原文入力:2011-02-09午前11:43:00(1864字)
←22年間、その姿を守ったデボネア
5Gグレンジャーが登場しました。グレンジャーは広告で見るとおり永い歳月を経てきました。今はエクースやジェネシスのような上位車種が発売され力が抜けたりしていますが、一時は大韓民国を代表するラグジュアリーブランドです。如何お過ごしですかと問う友人に‘グレンジャーと答えた’という広告がただで出てきたことではないのです。
現在のグレンジャーは現代自動車のファミリールックである‘流線型’に則り現代のエンジンに多様な独自技術が適用されたモデルです。現代自動車の現位置と実力を示す生き証人のようなモデルでしょう。だが、1986年に初めて登場した1世代グレンジャーは現代自動車の独自モデルではありませんでした。
その当時、多くの車がそうであったように日本車をベースとしていましたよ。現代自動車は協力関係にあった三菱との共同開発を協議しました。そして三菱テボネア(Devonair)の2世代開発に着手することになります。テボネアは‘走るシーラカンス’と呼ばれるほど古い車です。(シーラカンスは生きている化石と呼ばれる中生代の魚類です。) 1964年にデビューし1986年まで22年間、全く変わらなかった強靭なモデルでしょう。
1988年ソウルオリンピックを控えラグジュアリーカーに対する必要性を感じた現代自動車とテボネアをアップグレードしなければならない日本三菱モータースの利害関係がよく合致したんですね。三菱がエンジンをはじめとする駆動系などを担当し、現代自動車がデザインを担当し、ついに1986年にテボネア2世代、その結果 有名な‘角グレンジャー’が姿を現します。
←三菱‘テボネアV
韓国でグレンジャーは4気筒2.0Lエンジンを基本に発売され、日本のテボネアは三菱が初めて作ったV6エンジンを搭載しました。韓国でグレンジャーは6年間に9万台余りが販売される空前のヒットを記録します。きらめく大きなグリルとFF方式により一層広くなった室内空間が一役買いました。しかし、デボネアはそうではありませんでした。苦戦をまぬがれなかったんですよ。トヨタ クラウンという難敵がいたし、テボネアという名前自体が1世代 22年間、一度も変わらずに販売された‘古い車’という認識が強かったのでしょう。何より現代自動車が作った‘誇示型’の外観が日本好みではなかったのかも…。このようにしてグレンジャーとテボネアは初めから別の道を歩むことになります。
テボネアは以後1992年に3世代に変化します。これまた現代自動車との協業によるもので‘ニューグレンジャー’がまさにこのモデルです。256馬力の3.5L V6エンジンを積んだテボネア3世代はABSシステムと4ホイール ステアリングなど三菱の多くの新技術が結実したモデルでした。しかし、やはり韓国とは異なり販売は振るわず1998年に断種されます。
←3世代テボネア
テボネアをあきらめた三菱ですが、高級車ラインナップを捨てることはできず、再び現代自動車との協力でプラウディアを作ることになります。すなわち現代自動車のエクースでしょう。プラウディアが登場した1999年に現代自動車はグレンジャーはグレンジャーとして作り3世代をリリースし、エクースはエクースなりに作りフラッグシップとしてポジショニングされます。韓国で人気を呼んだエクースとは違い、プラウディアとリムジン型ディグニティーは三菱に挫折だけを抱かせます。プラウディア/ディグニティーを合わせてデビュー初年度の1999年生産量が398台であり400台にもなりませんでした。当時、三菱の代表走者だったパジェロ シリーズが10万台を超えて生産されていたので、どれ程だったか推察可能です。
←誇らしい(PROUD)ダイヤモンド(DIAMOND)という意味のプラウディア
三菱は以後、大型高級セダンを出していません。パジェロのようなSUVとランサーなど中小型セダンが主力です。そして韓国では現代が独自開発したグレンジャー5Gが華麗な姿を現しましたね。
テボネオの挫折と断種。その間の三菱の衝撃が如何に大きかったかが伺われます。
←5Gグレンジャー
ユン・ヒョンチョル客員記者
原文: https://www.hani.co.kr/arti/economy/car/462481.html 訳J.S