登録 : 2011.11.13 07:45 修正 : 2011.11.13 07:45

[特集2] 仮釈放の翌日に米国へ行ったユン・クミ氏殺害犯ケネス リ マクル米軍二等兵…

韓国政府、"SOFAにより米政府が罪人を管轄する" として仮釈放米軍人の住所さえ把握せず(7006字)


□コ・ナム記者


←ユン・クミ氏が1992年に殺害された基地の村は今、外国人観光特区になった。通りはきれいになったが米軍犯罪の恐怖は相変わらずだ。東豆川(トンドゥチョン)女性相談センター ハン・ワンス代表は<ハンギョレ21>との通話で「米軍は最近、保山(ポサン)駅ではなく東豆川(トンドゥチョン)市民が多く集まる繁華街の紙杏(チヘン)駅付近に来て遊ぶ。東豆川で娘を持つ両親たちが‘本当に嫌だ’と話している」と地域の雰囲気を伝えた。<ハンギョレ21>タク・キヒョン記者


京畿(キョンギ)東豆川の名前は水に由来する。南北に長く‘シン川(シンは草かんむりに辛い)’が流れる。北で漢灘江(ハンタンガン)と出会う。ソウル市庁地下鉄駅で1号線に乗れば逍遥山(ソヨサン)に着く。遠い。 1時間以上かかる。東豆川はその直前にある。東豆川市は1号線の紙杏駅~東豆川中央駅~保山駅~東豆川駅にまたがる。付近には逍遥山がある。

 

ユン・クミ氏を殺害したマクル二等兵


←ケネス リ マクル3世は犯行当時二十才だった。彼は捜査・起訴・裁判過程で何度も陳述を変えた。<ハンギョレ>チャン・チョルギュ記者


保山駅1番出口に出るとすぐにブラジル飲食店の看板が見える。英語の看板だ。その前で顔を右に回せば‘クラウンクラブ’(Crown club)の看板が目につく。11月2日正午にはまだ門が閉まっていた。 看板の前から米軍2師団キャンプ ケイシー方向へゆっくり歩く。1992年ある米軍人も同じ道を歩いた。その時もクラウンクラブは混雑していた。1992年10月28日0時30分、酔っ払った米軍人はクラブから出た。米2師団1連隊医務二等兵ケネス、リ マクル3世はクラブで一人でビール5本を飲んだ。 クラブに来る直前の10月27日夜10時30分まで彼はテントでビール16本とジン2杯を飲んでいた。20才の青年米軍人の酒量を越える量だった。ふらついた。少しして彼は道で自身よりさらに酔っぱらった一人の韓国女性に会った。彼女はクラウンクラブの従業員だった。5分程歩いて彼女の家まで一緒に行った。家に入る前にタマゴ1個を買って食べた。家の前でまた別の米軍人に会った。702整備支援大隊 ジェイスン ランバート上等兵はマクルに「この女は俺が知っている女だから置いていけ」と話した。ランバートは二日前にユン・クミ氏に金を与えて性関係を持った。マクルは拒否した。「私は医務兵なので性関係を持つためではなく彼女が具合が悪いので連れて来てあげた。」 ランバートは怒りののしりながら門の外に出て行った。ユン・クミ氏はマクルが行けないようにつかんだ。マクルは部屋にあった空のコーラ壜で彼女の額を2回打ち下ろした。血が流れた。ユン・クミ氏の全身とオンドルの床を濡らした。マクルの運動靴にも鮮血が飛び散った。ユン・クミ氏は失神した。マクルは失神したユン・クミ氏の頭をさらに2回コーラ壜で打ち下ろした。ユン・クミ氏はこの時おそらく亡くなった。


10月28日午後4時30分、家主はドアを開けて警察に電話した。ユン・クミ氏の頭から血が流れていた。子宮にはコーラ壜が刺さっていた。肛門には傘の柄が刺さっていた。遺体と床には白色の粉洗剤がまかれていた。犯人は現場にいなかった。 議政府(ウィジョンブ)警察署強力係と米軍捜査隊(CID)が捜査に入った。10月30日午前、米軍捜査隊はケネス マクルを有力容疑者として逮捕した。1991年、韓-米駐屯軍地位協定(SOFA)の改正があった。しかし韓国警察は米軍にマクルの身柄を渡せと要請しなかった。当時、SOFAに対して不公平だという批判が多かった。 米軍が駐留した当時、西ドイツや日本政府が米軍と結んだ協定に比べて不公平だという趣旨であった。 韓国の警察・検察・裁判所はマクルに対して何の権限もなかった。マクルは京畿道、平沢(ピョンテク)の米8軍拘置所とソウル、瑞草洞(ソチョドン)のソウル刑事地裁法廷を行き来した。当時SOFAによれば裁判が終わり刑が確定された後に犯罪米軍人を韓国政府が譲り受けることができた。


2006年 仮釈放、翌日に米国行


マクルは法廷で一部容疑を否認した。1993年2月17日午後2時、ソウル刑事地裁417号大法廷でもそうした。 彼は2点を主張した。ユン・クミ氏を4回攻撃したことは認めるが偶発的だった。第二に局部と肛門に異物を入れたのは本人ではない。 自身に嫉妬したランバート上等兵の行為だとマクルは主張した。 マクルとランバートの2人とも警察・検察・法廷での陳述を何度も翻意した。 ランバートの陳述も信じ難かったがマクルも同じだった。 マクルと同じ部屋を使うジョン グリン中尉は法廷でマクルの盗癖を証言した。マクルのニックネームは‘マクサクドゥ’だった。 同僚の物がマクルのロッカーで発見されてついたニックネームだった。 マクルは上官と争ったために上官から懲戒を受けた。 雨の降る日、芝を刈る懲戒であった。 マクルはナイグを持って自殺すると言った。事件の翌日、マクルはグリーン中尉に「もし火曜日に私がどのようにしたかを他人が知ったならば永遠に私を見られないだろう」と話した。


検事が法廷で追及した。「被告人は遺体と部屋の床に洗剤をばらまき被害者の肛門に傘の柄を、陰部にコーラ壜を刺して入れたでしょう?」「いいえ。」マクルは否認した。検事は「3つとも全部しなかったということですか?」とまた尋ねた。 マクルはまた否認した。「はい、全部(しませんでした).」「被害者は頭部および顔面に損傷を受け血をたくさん流して死亡したが、それは知っているでしょう?」という検事の質問にマクルは「よく分かりません」と答えた。


1993年3月10日に開かれた2回目の公判にはユン・クミ氏の母親が参加した。彼女はマクルが容疑を否認するや法廷で泣いた。 裁判長は「お母さんだからと言っても、この法廷で騒々しくふるまうことはできません」と話した。「自分の娘が死んだと思ってみて下さい」と誰かが叫んだ。 ユン・クミ氏の母親はしばらく法廷の外に出て行った。


最高検察庁遺伝子鑑識室でマクルの運動靴に付着した血痕を分析した。 ユン・クミ氏のからだについていた血液と一致した。 マクルは有罪判決を受けた。ビョン・トンゴル当時部長判事は1994年4月14日午前、マクルに無期懲役を宣告した。検察の公訴事実を全て認めた。1993年12月16日、控訴審裁判所もマクルの容疑を全て認めた。しかしユン・クミ氏の遺族に米国政府が賠償金を支払ったことを理由に懲役15年の刑に減刑した。1994年4月最高裁で刑が確定した。はじめてマクルは韓国の監獄に収監された。マクルは残余の刑期を1年余り控えた2006年8月に仮釈放された。マクルは翌日直ちに米国に出国した。法務部仮釈放審査委員会がそのような決定を下した。この事実はその年の10月ノ・フェチャン前進歩新党代表が資料要求をして知らされた。 マクルがウェストバージニアに帰った後であった。

←ユン・クミ氏の遺体が発見された住宅街は新しい化粧をした。<ハンギョレ21>タク・キヒョン先任記者


韓国人犯罪者は仮釈放後 厳格管理


韓国人犯罪者は仮釈放後にも厳格な保護監督を受ける。大統領令の‘仮釈放者管理規定’によれば、仮釈放された罪人は住居地を管轄する警察署長の保護と監督を受ける。 所轄警察署長は6ヶ月ごとに仮釈放者の品行、職業の種類、生活程度、家族との関係など参考事項に関し調査書を作成して関係機関の長に通知しなければならない。 仮釈放中に禁固以上の刑の判決を受ければ仮釈放処分は効力を失う。 監獄に再び収監される。


米軍犯罪者はそうではない。SOFAにより米軍犯罪者が仮釈放されれば米国政府が彼を管轄する。マクルのように罪を犯した米軍人が出国飛行機に乗ろうとも韓国政府にはそれを阻む権限はない。 米軍犯罪者には仮釈放と釈放は何ら変わらない。米国政府は仮釈放された米軍犯罪者の所在地や生活態度など基礎的情報も告知しない。彼はただ仮釈放された瞬間に新しい人になる。ケネス リ マクルは最後まで‘乱行’に対する容疑を否認した。 韓国の英字紙にSOFA改正を主張する市民団体を批判する文ものせた。 彼の父親 ケネス リ マクル ジュニアは息子の主張を信じた。息子マクルの兄が韓国の裁判所で確定するや1994年米国最高裁に嘆願書を出した。息子が米軍拘置所から韓国の監獄へ移送されることを阻んでくれという内容だった。当時ウィリアム レンクィスト米最高裁長官はそれを棄却した。 マルク父子は韓国司法府の判断を受け入れることができなかった。今でもそうなのか尋ねようと思った。


連絡がつかなかった。インターネットで‘ケネス マクル株式会社’(Kenneth Markle Inc)の番号が検索された。マクルの故郷であるウェストバージニアのカイザー市にある。 電話してみると別の会社だった。 電話を受けた職員は「前の会社の連絡先や住所は知らない」と答えた。米国の電話帳‘ホワイトページ’(www.whitepages.com)でもケネス マクルは検索される。 何回も電話をしたが受けなかった。仮釈放された米軍人は故国ではただの新しい人になる。マクルもそうだ。 米国法務部が運営する性犯罪者検索サイト(www.nsopw.gov)にもケネス マクルは検索されない。


‘韓米友好の広場’に変わった事件現場


<ハンギョレ21>は韓国法務部に去る10月11日情報公開請求を通じて尋ねた。「法務部など韓国政府がマクルが仮釈放された2006年8月15日以後、刑が満了する2008年2月までジェームズ マクルの米国内居住地、彼の追加法律違反行為などの有無を米国検察・裁判所・州政府など米国政府機関に質問するために送った公文書を公開しなさい。」 法務部は10月20日に返事を送ってきた。「法務部では仮釈放関連業務を遂行しているが、(米軍人)仮釈放出所者の出所後の所在地および出所後に法律違反行為などに関して管理しておらず、したがってこれに関して米国政府と公文書をやりとりした事実はない。 貴下が請求された‘仮釈放後のジェームズ マクルの所在地および米国政府とやりとりした公文書’は存在しない情報であり、公開できないということをお知らせするので了承されたい。」同じ質問を警察庁にも送ったが、警察庁も同じ趣旨の答弁書を送ってきた。 外交通商部SOFA担当部署も関連情報を知らなかった。 法務部は<ハンギョレ21>との通話で「SOFAにより仮釈放された後は米国政府が罪人を管轄する。 韓国政府が仮釈放された米軍人の出国を阻む方法はない。マクルは米国で刑が満了したと見られる」と明らかにした。 ケネス マクルは新しい人になった。 ウェストバージニアのどこかで生きているならば、多分今年6月7日には39回目の誕生日パーティーを行っただろう。


額から血を流し、からだに異物を挿入された状態でユン・クミ氏が横たわっていた東豆川市、保山洞431-50番地は去る11月2日現在‘サンペ路’に名前が変わった。 白いペインティングで新しい化粧をした。すぐそばのBレストランで肉が焼けている。今、保山洞は‘外国人観光特区’だ。20才の酒に酔った米軍人が26才の韓国女性を背負って歩いた道は今‘保山洞韓米友好の広場’になり、その道の上には‘第13回東豆川ロックフェスティバル-ロック競演大会参加を歓迎します。 場所:保山洞、韓米友好の広場’などの横断幕が懸かっていて、道路沿いに見える‘クラブ ディップ’ ‘クラブ オーシャン’ ‘クラウンクラブ’の看板は午後1時の陽光に輝いていた。変わったことはまだある。 2000年代中盤以後、東豆川のクラブでは韓国女性の代わりにフィリピン女性たちが踊っている。 東豆川市の資料によれば、去る10月31日現在、東豆川に登録された2615人の外国人の内、フィリピン女性だけで585人だ。公演ビザで入国し接待をする。2位の在中同胞女性(253人),3位の中国女性(184人)に比べて圧倒的だ。残りの国家の女性は2桁だ。


←ユン・クミ氏が仕事をしていたクラウンクラブは相変らず営業中だ。もう韓国女性はいない。主にフィリピン女性たちが米軍人を接待する。米軍人とつきあい米軍人の子供を産んで米軍に捨てられるケースがしばしば起きる。 <ハンギョレ21>タク・キヒョン先任記者


2010年、韓国人に暴行した米軍人は154人


変わらないこともある。米軍人の犯罪は絶えない。 警察庁資料によれば、被害者が韓国人である‘SOFA事犯’は継続している。 2009年韓国人を性暴行した米軍人が5人、2010年には11件だった。 2009年韓国人を暴行した米軍人が130人、2010年は154人だった。 米軍人犯罪の初動捜査がよくできていないという点を考慮すれば、実際の犯罪はさらに多いものと推定される。 2師団所属米軍人が去る9月24日明け方考試テルに侵入し検定試験を準備中の18才の青少年を何度も性暴行した。 東豆川市の面積95.66平方kmの42%にあたる40.63平方kmが米2師団キャンプ ケイシーに提供された供与地だ。 坡州(パジュ)・議政府など19ヶ所の2師団基地の中の一つだ。9万6246人の東豆川市民は供与地を除く残りの土地で暮らしている。米2師団が再配置された1965年以後46年間、そのようにして生きてきた。平沢への基地移転は両国政府によって再び2016年に延ばされた。その後には平沢住民たちが東豆川市民らの生活を送ることになる。 横断幕に表現された‘韓-米友好’の人生だ。


コ・ナム記者 dokko@hani.co.kr


*参考文献<駐韓米軍によるユン・クミ氏殺害事件資料集>中の公判記録(駐韓米軍犯罪根絶のための運動本部編集)


韓国・日本・NATOが米国と結んだSOFA比較


米軍被告人 1審無罪ならば控訴できない韓国検察


韓-米駐屯軍地位協定(SOFA)が2001年に改正された。しかし市民団体は相変らず米軍が北大西洋条約機構(NATO),日本と結んだSOFAに比べて刑事裁判権行使と関連して不公平だと主張する。 主に次のような項目だ。


◎過度に米国に有利な適用対象
韓-米SOFAでは韓国法の適用を受けずにSOFA上の特典を受けることができる対象を駐韓米軍だけでなく米軍属、彼らの家族、その他親戚まで含む。‘その他親戚’に該当するか否かは米国が判断する。NATO協定は家族を‘配偶者および扶養を受けている子供’に限定している。 米-日協定は‘その他親戚’を除外している。


◎米国の裁判権放棄要請権
SOFAは韓-米どちらか一方の国の法だけで処罰できる犯罪の場合、該当政府が専属裁判権を持つと規定している。NATO,米-日協定と同一だ。問題は下位文書の合意議事録で韓国政府が専属裁判権を持っている犯罪に対しても米軍が要請すれば放棄するよう定めた内容だ。NATO,米-日協定には存在しない。両国の法律により全て処罰できる犯罪に対しては両国が共に裁判権を主張できる。米軍家族内部の犯罪などを除き、韓国政府が1次的裁判権を持っている。しかし両国はどちらか一方が裁判権放棄要請をすれば‘好意的に考慮’(sympathetic consideration)しなければならない。 好意は主に韓国が施す。 米国は2002年装甲車事故の時、裁判権放棄を拒否した。 反面、韓国は米国の要請によりしばしば裁判権を放棄している。


◎司法主権侵害条項
SOFA 22条8項と合意議事録22条9項は米軍被告人が1審で無罪を受けたり被告人が裁判結果に対して控訴しなければ韓国検察はこれに従わずに2審に控訴することはできないと規定している。代表的な司法主権侵害条項として指摘されている。NATO,米-日協定には存在しない。


◎変わらない初動捜査障害
2001年SOFA改正交渉を通じて殺人など12ヶの重大犯罪に限り宣告ではなく起訴時点で米軍の身柄を引き渡しを受けると定めた。ユン・クミ氏事件の時と変わった点だ。しかし色々な但し書きのために実際にはよく守られていない。米軍犯罪の相当数が交通事故だが、被害者が死亡などに至らない限り重大犯罪には含まれない。 重大犯罪でも拘禁の‘相当な理由と必要’により身柄引渡し理由を限定している。


*参考‘駐韓米軍犯罪根絶運動本部’ホームページ


原文: http://h21.hani.co.kr/arti/special/special_general/30782.html 訳J.S

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