[ファン・イラのスマーフ通信] 物質的豊かさの定規でカンボジアの子供たちを考えた自らを振り返り貧しくても助け合って生きる人々の前で、暴力が幅をきかす韓国が恥ずかしい(3433字)
時々眠れなかったり夜明けに目覚めた日には本当に堪え難い。 寂しさに弱い性格だからそうなのか、突然に覚めた睡眠に慌てたり不安を感じる。 そんな日はベッドサイドの窓から見える夜景を見物する。 色々なネオンサインと高速で走り行く車のあかりでまだ‘寝つかない都市’を見れば少しは慰めになったりもする。 すべてが急速に変化し高く聳える建物が競争するように建って華麗で洗練されたあらゆる物質があふれる都市だが、なおさら人はますますせわしくなり孤独になるようだ。
きれいな服、おいしい食べ物を買ってあげたかったが
カンボジアに行ってきてすでに一週間が過ぎた。 だが、依然として時計を見るたびにカンボジアに置いてきた子供たちと、その空と川、果てしなく広がる平原の時間を共に数えてみる。 そこにいる間、たとえ肉体はつらくて苦労だったが、心は限りなく平安でまた平和だったように思う。
カンボジアを初めて訪問したのは3年前だ。 偶然な機会でアジア平和人権連帯が進めるカンボジアの貧しい子供のための奨学事業を知り、それが縁となって初めてカンボジアを訪問した。 カンボジアは世界で最も貧しい国の一つで、人口の40~45%が一日1ドル未満で生活している。 そのために子供たちが学校に行かずに金を稼ぎに通うケースが多くて、それだけ文盲率が高い。 以前、我が国もやはり貧しかった時期、‘勉強がご飯を食べさせてくれるのか’という大人たちのけんつくと強要に押されて都市で‘女子工員’‘工女’として暮らしていた私たちの両親と同じに見えた。 もしかしたら彼らの境遇では、文を読んで書くことより、当座を飢えずに病気にかからないことがより一層切迫したことか知れない。 だが、そのようにして4・5才の子供たちまでが生計戦線に飛び込んでも貧困から抜け出すことはできなかったし、子供たちの未来もまた、その貧困に縛られて少しも良くはならなかった。 少なくとも子供たちが貧困のために自身の夢まであきらめなければならないという風で、この後援を始めることになった。 せめて自身の未来を計画して選択する機会だけでも作りたかった。 奨学事業で縁を結んだ子供たちは学校に通う事もでき、少ない量だが子供たちの家庭に米と生活必需品などが支援されたりもする。 このように奨学事業の恩恵を受ける子供たちはそれなりに選択された子供たちだ。
←ファン・イラ(左端)氏がカンボジアで会った子供たち。物質的豊かさはなかったが美しい自然と平和な村で生きる子供たちの目つきには人に対する好意があった。 ファン・イラ提供
カンボジアで会った子供たちの大部分が同じ年頃の韓国の子供たちに比べて背が低く痩せて発育が遅かった。 その焼き付けるような陽射しに、どこで得たのか冬の毛皮服を着込んで汗をダラダラ流し、履き物も履かずに、何かを売ったりもの乞いする子供たちに簡単に会うことができた。 そのせいか子供たちは早くから分別がつくようでもあった。 カンボジアでも最も貧しい人々が集まって暮らしているというトレンサップ湖の水上家屋で会った子供たちも観光客を運ぶボートを運転し、飲み物を売り、魚を釣ってそれを売っていた。 アンコール・ワットで会った子供たちはその細い手首に腕輪やあらゆる装身具をつけて出てきては、焦った目つきで‘ワンダラー’を叫びまくった。 暑さに勝てずココナッツジュースを買って飲む私たち一行の周囲を取り囲んで慣れた韓国語で「イゴ エッポ、チョア(これきれいで、良いでしょ)」と言った子供たち。 鼻に汗をぼつぼつと浮かべた子供たちを見れば、‘ワンダラー’でなく‘10ドル’でも与えたい心がやまやまだった。 「さあ、このお金を受け取って家に帰りなさい。 行く道でココナッツジュースも買ってパンも買って今日一日だけでもお腹いっぱい食べなさい」と言いたかった。
事実、初めてカンボジアの子供たちに会ってからは、数日でもいいからこの子供たちに新しい世の中があることを教えたかった。 デコボコで雨が降れば足が埋まり、履き物を持って裸足で歩いていかなければならない土の道ではなくきれいに舗装されて、きれいな道路を見せてあげたかったし、あらゆる虫や蚊がうじゃうじゃして上がればすぐにも崩れそうな家ではなく明るい日が射しこんでくる窓のある広くて快適な家があることを、そしてその汚らしいからだを良い香りの石鹸で洗ってローションを塗ってきれいな服を着せてすてきなところに行っておいしい食べ物を外食させたかった。
‘ストレス’を知らずに、‘大丈夫?’と尋ねる子供たち
そうするうちにアンコール文明‘1千年の神話’は何処へ行ったか分からない程に異邦人であふれ、そのようにして多くの観光客から稼いだお金はどこで使われ、彼らはなぜこのように貧しいのであろうかと考えた。 いつも‘大丈夫で、我慢できます’という彼らの愚鈍な程に素朴な目に、世の中がどれほど便利なものなどがあふれかえり、豊かなのか‘あなた方は全く大丈夫でない’と言いたかった。
だが、一緒に行ったスタッフの‘彼らを私たちの定規で見ずに、ありのままの彼らと彼らの暮らしを見てほしい’という話は私を長く考えさせた。 私たちの感情のままに、同情してお金を与えることが果たしてその子供たちのためになるのか、子供たちはどこにいることが一番幸せなのか、私たちが彼らに一時的な憐憫の感情で接するのでなく持続可能な愛で接することが彼らにより近づく道ではないだろうかと考えた。
カンボジアの子供たちは私たちが見るには非常に不足して不安な環境であっても、互いに助け合い頼ってつましく持っていき暮らしていた。 子供たちは汚れなくきれいで余裕と温みがあり、そして平和に見えた。
‘勉強することにストレスを受けないか’という私の問いに、子供たちは‘ストレス’という単語を理解できなかったし、十分でない衣服のために傷だらけの手足をしながらも、私の足にできた小さな傷を見て子供たちは‘大丈夫か、痛くないか’として集まって心配してくれた。 このような環境でも希望や夢というものがあるのだろうかと思い、尋ねにくかった私に‘将来の希望は先生になること’と言う明るい子供たちだった。 そのような子供たちを見て彼らよりはるかにたくさん学び良いものを食べて着ている自分がむしろより柔弱で貧しく不幸に見えた。
今でもこの華麗な街の灯の中で私は世界で最も貧しいといわれるカンボジアを考えている。 私の頭上に無数にまたたく星が今すぐにでもこぼれて来そうだったタヘン村の夜空、果てしなく広がる平野の上に積み上げられたアイスクリームコ ーンのようだった雲と空。メコン川が作り出す黄土色の川の水があたかも海のようだったトレンサップ湖。 四方に土気色の水しか見えない所に家を作り、魚を釣って物を売って生活を続けている人々。 そしてどんな秘密の話でも言いたくなるほど汚れなく素朴な子供たちの目が今でもかすかに、また深くしみいるように懐かしい。 少しの間だが子供たちに都市の華麗で豊かな生活を見せたいと思った私の浅はかな思考が重ね重ね恥ずかしい。
見た目にはもっともらしいこの国は、実はあまりにも寂しくて、残忍で、暴力的だ。 ある工場で仕事をした労働者が22人も死んでいく国、それでも誰一人として責任を負うことのない国、一緒に暮らそうという労働者を外注チンピラを動員して夏の極暑の期間にまるで犬でも捕まえるように殴る国、労働者の集会に駆け付けた警察が子供・女性の安全と生命一つまともに守れない治安無能な国、労働から疎外されたある青年の絶望が‘一緒に死のう’と言いながら刃物が振るわれる国、それでも彼らの絶望と不安・孤独を見て見ぬフリをする国。 貧しいカンボジア人が哀れなのではなく、物質的豊かさの中でも常に貧困と相対的剥奪感に苦しむ私たちが一層哀れだ。
原文: http://h21.hani.co.kr/arti/society/society_general/32874.html 訳J.S