囲な政治的意味に重要性を置かなかった米国より、ジュネーブ合意にさらに忠実だった。

 そのような理由でジュネーブ合意を初期4~5年持続させるのは挑戦だった。 1998年北韓がロケット発射を行い金倉里(クムチャンリ)騒動が起きた頃、ジュネーブ合意が揺れた。 しかしクリントン行政府はこれを廃棄せずフェリープロセス(Perry Process)で再評価した。 任期末の18ヶ月間、クリントン行政府はジュネーブ合意をより一層強い土台の上に立て直そうと多くの時間と努力を投資した。 2000年10月、北韓-米国共同コミュニケはそのような新しい地平を象徴した。

 ジュネーブ合意が "失敗した" という考えは、ブッシュ行政府が高濃縮ウラニウム問題をどのように扱うのか、そして北韓が "詐欺を働いた" という批判を巡ってうずを巻いた事件から出たものだ。 2点を理解する必要がある。 第一点はブッシュ行政府高位官僚らが初めからジュネーブ合意に反対していたし、これを廃棄処分する意図を持っていたということだ。 2001年1月の就任時から2002年10月にジェームズ・ケリー東アジア太平洋担当次官補の訪問時まで‘ニューヨーク チャンネル’を通した無意味な接触の他には何の北韓-米国対話もなかった。 すなわち、ケリーが北韓を訪問する頃にはジュネーブ合意はほとんど窒息状態であった。 二点目は、ケリー訪問が終わって北韓のカン・ソクチュ外務省第1副長官が高濃縮ウラニウム プログラムを認めたと考えてびっくりしたワシントン高位官僚らは、高濃縮問題をどのように扱うのかではなく北韓に対する処罰だけに集中した。

 私は北韓の高濃縮ウラニウム プログラム追求が重要な誤判だったと考える。 どうなろうと、協定の弱い輪を利用できるというのが北韓の典型的な観点だった。 これは北韓を扱う時、いつも前提にしなければならないことだ。 だが、これは他のすべての真剣な交渉でも同じだ。 したがって慎重でなければならない理由ではあるが、政策マヒの弁解の種ではない。 北韓の高濃縮ウラニウム プログラムを中断させることは絶対命題であり、私たちは慎重な戦略とそのような目標成就のための最善の戦術的環境を必要とした。 結局私たち(クリントン行政府)の接近法が作動したかも知れないが、ジュネーブ合意を破壊した(ブッシュ行政府によって)選択された道が失敗したという点には論争の余地がない。"

-ジュネーブ合意破棄の責任は北韓と米国のどちら側にさらに多いと見るか?

"ネオコンはジュネーブ合意を除去することを望んだし、北韓は確かに彼らの手にもてあそばれた。 米国がジュネーブ合意を維持・改善することを望んだとすれば、それは可能だったし、確実により賢明な道であっただろう。"

-あなたは<二つのコリア>で2002年ケリー次官補一行とカン・ソクチュ第1副長官の会談と関連して "数年後に顧みる時、代表団の数人は自分たちの最初の反応で何か誤ったことがあることを知った" と明らかにした。 彼らがカン・ソクチュの発言を間違って解釈したと認めたのか?

"(一行中)多数はカン・ソクチュの発言が、彼らが初めて結論を出したことより曖昧だったと結局認めた。 会談後、いくらも経過せずにカン・ソクチュ発言録を見て私は彼が何も "認定" しなかったし、明確に否認もしなかったと考えた。 彼らが高濃縮ウラニウム プログラムを推進したという証拠を私たちが持っていたとすれば、それは問題であり解決しなければならなかった。 彼らが認めたのか否認したのかは重要なことではなかった。"

-2005年9・19共同声明と6者会談が失敗した責任はどちら側に多くあると見るか?

"その質問は9・19共同声明が初めから硬い合意だったということを仮定している。 私の考えでは、それは決して強い基盤を持っていなかった。 その弱い基盤すらも当時の会議の末に、クリストファー・ヒル首席代表が発表した米国の最後の声明、その翌日バンコデルタアジア(BDA)に関する米国財務部の発表で直ちに破壊された。 バンコデルタアジア問題が解決された後-2006年10月北韓の1次核実験の後に直ちになされた-再び状況が急に収拾された。 しかしこれも弥縫策に過ぎなかった。"

-あなたは本で2012年北韓-米国2・29合意で両側の差が小さくなかったと話した。 それでも両側がこれを合意したと発表した理由は何か?

"私の経験から見れば、交渉の場に実際に座っていない限り、交渉でどんなことがあったのかを知ることはかなり難しく、その上に参席者のうち多くの人々も何が起きたのかについて意見が違うということだ。 合意した文面がある時、そのような種類の差はあまり重要でないかもしれない。 このケースでは合意した文面はなかった。 合意文面を作る時間がなかったとか、あるいはとても難しかったという主張ならば、それは初めから "ディール" が本当であったという考えを弱めさせるようだ。"

-この本ではどんな点に焦点を合わせたのか?

"北韓を扱う上で何が可能なのかについて、去る13年間育ってきた神話をなくすことに主に焦点を合わせた。 北韓の状況に対する私たちの仮定が誤ったのであれば、状況がどうしてこのようになったのかに対する私たちの理解が歪曲されていたとすれば、私たちが目標を成就する可能性は高くない。 北韓と交渉が不可能だったり、彼らが合意を破るだろうとして彼らとの合意は時間の浪費だと私たちが信じるならば、私たちは歴史を誤って読んでいるだけでなく、近視眼的な政策を採択する運命を迎えることになるだろう。"

-数十年間、北-米関係が解けない根本原因は何だと見るか?

"北韓は小さくて弱い。 彼らは自分たちの弱点を露出するという憂慮からイニシアチブを取ることが少ない。 これは北韓が色々なオプションを真剣に考えないということを意味するのではなく、少なくとも彼らが考えるには米国が先に動かなければならないということだ。私は高位北韓外交官が重要な時点で米国を訪問した時を記憶している。 米国は先に立ち上がって接触することを躊躇したし、時間は迫っていた。 最後の瞬間にその外交官に接触しなければならないという決定が下された時、彼はすでに空港で飛行機に乗っていた。 数ヶ月後、私はその外交官に偶然に会い、その時に会談が進行されていたら有益だっただろうと話したところ、彼は首を縦に振った。 彼は会談が開かれたとすれば提起する数種類のアイディアを持っていたと話した。 私はなぜ私たちに電話をしなかったのかと尋ねた。 彼の返事は問題を明確に見せてくれた。 ‘私が先に出ることはできない。 私が受けた指示は、あなたたちの側から私に接触してくることを待てということだった。’"

-南北関係を展望することができるか?

"機会のようなものが現れれば、それを試してみて可能ならばそれを基盤に進展を作り出さなければならない。 より良いものが来るだろうと待つのは決して賢明ではないということが証明された。 韓半島状況を扱う時は‘待つ者に福がくる’という過去の格言は誤りだ。 状況がどこへ行くのかは予測したくない。"

ワシントン/パク・ヒョン特派員 hyun21@hani.co.kr 写真 スタンフォード大国際安保協力センター

https://www.hani.co.kr/arti/international/america/620472.html 韓国語原文入力:2014/01/19 21:30
訳J.S(4861字)

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