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[ハンギョレ21 2012.04.02第904号] 大韓民国を作った不法査察の歴史

原文入力:2012.03.31 13:47(5423字)

←特務隊は軍隊や官僚組織特有の指揮・命令系統を無視して李承晩大統領にすべての活動を直接報告する特権を享受した。 特務隊長キム・チャンニョンは事実上、李承晩に次ぐNO.2として振る舞った。 李承晩大統領が特務隊長キム・チャンニョンの挨拶を受ける様子. 資料

[金東椿(キム・ドンチュン)の暴力の世紀 VS 正義の未来] 総理室民間人査察事件に見る国家情報院など情報機関査察史…最高権力者のためだとして行った不法的工作政治は現在にまで繋がる

 総理室による民間人査察事件を巡る疑惑がますます拡大している。 最大の問題になったキム・ジョンイク氏事件を見れば、彼はKBハンマウムという国民銀行の子会社の社長であったが、ロウソクのあかり動画を自身のブログに上げたことが問題になり結局自身の所有会社の株式を全て放棄し会社から退くことになった。 彼を査察した主体は総理室の公職倫理支援官室(以下、支援官室)であったし、彼を査察し国民銀行に圧力を加えて退かせた事実が明らかになった。 2010年ソウル中央地検不法査察特別捜査チームはこの査察の実務を担当した支援官室のウォン・チュンヨン事務官の‘ポケット手帳’を確保した。 手帳には与党の有力政治家と民主労総、YTNなど政界・官界・労働・言論界全般を相手に広範囲な査察を行った情況が記されている。 健康保険徴収公団統合案を立法発議したハンナラ党(現セヌリ党)イ・ヘフン議員、ウォン・ヒリョン、コン・ソンジン議員も査察対象になった。 ハンナラ党のナム・ギョンピル、チョン・ドゥオン議員、オ・セフン前ソウル市長、親朴連帯、朴槿恵議員まで査察したという話もある。 査察対象は全て李明博大統領を批判したり、政治的に対立したり不快な関係にあった人々だ。

最高実力者抜きには不可能

 最近、この事実を暴露したチャン・ジンス前支援官室主務官の録音収録によれば、チャン前主務官は支援官室で勤め始めた2009年8月から民間人不法査察事件が起きる前の2010年7月まで特殊活動費から毎月280万ウォンをイ・ヨンホ前大統領府雇用労使秘書官などに届けていた。 大統領府民政首席室がチャン主務官に口止め料として5千万ウォンを与えたという証言が出てき、この査察の報告を継続的に受けた大統領府雇用労使秘書官室のイ・ヨンホ前秘書官は自身が証拠隠滅を指示したと主張しもした。 支援官室は総理室所属だが、業務ラインを無視して大統領府の直接指示を受けたし、公職者はもちろん政界など各界要人を査察する秘密査察機関の役割をしてきたことが確認された。 政府与党の次期大統領候補まで査察対象に含まれていたため当初検察が事実上捜査をあきらめたり事件隠蔽に共謀したような情況を見る時、大統領府や現政権の最高実力者が介入せずにはこの水準の違法的政治査察が公然となされることはありえないだろう。

 金大中・盧武鉉政権を除けば韓国の歴代政権は常に対共査察の名目で政治的反対勢力を査察して、その情報で弱点を握ると、それを武器に相手方を無力化しようとしてきた。 最高権力者はいつも権力強化と反対勢力除去のために査察組織を利用しようとする誘惑から抜け出せなかったし、この組織もやはり影響力拡大の利害関係のために絶えず不法的に活動領域を拡大しようとしてきた。 韓国の捜査情報機関である軍の機務司令部(旧、防諜隊・特務隊・保安司),国家情報院(中央情報部・国家安全企画部),警察の保安課(旧、査察課・情報課)等はこれまで多くの不法で不道徳な方法で国内で野党、社会運動家、反政府人士に対して査察活動を行ってきた。 査察対象者を逮捕し拷問して、漁師をスパイに変身させたり、彼らの人生を根こそぎ破壊するなどの問題を起こしてきた。

 すべての国家は法の上で隠密に動く捜査情報機関を設けていて、20世紀初めから現在まで活発に活動している。 英国の諜報機関 M16,かつてのドイツの秘密警察(シュタージ)と日本の特別高等警察(特高),憲兵隊、ソ連の国家保安委員会(KGB),米国の中央情報局(CIA),米軍の防諜隊(CIC)等がある。これらは政治的性格の捜査査察、防諜、国家機密収集活動などを行ってきた。 その活動で盗聴と監聴、嘘、事件捏造、暴力と拷問、脅迫、否認など通常の犯罪組織と類似の仕事をやってのけた。 冷戦時代この機関の活動は全て‘国家安保’の名で正当化された。 そしてこの機関は国家安保の先鋒と考えたため安保のためには適当な嘘と適切な法律違反行為は避けられないと見なした。

特務隊、李承晩の私組織

 解放直後、韓国捜査情報機関の母胎は警察査察課であった。 1948年11月、警察捜査課に属した査察業務が分離して査察課が作られ、地方にも査察課・査察係が新設された。 その頃、査察課は別途の事務室、すなわち査察分室を設置していた。 警察は国民保導連盟など業務が多くなると分室の下にまた分室を設け、東大門(トンデムン)市場・ソウル駅・南大門(ナムデムン)など人が多く集まるところに事務室を設置し個人会社の看板を懸けて偽装した。 この査察分室はイ・ジュハ、キム・サムニョン検挙、国会プラクチ事件などの主要事件を担当した。 韓国戦争前後、思想検事オ・ジェドは当時査察分室に住み込むようにして事件を指揮した。 以後の拷問や虐殺などはほとんど査察係が主導した。 当時、警察査察係は絶対的な権力機関だった。

 1945年解放直後に進駐した米軍防諜隊は大韓民国政府が樹立される以前から日帝時代の憲兵・警察出身者を訓練して将来の韓国軍秘密情報要員として育成しようとした。 李承晩は政府樹立前後に米防諜隊の後身として大韓観察部を作ろうとした。 大韓観察部の責任者は‘モンタナ チャン’として知られた李承晩の熱烈な追従者チャン・ソギュンだった。 しかし大韓観察部は何の法的根拠もない不法組織であったため野党の反対に直面し解散され、陸軍情報局(G2)傘下にあったが結局、韓国戦争中に防諜隊(以後に特務隊)として分離し復活した。政府樹立直後からこの組織は国家転覆勢力を探し出すという美名の下に実際には李承晩の政敵を監視し除去する仕事をした。 米防諜隊、米空軍情報機関、米CIAなど多くの情報機関が韓国特務隊と緊密な協力関係にあった。

 当時特務隊は李承晩の私組織のように動いた。 特務隊は軍隊あるいは官僚組織特有の指揮・命令系統を無視して李承晩にすべての活動を直接報告する特権を享受していた。 特務隊長キム・チャンニョンは事実上、李承晩に次ぐNO.2として振る舞った。 彼は手柄の前には戦友がおらず、利害が相反する人を容共として追い立てるクセがあるという批判を受けたし、彼が検挙したという事件の9割は虚偽捏造で1割でも針小棒大だったという話があるほどだった。結局、李承晩とキム・チャンニョンの個人組織のようなものだった特務隊の越権を見ておれず部下のホ・テヨンが救国忠誠でキム・チャンニョンを狙撃し本人もまた結局処刑された。

 キム・ジョンピルをはじめとする5・16軍部クーデター勢力はクーデター直後に米国のCIAを見習った情報機関を作った。 この時に設立された中央情報部の主軸は対共・捜査業務のベテランだった過去の特務隊要員だった。 以後、軍・民間のこの二つの捜査情報組織は1990年代初めまで政治過程の各峠でほとんどすべての事案に介入し大韓民国の今日を作り上げた。 機務司と国家情報院の歴史がすなわち大韓民国の歴史であり、金九(キム・グ)暗殺、曺奉岩(チョ・ボンアム)死刑などで始まった大韓民国史の陰謀政治ですべての過程はこの二つの機関を除いては説明できない。

←李明博政府はもはや機務司や国家情報院が昔のようには政治査察できないという事実を知り、公職倫理支援官室のような秘密査察組織を作り運営しようとしたものとみられる。 去る3月20日午後、ソウル、中区(チュング)、太平路(テピョンノ)のプレスセンターで開かれた記者会見でイ・ヨンホ前大統領府雇用労働秘書官がその間の疑惑に対して強く否認している。 写真キム・ジョンヒョ記者

秘密査察組織を作り運営したMB政府

 朴正熙政権時期、中央情報部は野党政治家はもちろん与党政治家まで査察したし、国会活動にまで介入して議員を萎縮させたり、議員の私生活を査察して弱みを握っておき、必要な時に脅迫用カードとして活用した。 表面的には不正事実の収集とは言うが、実際には女性関係を含むすべての私生活を査察した。 中央情報部は事実上法の上に存在したし、通常的指揮・命令系統を完全に無視した。 例えば‘実尾島(シルミド)’事件で知られた特殊部隊は指揮系統上は空軍所属だったが、空軍2325部隊長と209派遣隊長は中央情報部に報告を行い、実際には中央情報部所属部隊のように運営された。

 1973年に発生した金大中拉致および殺害未遂事件も背後に中央情報部があったことが分かった。 当初、朴正熙は金大中拉致事件を聞いて激怒したと報道されたが、国家情報院過去史委員会で明らかにしたようにすべての情況を考慮する時、朴正熙の最側近である中央情報部長イ・フラクが朴正熙の最大政敵である金大中を拉致・殺害しようとした行動が朴正熙の黙認あるいは同意なしに推進したとは見難い。 これは中央情報部という工作機関が最高権力者の指示、黙認あるいは命令の下に国家安保という本来の目的と関係なく実質的に政治工作を行ったことを示す重要な事件だ。

 1990年10月、保安司が査察カードを作り民間人まで査察しているという事実をユン・ソクヤン二等兵が暴露した。 1994年警察庁国政監査では警察も民間人査察カードを管理しているという事実が確認された。 その後、金泳三政府は民間人査察を禁止すると約束し、情報機関も査察カードを廃止して今後は民間人を査察しないと言った。 しかし、その約束が守られたかを確認する方法はない。 金大中政府の時も警察が安全企画部の指摘で各界要人と社会団体に対する情報を収集し人物資料と団体資料を作成して管理しているという事実が明らかになった。 警察が明確な法的根拠もなしに警察コンピュータ・ネットワークを照会できる端末を機務司・安全企画部・大統領府などに設置して各種身上情報を閲覧できるようにしていたという事実も明らかになった。 捜査情報機関には裁判所の令状なしに国家情報院の自主承認の下に盗聴する例外条項がある。 国家情報院は2003年一年間に何と7281件の通話内訳を問い合わせた事実が国政調査で明らかになった。 この照会が全て対共査察のためのものであったか知る術はない。

 民主化された以後、捜査情報機関の活動は大幅に制限されたが、情報機関は依然として過去‘うまく行っていた’時期の慣性を捨てられずにいるという事実が露見した。 機務司や国家情報院の各種違法事実がそれを物語る。 李明博政府はもはや機務司や国家情報院が昔のように政治査察をできないという事実を知って、支援官室のような秘密査察組織を作って運営しようとしたものとみられる。 歴代政権に見たように、秘密査察活動は通常権力者の最側近が遂行するケースが多く、彼らは指揮決裁ラインを無視して権力者の業務指示を直接受ける。 今回の総理室と大統領府の関連要人がほとんど‘迎浦(ヨンポ)ライン’(イ大統領の故郷である慶北(キョンブク)迎日(ヨンイル)・浦項(ポハン)出身)ということが示唆するところが意味深長だ。 かつての査察機関がスパイと左翼を捉えるという名目の下にとんでもない人々を数えきれない程‘捉えたように’、今回もキム・ジョンイク氏のような私企業の社長を犠牲の羊にした。かつて保安司(機務司)や中央情報部(安全企画部・国家情報院)の捜査、被疑者の不法拘禁・拷問など相当数の活動は不法の塊りであった。 特に機務司の民間人査察や国家情報院の政治家査察活動が職務範囲を抜け出した違法な行動であったように、今回の総理室の政治家と私企業社長査察もやはりいかなる法的根拠もなしに事件隠蔽のために犯罪組織が使う不法携帯電話までを堂々と使った。 それでも不法政治査察が数十年間繰り返されてきた理由は、その機関が事実上大統領、すなわち最高権力者の直接的保護と統制下にあったために誰も彼らの活動をあえて批判できなかったためだ。

MB政府の最大権力型ゲート

 国民と国会の監視と統制の外にある捜査情報機関のこのような法律違反的・不道徳活動、決裁ライン無視による公職規律紊乱のために、国民は権力をより一層不信に思うことになった。 すでに満身瘡痍になってこれ以上捜査機関としての資格がない検察がどこまで明らかにするかは分からないが、この事件は李明博政府の最大権力型ゲートになりそうだ。

文 キム・ドンチュン聖公会(ソンゴンフェ)大社会科学部教授

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/526157.html 訳J.S