本文に移動

テキサス肥料工場 爆発は‘ダビデ派事件’の報復?

登録:2013-04-18 20:57 修正:2013-04-19 07:11
‘4月19日・ウェイコ’ 20年前デビデ派人質惨劇‘デジャビュー’
1995年 報復テロも起きた…‘ダビデ派事件’とは?
1993年4月19日テキサス ウェイコで発生した‘ダビデ派事件’は警察の鎮圧過程で建物に火災が発生し、大人53人、子供25人、胎児2人が焼死する惨劇で終わった。 APニューシス

 米国、テキサスの肥料工場で17日(現地時間)大型爆発事故が起き、20年前に発生した‘ダビデ派事件’が再照明を受けている。 爆発事故が起きたところがウェイコで、狂信的宗教集団であるデビデ派が1993年4月19日人質惨劇を行った地域だ。 肥料工場の爆発事故がデビデ派人質惨劇20周年を2日前にして発生した点も不思議な一致だ。 そのためにこの日の爆発事故が‘デビデ派の復讐劇’ではないかという推測が出ている。

 米国の一部マスコミはボストンマラソン爆弾テロもデビデ派と関連がある可能性があると用心深く報道している。 爆弾テロもやはり4月19日を数日先に控えて起きたためだ。 ただし米国の捜査当局はまだデビデ派について公式に言及していない。

20年ぶりに再び世間の関心を集めている‘デビデ派事件’とは?

 デビデ派事件は1993年4月19日、テキサス ウェイコで発生した惨劇だ。 デビデ派という狂信的宗教組織が人質をとって警察と51日間対峙した。鎮圧過程で建物に火災が発生し大人53人、子供25人、胎児2人が焼死体で発見された。 これらの相当数は頭を銃で撃たれた状態であった。 当時の警察の無理な鎮圧が惨事を招いたという荒々しい批判がなされた。

 当時デビデ派教祖はデビッド コレシュだった。 デビッド コレシュはイスラエルの最も偉大な王として賞賛を受けるダビデとユダヤ人のバビロン捕囚生活を終わらせたペルシャ王コレシュを合成した名前だ。

 デビッド コレシュの猟奇行為は想像を超えたものだった。 雅歌書の言葉を土台に自身は妻妾を140人も持つ資格があるとして、多くの女性信徒と乱雑な性関係を持った。 コレシュはまた地球の終末に先立ち最後の戦争を準備するという名目で武器と弾薬を集め信徒を武装させた。 米政府は不法武器所持の疑いでデビデ派本部を押収捜索しようとし、この過程で惨事がおきた。

教祖コレシュは 「私たちを害しようとすれば、火で滅亡させる」と警告し‘殉教を通した再臨’を主張しもした。

 デビデ派事件を巡って当時独立的調査委員会が構成され真相究明作業を始めたが、コレシュ一派が火災を起こした後に信者たちは撃ち殺し自殺したという結論だった。 だがFBIが火炎性の強い爆発装置を撃ったという陰謀説は続いた。

 悲劇はここで終わらなかった。 2年後の1995年4月19日ティモシー マクベイという青年は、オクラホマ市連邦政府庁舎に爆弾を積んだトラックを走らせ突進した。 死亡者だけで168人に達した。 湾岸戦争に参戦した模範的青年であるマクベイはデビデ派事件以後、米国政府に対する敵対感を育んだという。 実際、彼はFBIの調査で「政府がウェイコで犯した行為に対して個人的に懲らしめる爆弾テロを行なった」と一貫して述べた。

オンライン ニュースチーム

https://www.hani.co.kr/arti/international/america/583447.html 韓国語原文入力:2013/04/18 19:58
訳J.S(1445字)

関連記事