原文入力:2012.03.31 13:47(5423字)
←特務隊は軍隊や官僚組織特有の指揮・命令系統を無視して李承晩大統領にすべての活動を直接報告する特権を享受した。 特務隊長キム・チャンニョンは事実上、李承晩に次ぐNO.2として振る舞った。 李承晩大統領が特務隊長キム・チャンニョンの挨拶を受ける様子. 資料
[金東椿(キム・ドンチュン)の暴力の世紀 VS 正義の未来] 総理室民間人査察事件に見る国家情報院など情報機関査察史…最高権力者のためだとして行った不法的工作政治は現在にまで繋がる
総理室による民間人査察事件を巡る疑惑がますます拡大している。 最大の問題になったキム・ジョンイク氏事件を見れば、彼はKBハンマウムという国民銀行の子会社の社長であったが、ロウソクのあかり動画を自身のブログに上げたことが問題になり結局自身の所有会社の株式を全て放棄し会社から退くことになった。 彼を査察した主体は総理室の公職倫理支援官室(以下、支援官室)であったし、彼を査察し国民銀行に圧力を加えて退かせた事実が明らかになった。 2010年ソウル中央地検不法査察特別捜査チームはこの査察の実務を担当した支援官室のウォン・チュンヨン事務官の‘ポケット手帳’を確保した。 手帳には与党の有力政治家と民主労総、YTNなど政界・官界・労働・言論界全般を相手に広範囲な査察を行った情況が記されている。 健康保険徴収公団統合案を立法発議したハンナラ党(現セヌリ党)イ・ヘフン議員、ウォン・ヒリョン、コン・ソンジン議員も査察対象になった。 ハンナラ党のナム・ギョンピル、チョン・ドゥオン議員、オ・セフン前ソウル市長、親朴連帯、朴槿恵議員まで査察したという話もある。 査察対象は全て李明博大統領を批判したり、政治的に対立したり不快な関係にあった人々だ。
最高実力者抜きには不可能
最近、この事実を暴露したチャン・ジンス前支援官室主務官の録音収録によれば、チャン前主務官は支援官室で勤め始めた2009年8月から民間人不法査察事件が起きる前の2010年7月まで特殊活動費から毎月280万ウォンをイ・ヨンホ前大統領府雇用労使秘書官などに届けていた。 大統領府民政首席室がチャン主務官に口止め料として5千万ウォンを与えたという証言が出てき、この査察の報告を継続的に受けた大統領府雇用労使秘書官室のイ・ヨンホ前秘書官は自身が証拠隠滅を指示したと主張しもした。 支援官室は総理室所属だが、業務ラインを無視して大統領府の直接指示を受けたし、公職者はもちろん政界など各界要人を査察する秘密査察機関の役割をしてきたことが確認された。 政府与党の次期大統領候補まで査察対象に含まれていたため当初検察が事実上捜査をあきらめたり事件隠蔽に共謀したような情況を見る時、大統領府や現政権の最高実力者が介入せずにはこの水準の違法的政治査察が公然となされることはありえないだろう。
金大中・盧武鉉政権を除けば韓国の歴代政権は常に対共査察の名目で政治的反対勢力を査察して、その情報で弱点を握ると、それを武器に相手方を無力化しようとしてきた。 最高権力者はいつも権力強化と反対勢力除去のために査察組織を利用しようとする誘惑から抜け出せなかったし、この組織もやはり影響力拡大の利害関係のために絶えず不法的に活動領域を拡大しようとしてきた。 韓国の捜査情報機関である軍の機務司令部(旧、防諜隊・特務隊・保安司),国家情報院(中央情報部・国家安全企画部),警察の保安課(旧、査察課・情報課)等はこれまで多くの不法で不道徳な方法で国内で野党、社会運動家、反政府人士に対して査察活動を行ってきた。 査察対象者を逮捕し拷問して、漁師をスパイに変身させたり、彼らの人生を根こそぎ破壊するなどの問題を起こしてきた。
すべての国家は法の上で隠密に動く捜査情報機関を設けていて、20世紀初めから現在まで活発に活動している。 英国の諜報機関 M16,かつてのドイツの秘密警察(シュタージ)と日本の特別高等警察(特高),憲兵隊、ソ連の国家保安委員会(KGB),米国の中央情報局(CIA),米軍の防諜隊(CIC)等がある。これらは政治的性格の捜査査察、防諜、国家機密収集活動などを行ってきた。 その活動で盗聴と監聴、嘘、事件捏造、暴力と拷問、脅迫、否認など通常の犯罪組織と類似の仕事をやってのけた。 冷戦時代この機関の活動は全て‘国家安保’の名で正当化された。 そしてこの機関は国家安保の先鋒と考えたため安保のためには適当な嘘と適切な法律違反行為は避けられないと見なした。
特務隊、李承晩の私組織
解放直後、韓国捜査情報機関の母胎は警察査察課であった。 1948年11月、警察捜査課に属した査察業務が分離して査察課が作られ、地方にも査察課・査察係が新設された。 その頃、査察課は別途の事務室、すなわち査察分室を設置していた。 警察は国民保導連盟など業務が多くなると分室の下にまた分室を設け、東大門(トンデムン)市場・ソウル駅・南大門(ナムデムン)など人が多く集まるところに事務室を設置し個人会社の看板を懸けて偽装した。 この査察分室はイ・ジュハ、キム・サムニョン検挙、国会プラクチ事件などの主要事件を担当した。 韓国戦争前後、思想検事オ・ジェドは当時査察分室に住み込むようにして事件を指揮した。 以後の拷問や虐殺などはほとんど査察係が主導した。 当時、警察査察係は絶対的な権力機関だった。
1945年解放直後に進駐した米軍防諜隊は大韓民国政府が樹立される以前から日帝時代の憲兵・警察出身者を訓練して将来の韓国軍秘密情報要員として育成しようとした。 李承晩は政府樹立前後に米防諜隊の後身として大韓観察部を作ろうとした。 大韓観察部の責任者は‘モンタナ チャン’として知られた李承晩の熱烈な追従者チャン・ソギュンだった。 しかし大韓観察部は何の法的根拠もない不法組織であったため野党の反対に直面し解散され、陸軍情報局(G2)傘下にあったが結局、韓国戦争中に防諜隊(以後に特務隊)として分離し復活した。政府樹立直後からこの組織は国家転覆勢力を探し出すという美名の下に実際には李承晩の政敵を監視し除去する仕事をした。 米防諜隊、米空軍情報機関、米CIAなど多くの情報機関が韓国特務隊と緊密な協力関係にあった。
当時特務隊は李承晩の私組織のように動いた。 特務隊は軍隊あるいは官僚組織特有の指揮・命令系統を無視して李承晩にすべての活動を直接報告する特権を享受していた。 特務隊長キム・チャンニョンは事実上、李承晩に次ぐNO.2として振る舞った。 彼は手柄の前には戦友がおらず、利害が相反する人を容共として追い立てるクセがあるという批判を受けたし、彼が検挙したという事件の9割は虚偽捏造で1割でも針小棒大だったという話があるほどだった。結局、李承晩とキム・チャンニョンの個人組織のようなものだった特務隊の越権を見ておれず部下のホ・テヨンが救国忠誠でキム・チャンニョンを狙撃し本人もまた結局処刑された。
キム・ジョンピルをはじめとする5・16軍部クーデター勢力はクーデター直後に米国のCIAを見習った情報機関を作った。 この時に設立された中央情報部の主軸は対共・捜査業務のベテランだった過去の特務隊要員だった。 以後、軍・民間のこの二つの捜査情報組織は1990年代初めまで政治過程の各峠でほとんどすべての事案に介入し大韓民国の今日を作り上げた。 機務司と国家情報院の歴史がすなわち大韓民国の歴史であり、金九(キム・グ)暗殺、曺奉岩(チョ・ボンアム)死刑などで始まった大韓民国史の陰謀政治ですべての過程はこの二つの機関を除いては説明できない。