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‘あれから20年’三星(サムスン)は国家になった

登録:2013-05-31 21:20 修正:2013-06-01 07:35
93年新経営宣言の後‘世界企業’になったが…
1987年45才で三星(サムスン)グループ会長に就任したイ・ゴンヒ会長は、1993年6月7日ドイツ、フランクフルトで「妻と子供を除いて全てを変えよう」という新経営を宣言した後、20年間 絶対的影響力を発揮している。 1994年三星家族 一つの心祭りに参加したイ会長の姿

総帥が果実を独占・経営権世襲など危険な独走

米国式経営システムを組み合わせた1993年新経営宣言の後
‘国内1位’を越えて‘世界企業’に
経済・政治・社会の全分野で影響力急増…
総帥が果実を独占する‘利益・費用 不一致’構造が拡大

 1993年6月7日ドイツ、フランクフルトのケンピンスキー ホテル。 三星(サムスン)グループの核心経営陣200人余りが一堂に集まった。 この日イ・ゴンヒ会長は‘質中心の経営’を宣言して、このように話した。 「国際化時代に変わらなければ、永遠に2流か2.5流になるだろう。 今のように上手くやってようやく1.5流だ。 妻と子供を除いて全てを変えよう。」

 1987年11月故イ・ビョンチョル会長が他界した後、父親を継いで2代会長に就任したイ・ゴンヒ会長が6年間にわたりグループの問題点と限界を研究した後に明らかにした経営哲学だ。 イ会長は1997年に発刊したエッセイ集<少し考えて世界を見よう>で当時の状況をこのように説明している。 "会長に就任したら何もかもが茫漠としていた。 私があらゆる事を担わなければならないが世界経済は低成長の兆しを見せていたし、国内経済は3低好況後の陰が濃厚に垂れこめていた。 このような状況なのに三星(サムスン)内部には緊張感がなく‘自分が一番だ’という錯覚から抜け出せずにいた。"

資産13倍、グループ時価総額は44倍に増加

 全てを変える対象は‘自分’であった。 1993年9月に出した<三星新経営>で、イ会長は「自分から変わらなければならない」と明らかにした。 「何でも良い。 自分自身が良心的に考えて‘これは他人に有害だ’ということを全てなくしてみよう。 そのような意味でまず私たちに最も至急必要なことが人間味と道徳性の回復だ。 これからは個人の利己主義、集団利己主義をなくしてみよう。」

 20万人に及ぶ職員の出退勤時間を強制的に変えた‘7・4制’(朝7時出勤、午後4時退勤)が信号弾だった。 社会通念を打破する新しい規範で新鮮な変化の風を起こすためだ。 また、生産ラインを中断させても不良率を先進国水準に下げて、1品目だけでも世界一の製品を作るよう要求した。 1995年にはいわゆる‘不良製品火刑式’も行なった。 その年の3月9日、慶北(キョンブク)亀尾(クミ)事業場で三星電子役職員2千人が集まった中で携帯電話・ファクシミリなど市価500億ウォン相当の製品をハンマーで壊し焼いてしまった。 質の経営を前面に掲げた新経営は、以後10年間より強力に推進され、その結果三星は半導体をはじめとしてTVと携帯電話分野で目覚しい外的成長を記録する。

 1993年30兆ウォンに至らなかった売上は2012年には380兆ウォンへ13倍、グループ時価総額は同じ期間に8兆ウォンから338兆ウォンに44倍も増えた。 グループ総資産も435兆ウォンに、税引前利益も39兆1千億ウォンへ大幅に跳ね上がった。 イ・ゴンヒ会長の就任以後1991年から1997年までハンソルグループと新韓グループ、CJ(旧 第一製糖),新世界グループ、普光グループが相次いで系列分離したという点を勘案すれば‘他の追従を許さない’成績表だ。 就任時、現代グループ(当時)等に負けていた財界順位も独歩的な1位を固め、何より三星電子のブランド価値が世界9位に上がった。 ブランドコンサルティンググループ インターブランドの集計によれば、2012年三星電子のブランド価値は329億ドル(約36兆ウォン)で前年(234億ドル)に比べて8段階上昇した。 長期に渡る競争相手であったソニー・パナソニックなど日本企業を大きく追い抜いた結果だ。 新しい競争者も押しのけた。 アップルがスマートフォンをリリースして携帯電話の絶対強者であったノキアは再起不能の沼に陥ちたが、三星(サムスン)電子は反対にアップルを抜いた。 市場調査業者ガートナーが発表した2013年1分期グローバル携帯電話販売量集計を見れば、三星電子はスマートフォン市場で30.8%の占有率を記録し1位を占めた。 フューチャーフォンを含む携帯電話市場全体でも23.6%を記録した。 2位は18.2%に終わったアップルだった。 三星電子の1分期売上額と営業利益は、それぞれ52兆8700億ウォン、8兆7800億ウォンだ。 第2四半期にはギャラクシーS4とギャラクシーノート8.0のおかげで営業利益が11兆ウォンを越えると展望される。

 ソン・ジェヨン、イ・ギョンムク ソウル大経営学科教授は、2011年7月<ハーバード ビジネスレビュー>に‘三星成功のパラドックス’という論文を出し、三星の成功要因をこのように分析した。 「三星は伝統的な日本式経営システムを受け入れたが、イ・ゴンヒ会長が1993年新経営を導入した以後は米国式経営を積極的に組み合わせながら2種類の経営の長所を結合した特有の三星式経営を作り出した。」ハン・チャンス三星経済研究所首席研究員も「半導体やスマートフォンのような天文学的投資が必要な事業分野で、強力なカリスマを持った‘オーナー’が迅速果敢に意志決定を下した」として 「イ会長の新経営宣言を抜きには世界的な企業に成長した三星を説明することはできない」と話した。

系列会社に押し付けた三星(サムスン)自動車の失敗費用

 だが、イ・ゴンヒ会長の絶対的影響力とリーダーシップは同時に致命的な暗い影を落とす。 「事業失敗の負担が系列会社に負わせられた代わりに、成功と果実は総帥が受け持つ‘費用・利益 不一致’が存在」(キム・サンジョ漢城(ハンソン)大教授・経済改革連帯所長)するためだ。 三星自動車の経営失敗がそうだった。 イ会長は自動車収集狂だ。 米国留学時期には自動車に心酔して、1年6ヶ月間に自動車をばらして組み立てまた売って、車を6回も変えたという。 1987年の就任当初にイ会長は秘書室に乗用車事業進出方案を樹立するよう指示した。 三星生命を通じて起亜自動車を買収しようとしたが失敗し、1995年に日本の日産自動車と技術提携して自動車会社を設立した。 工場設備と自動車部品を日本から輸入して組み立てて1998年から中型車SM5を生産し始めた。 しかし外国為替危機を克服できず1998年には法定管理に入る。 損失は2兆4500億ウォンに達した。

 1999年イ・ゴンヒ会長は三星生命株式400万株を出し損失補てんを約束し、2000年末までに現金化されない場合には31ヶの系列会社が共同責任を負うことで合意書を作成した。 だが、期限が過ぎ、債権団がイ会長と三星系列会社を相手に訴訟(訴訟額 4兆7830億ウォン)を起こした。 2008年1月と2011年1月に1・2審裁判所は合意書の効力を包括的と認定して債権団の手をあげた。 だが、イ会長には事実上の免罪符をくれた。 イ会長が差し出した三星生命株式を売っても債権団の損失が補填されない場合、残りの損失の元金と遅延利子は全て系列会社が一手に賄わなければならないという理由からだ。 パク・クンヨン参与連帯協同事務局長は「当時の合意書はグループ構造調整本部次元でイ・ゴンヒ会長の責任を免じさせようとして系列会社の腕を捻って支払保証をさせたもの」とし 「元金不足分と遅延利子は当然にイ会長が追加で個人財産を差し出して責任を負わなければならない」と主張した。 現在、事件は最高裁に係留中だ。

 ‘法の前の平等’原則もイ・ゴンヒ会長はひらりとかわす。 ‘三星エックスファイル’と三星秘密資金事件が代表的だ。 2005年6月、三星共和国の実体を見せる‘三星エックスファイル’が公開された。 1997年9月国家安全企画部が三星電子イ・ハクス副会長と<中央日報>ホン・ソッヒョン会長が交わした私的対話を不法に録音したファイルだが、イ・ゴンヒ会長の指示で三星が政・官界要人をどのように管理しているのかを垣間見られる資料であった。 だが、三星一家は検察でついに無嫌疑処分を受けた反面、三星の‘餅代検事’を公開したノ・フェチャン当時民主労働党議員だけが逆に名誉毀損容疑で有罪判決を受けた。 ノ前議員は2013年2月結局議員職を喪失した。

目をつぶった秘密資金、財閥便法贈与 先例に

 2007年10月29日キム・ヨンチョル前三星構造調整本部法務チーム長(弁護士)の良心告白を契機に浮上した三星秘密資金事件でも、レパートリーは全く同じだった。 キム弁護士は三星が自分の知らないうちに自分名義の借名口座を開設し50億ウォン程度の現金を入出金したと明らかにした。 以後イ・ゴンヒ会長は世論に押されて秘密資金事件の責任を負い、2008年4月経営退陣を宣言した。 三星特検はイ会長が役職員名義の1199ヶの借名口座で4兆5千億ウォンに及ぶ秘密資金を運営していた事実を確認しながらも、故イ・ビョンチョル会長が譲った未申告財産という三星の弁解をそのまま受け入れた。 結局、租税脱漏疑惑についてのみイ会長を起訴し、最も重要な秘密資金造成とその使途に対する捜査はきれいに覆い隠した。

 財閥グループのある役員は、秘密資金事件が三星にむしろ得になったと評価した。 「4兆ウォンを越える借名財産が若干の税金と罰金だけ出して陽性化され、3世への経営権世襲にも事実上の免罪符が与えられたではないか。」 ‘悪い先例’は絶えることなく続いた。 以後、CJと新世界、韓火(ハンファ)グループでも総帥が借名口座を利用して相続・贈与税を脱漏したり個人資金を運営していた事実が明らかになったが、三星と同じように先代会長の相続財産という論理で法の網を巧妙にくぐり抜けた。

三星グループは去る20年間、他の追従を許さない外的成長を見せた。 売上は13倍、時価総額は44倍、税前利益は49倍も増えた。 だが、三星の絶対独走は国民経済システムにとって危険信号と読まれる。 ソウル瑞草洞(ソチョドン)の三星電子社屋の姿。

 2009年12月イ・ゴンヒ会長は類例のない単独赦免を受け、2年ぶりに経営一線に復帰する。 名分は‘危機論’だった。 「三星の代表製品も10年以内に全て消える恐れがある。」 多くの言論も‘オーナー経営礼賛論’を展開することで積極支援射撃に出た。 当時、英国の経済週刊誌<エコノミスト>が書いた記事の一部を見よう。 "2年間独立経営に出た三星は遅々として進まなかった。 何よりグループ全体的に未来に対する不確実性が大きくなったことが問題であった。 三星内部では‘私たちがいったいどこへ向かっているのか’という不安が高まったが、責任を負える人はいなかった。 結果的に独立経営の2年間、三星は‘広い海を羅針盤なしで漂う船’に転落したという内部評価が広まった。"

 だが帰ってきたイ・ゴンヒ会長は以前よりさらに強化された絶対権限を握ったし、2012年4月にはよどみない発言で外信の注目をあびる。 イ会長の長兄イ・メンヒ前第一肥料会長らが遺産関連訴訟を提起するや兄メンヒ氏らを‘水準以下’と表現して「一銭もやらない」と話した。 これに対しメンヒ氏が 「コンヒが子供のような発言をするのを聞いてとても慌てた。 コンヒは兄弟間の不和ばかり加重させてきたし、自分の欲望だけを満たしてきた」 と非難し、イ会長は再び‘退出した両班(ヤンバン)’という表現まで使って激情的に感情を表わした。 「イ・メンヒ氏は恐れ多くも私に向かって‘コンヒ’‘コンヒ’と言える義理ではない。 私を含めて誰も(イ・メンヒ氏を)初孫だと考える人はいない。」

 米国の<ニューヨーク タイムズ>は「普段言葉に慎重なことで有名なイ・ゴンヒ会長がこの頃は完全に別の面を見せている」として三星一家の財産紛争がTVの通俗劇のように広がっていると述べた。 <ファイナンシャル タイムズ>と<ウォールストリートジャーナル>も "どん詰まり連続ドラマ水準" とか "醜悪な争い" と報道した。

"進歩政権になっても三星と妥協すること"

 NO.1のよどみない発言を自制させたりろ過できるシステムが三星内部に備わっていないということが実はさらに大きな問題という指摘が多い。 三星新経営で‘憲法’と規定した△人間味△道徳性△エチケットという倫理綱領は、イ・ゴンヒ会長には適用されないという意味だ。 ‘新しい社会を開く研究院’のキム・ビョングォン副院長は「‘妻と子供を除いて全て変えなさい’と新経営を宣言したが、去る20年間経営権世襲や皇帝経営などはより一層強化された」として「2008年グローバル金融危機以後、企業の社会的責任を要求する声が高まっているのに、三星はグローバルな流れについて行くことができない」と評価した。

 三星の絶対独走は国民経済システムにとっても危険信号と読まれる。 1987年に汎三星グループの資産は国内総生産(GDP)の5.7%だったが、2010年には何と20%に増加した。 その内 CJ・新世界を除いた三星単独でもGDP対比で17.4%の資産を保有している。 総設備投資での占有比重も同じだ。 2010年の場合、汎三星グループは我が国設備投資総計の16.9%、三星グループ単独でも15.3%を担当している。 この数値は三星生命など10ヶの金融系列会社は勘案しないものだ。

 キム・サンジョ教授は<縦横無尽 韓国経済>で 「財閥共和国を越えて、三星共和国になったといっても過言ではない。 恐ろしいではないか?」と反問する。 「どんな政権が彼らの要求、特に三星の要求を無視できようか? 進歩政権でさえも財閥と妥協するのが常だろう。」 特に財閥の経済力集中が中小企業の存立を脅かし、中小企業が大企業に成長する道を遮っているならば、国民経済の持続可能な成長のための好循環構造を破壊しかねないと語った。 安哲秀(アン・チョルス)議員(無所属)も2011年3月、カイスト客員教授時期に寛勲(クァンフン)クラブ招請フォーラムで「大企業の不公正取引慣行が国家経済に悪循環を呼び起こす」と指摘したことがある。 「新生業者は三星やLG,SKなどの大企業に納品するために不公正独占契約を泣く泣く結ぶことになるが、その瞬間から三星動物園、LG動物園、SK動物園に閉じ込められることになる。 結局、研究・開発(R&D)投資などをできないまま動物園から死ぬまで抜けられない。」

 経済領域を越えて政治・社会全般まで三星の新経営が影響を及ぼしているとホン・ソンテ尚志(サンジ)大教授(文化コンテンツ学)は説明する。 「三星の力は(三星グループ傘下の)三星経済研究所が客観的研究結果に切り替えて発表し拡散させる‘三星イデオロギー’に始まる。 核心内容は‘三星が最高であり、三星が最高の地位を占めたのは純粋に能力と努力のおかげという考え’だ。 反対に不当インサイダー取引、不法相続、労組弾圧、政経癒着などは徹底的に隠す。 途方もない過ちを犯しても、多くの人が‘やはり三星’と話す理由だ。 三星研究所が三星共和国の知識政治司令部であり、知識政治の出発点が1993年のフランクフルト宣言だ。」

キム・ジェヒョン分かち合い文化社会行動チーム長が29日午後、ソウル江南(カンナム)の三星電子本館前でフッ酸漏出事故隠蔽糾弾1人示威を行っている。 キム・ギョンホ記者 jijae@hani.co.kr

三星共和国の‘知識政治司令部’ SERI

 1986年に立てられた三星経済研究所は、1990年代初めからソウル市の‘市政改革プロジェクト’等の公共部門に参加しながら政治・社会的影響力を育てた。 規模面でも国策研究機関である韓国開発研究院(KDI)を上回り、研究人材、投資額、ホームページ訪問者数、有料会員数、言論の報道回数などでも圧倒的優位を占める。 イ・グァングン聖公会(ソンゴンフェ)大民主主義研究所研究教授とイ・ギョンファン延世(ヨンセ)大社会発展研究所研究員は去る4月27日に開かれた2013年批判社会学会春季学術大会で同様な主張をした。 「三星研究所はスタート当時、企業環境分析から始めて90年代初期韓国資本の危機感高調の中で登場した新経営戦略の考案と他の企業へのコンサルティングを越えて国家の政策形成過程に参加することになる水準へ持続的に拡大した。 特定資本の利益を代弁する組織ではなく、毎年韓国経済の展望を予測する専門家集団として位置づけ、三星研究所の市民社会掌握力はより一層強化されている。」(論文‘スマート統治の登場:三星経済研究所の登場と影響力強化’)

チョン・ウンジュ記者 ejung@hani.co.kr

https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/589943.html 韓国語原文入力:2013/05/31 16:14
訳J.S(7146字)

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