「何ということだ! 私たちはいったい何をやってしまったのか。 いったい何を・・・」 ひんやりとした消毒薬の臭い、冷たい金属性の器具に囲まれた病院が、突然人間の顔をして嘆息した。 ある前職看護師の口を通して。 キム・ヒョンスク(47)氏は著書『都市で死ぬということ』の中で、患者が集中治療室で失う自尊感と品位、そして最も人間的であるべき生の最期の瞬間について語る。 本は、集中治療室に入るやいなや急に無気力になる患者、患者を囲む家族、そして「深い懐疑を感じながらも盲目的に死と反対方向に 患者を一生懸命に引っぱってきた 自分」を告白する。
時には検査より正確な直観
キム・ヒョンスク氏はソウル大看護学科を卒業してソウルのある大病院の集中治療室で看護師として19年間勤めてきた。 珍しい経歴だ。 10年を越えるのが難しいところが集中治療室だ。 死が、いとも容易に勝利する場所、集中治療室に入院すれば、意識がしっかりしていた患者も不安がるようになり妄想に苦しめられる“集中治療室精神症”を体験することになる。 医療陣も法と医学・道徳的責任なるものに引きずり回される弱い存在だという。 キム氏から、患者が死と激闘していたベッドをすばやく整頓する看護師の心中を聞くことができた。
「初めは生命を救うための全力疾走、その瞬間に魅了されたんです」と彼女は告白する。 大病院が競って導入する延命技術と先端装備も一役買った。「しかしいくら医学技術がきらびやかに輝いているとしても、集中治療室には絶えず死んでいく人々がいて、死を迎える患者たちの状況がむしろ悪化したように」見えてくると、懐疑が生じた。「医学が技術中心に発達して、病室の各手続きが良く言えば標準化されて、他の見方をすれば市場化されつつあります。 患者が不安定な状態の時は看護師がそばにいてあげるのが最も良い方法かもしれないのに、こうしたことは数値化できないから簡単に鎮静剤や抑制剤を投与する方向に追い込んでいくようです。 患者を落ち着かせるのではなく、実は無気力状態に陥れているのかもしれないのに、落ち着かせたと記録されるんです」
死と厳しい闘いを行なう集中治療室に“関係の席”を設けようというのはのんき過ぎる主張だろうか。 「後輩がこんな経験をしました。 ある日モニターは何の警告もしていないのに、なぜかその患者がまもなく死にそうな予感がしたそうです。 寝返りをさせて処置をすることになっていたんですけど、彼女は、死の直前にある人に苦しい思いをさせるかと思いずっと迷ったそうです。 それでも処方通りしなくてはいけないので仕方なく患者の体を抱え上げたんですが、その瞬間患者の頭ががっくり行ったというんです。 看護師の腕の中で息をひきとったわけですね。」キム・ヒョンスク氏も数えきれない程、検査より正確な直観を経験した。 しかし事故と責任を避けようとする医療手続きの中には直観も憐憫も割り込む隙はなかった。
それで本には、彼女が背負っている後悔と悔恨の記録が多い。 看護師を母親だと思ってすがりつく脳腫瘍にかかった子供を検査室に送る前にもう一度抱きしめてやれていたら・・・、子供たちに最後に話したいことがあって息が苦しい状態の52才の患者に急いで気道挿管を施す前にもう少し待ってあげることができていたら・・・、若い娘の死を受け容れることが出来ない父親の言うとおり心肺蘇生術を続ける代わりに娘を楽に逝かせてあげようと説得できていたら…。 しかし希望がなくても手続きに従わなければならないシステムの中で、死んでいったこれらの人たちの発したメッセージは大部分集中治療室の外には聞こえない。
病院を辞めることになった理由
看護師初年時代に、薬を盗み出したと彼女を責め立てる患者がいて、看護師室で大泣きしたことがあった。 苦しい決定は医療陣にさせておき、後になって激しく抗議する家族もいた。 キム・ヒョンスク氏は「それでも病院で最も弱いのは患者だ」と話す。「患者に何が重要であるかは医療陣が判断します。 生命を救うことが重要だから患者の不満や要求は簡単に黙殺することもあります。 患者の私生活が赤裸々にあらわれる所も病院です。 いかなる場合にも患者は治療を拒否できません。 自害と見なされるためでしょう。」 おかしなことだった。 皆が患者のために飛び回っているけれど、生と死の境にいる患者の話は誰も聴こうとしなかった。 家族の未練と病院の不必要な手続きを減らす代わりに、そこに患者の自己決定権を置こうというのがキム・ヒョンスク氏の考えだ。
延命治療や心肺蘇生術をあらかじめ拒否する患者もいる。 そのぐらいになれば病院でも患者を苦しめる検査や処置をやめて苦痛を減らすことだけに努める。 ところが治療の手を放すや、かえって好転して集中治療室を出て行った患者がいるという。 「延命治療や心肺蘇生術を拒否することが患者を放棄することではないという証拠でしょう。 残った日々がそれほど苦痛ではなく、さらに美しい日々になった時、患者が自ら回復する機会を持つということでしょう」 たとえそうではなくても、煩わしく絡まったチューブに囲まれて死を迎える代わりに、もう少し暖かくて安らかな瞬間が許されるべきだという思いだ。 キム・ヒョンスク氏は「私は集中治療室でたった一人で死にたくはない。 私の状態を正確に知り、私が決めて準備する死を迎えたい」と何度も言った。 しかし、準備のできた死を迎えようと家に帰る道はますます狭くなっている。 代案があるだろうか?
「私の老後対策なわけです」
キム・ヒョンスク氏は「何が患者のための道なのか判断が難しくなって」 2010年に病院を辞めた。「それでも今でも時々病院の夢を見ます。 戻りたいです。 数えきれない程多くの人と人、生と死のドラマに接したところです。 誰かの最期の日々についての話が生まれ、そこに私の話も絡まっています。」 ドラマならば集中治療室ならではの躍動性を語る。 患者、保護者、医療スタッフ、皆が一歩も退くことのできない各自の切迫した理由で対抗する瞬間のことだ。
忘れられない患者たちの話を集めて書いて出したのが今回の本だ。 遅ればせながら勉強を始めて生命倫理学で修士学位を取り、地域社会看護学で博士課程を歩んでいる。 患者にとって医療執着の他に別の道はないかを探している。 「残された日を病院に全部任せるのは限界があります。 それでも将来、私が年を取り身動きできなくなったとき見てくれるシステムがないならば、結局集中治療室に依存するでしょう。 地域の看護と医療システムに関する話から始めるつもりです。 私の老後対策なわけです。」 キム・ヒョンスク氏は最後の一瞬まで意志と幸福感を持った自身を想像する。 不安を根本的に鎮める道は、多くの人と分け合うことだ。 あなたはどうか。
ナム・ウンジュ記者 mifoco@hani.co.kr