[特集] 2002年以後10年間 弘大(ホンデ)通り・大学路(テハンノ)周辺 商店 創業・廃業分析…大企業フランチャイズの地域経済占領と経済生態系破壊現象 深刻化(8810字)
□ コ・ナム、イ・ジョンフン
←リッチモンド菓子店 弘大(ホンデ)店が30余年伝統の店を閉めた。代わりにその場所には大企業系列のコーヒーフランチャイズ支店が入る予定だ。去る1月31日、最後の営業をしているリッチモンド菓子店 弘大店 <ハンギョレ21>チョン・ヨンイル
リッチモンド菓子店 弘大店が30余年伝統の店を閉めた。代わりにその場所には大企業系列のコーヒーフランチャイズ支店が入る予定だ。 <ハンギョレ21>がこの事件を契機に自営業の今日と明日を分析した。ビジネス地理情報専門業者‘オープンメイト’とともに、2002年以後の10年間、ソウル弘益(ホンイク)大・恵化洞(ヘファドン)周辺の商店創業・廃業を分析した。 自営業者が消えた後に財閥が率いるコーヒーショップをはじめとして製菓・ファーストフード店が入る現象を確認することができた。 編集者
1979年も多事多難だった。 韓国現代史の1970年代はいつも事件と歴史でぎっしりと詰まっていた。 一年前、歌手シム・スボンが歌った<その時その人>は1979年になるとさらに人気を呼んだ。バスや喫茶店、どこでも韓国初の女性シンガーソングライターと記録される彼女の鼻音混じりの声が流れていた。 新聞には載らなかったものの、歴史と呼ぶに相応しい他の事件もその年の9月4日に起きた。 リッチモンド菓子店がソウル、西大門区(ソデムング)、東橋洞(トンギョドン)弘益(ホンイク)大付近交差点に開店した。その日、弘大(ホンデ)通りのラジオからも<その時その人>が流れていただろう。
リッチモンド、韓国製菓製パン 1世代の退場
←梨花(イファ)女子大後門に位置したウィンドウ ベーカリー‘梨花堂’のすぐそばにはパリバケットの支店が新たにできた(上)。大学路(テハンノ)でもコーヒー・製菓などの業種で財閥は‘ウシガエル’のように自営業者を追い出し地域経済生態系を無慈悲に破壊している(下)。<ハンギョレ21>チョン・ヨンイル
34才のパティシエ(製菓・製パン料理人)は覇気満々だった。 1972年から働いたナポレオン製菓で育てられた。1975年、日本、東京製菓学校を卒業した後にナポレオン製菓工場長として仕事をした。 製パン業者の三立食品が1966年に創業され、シャニーが1972年に開業した。 朴正熙政府は粉食奨励運動を行った。 人為的に低価格の小麦粉を供給した。 1970年代後半、国民所得が上がり食の好みが多様化した。 高品質と個性を追求する‘ウィンドウ ベーカリー’(個人パン屋)が増え始めた。 クォン・サンボム名匠のリッチモンド菓子店はその味ですぐに有名になった。
クォン・サンボム名匠の名前はキム・ヨンモ名匠と共に‘韓国製菓・製パン1世代’と呼ばれる。 2002年労働部が選定する製菓名匠に選ばれた。製菓名匠はまだ10人にもならない。 若い男女はデートする時 "弘大リッチモンド前で会おう" と言った。2012年1月31日、リッチモンド・弘大店閉店を最後に人々は他のランドマークを探さなければならない。 代わりにロッテリアのコーヒーフランチャイズ‘アンジェリナス’が開店する。
去る1月31日午後6時30分頃、すでに夕闇が迫っていた。この日ソウルの最低気温は零下8.5℃だった。 風が強く体感温度ははるかに低かった。 外には「30余年 リッチモンド・弘大店をご愛顧いただいたお客様に感謝申し上げます。私どもリッチモンド・弘大店はやむをえない事情によって2012年1月31日を最後に閉店することになりました。 …突然お知らせした点、頭を下げて謝罪申し上げ…」と書かれた垂れ幕が風にはためいていた。赤色レンガで建てられた古びた4階建て建物周辺は依然として混み合っていた。 寒さをおしてパンを買おうとする人々が列をなしていた。 パティシエと職員は相次ぐ注文にクレジットカード端末の用紙を入れ替えて対応しなければならなかった。 貝殻形にジャムの入った‘シェル’クッキー一箱が1万2千ウォンだった。 真ん中にイチゴとチェリーがそれぞれ一つずつ乗っている生クリーム ケーキは2万8千ウォンだった。 フランチャイズ パン屋に比べて高価だったが、人々は財布を開くことを躊躇しなかった。 ツイッターとインターネット ブログには‘残念だ’という意見とリッチモンド・弘大店の後に入るフランチャイズを糾弾する文が多かった。
ロッテリア側は‘押し出し’疑惑は全く事実でないと明らかにした。 ロッテリア側は「(2011年に)不動産物件が出ていて、私たちが弘大商圏がないため店舗開発チームが偶然に発見することになっただけ」と釈明した。 ロッテリア側は賃貸料を明らかにしなかった。 既にリッチモンド菓子店が数億ウォンの保証金を別にして月の賃貸料だけで数千万ウォンを払っていたことが分かった。 ロッテリアは「リッチモンドが以前にいくら払っていたかは分からない」と話した。‘賃貸料をより多く出すと建物主に話したのではないのか’という質問に「全くそういうことはない」と答えた。
<ハンギョレ21>はビジネス地理情報専門業者‘オープンメイト’とともに2002年以後の10年間、ソウル市内の飲食業、食料品店など主な自営業の創業・廃業現況を調べた。 リッチモンド菓子店が弘益(ホンイク)大周辺核心商圏で30年余り持ちこたえたことが奇蹟のように見える程、財閥の不公正競争が激しかった。
梨花堂のすぐそばに開店したパリバケット
しかし情況はそのような釈明を信じ難くさせる。 リッチモンド菓子店 弘大店は製菓・製パンの売上には全く問題がなかった。 問題は不動産賃貸料であった。 建物主ファン・某氏は賃貸料を上げ続けた。 リッチモンド菓子店は常にそのようにしてきたように再契約を予想して昨年初めに内部インテリアを新しくした。突然、夏に建物主から内容証明が舞い込んできた。 賃貸料引き上げに応じなければ再契約はしないという内容だった。 建物主は代わりにロッテリアと契約した。 登記簿謄本を見れば、ロッテリアは昨年8月、1階99.174㎡(約30坪)と2階165.29㎡(約50坪)を借りる貸切契約を建物主と締結した。 登記簿謄本に出ている住宅保証金は20億ウォンだった。ロッテリアは昨年10月に追加で2階595.044㎡(約180坪)を借りた。 住宅保証金は15億ウォンだった。 4階建物全体の売買価格は数十億ウォンを越えることが分かった。 リッチモンド菓子店の経営は悪くなかった。 しかしクォン・サンボム名匠にも弘益大周辺核心商圏の4階建て建物を購入する数十億ウォンはなかった。 彼は去る1月31日、閉店を知らせる垂れ幕を掲げた。 家業を継ぐために東京製菓学校に行ってきたクォン・ヒョンジュン(37)総括チーム長は父親とともに夕方まで弘大店を守った。 リッチモンド菓子店は当分、城山本店と梨花女子大ECC支店運営に集中する計画だ。
ウィンドウ ベーカリー業界内で驚きと愛惜が共に出ている。 キム・ヨンモ菓子店のある幹部は「残念だ。(リッチモンドは)製菓・製パン業にとって大きな意味のあるブランドだ」として「もちろんリッチモンドが完全に終わったわけではないが(弘大店は)多くの人々の記憶の中にあったパン屋だ。 そのような部分がもったいない」と話した。 リッチモンド菓子店は、博物館でも史跡でも文化財でもない。 韓国の土建資本主義はそのようにして伝統のあるパン屋一つを町から消した。それとともに30年を超えてパン屋に積み上げられた思い出も消えた。
梨花女子大後門に位置した‘梨花堂’を巡っても似た論議が出てくる。 梨花堂は1979年3月、リッチモンドより少し早く開業した。 一時は売り場が広かったが、今は小さくなった。パク・ソンウン(74)社長は今でも直接売り場で電話を受け計算をする。夫人のシン・ヒョンジュ(70)氏は数十年間そうしてきたように直接ほうきを持つ。 去る1月、梨花堂のすぐ隣にパリバケット新村延大店が開店した。 壁一つを隔ててすぐ並んでいる。 パク・ソンウン社長は不安感を隠せなかった。「(フランチャイズが)このように隣に開業するなんてことがあっていいのか。いくら何でも向い側に開くとかすべきだ…。 30年余りやってきてパン屋フランチャイズが入ってきたケースは今回が初めてだ。 ここの商圏がちょっと弱い。 私たちのようなパン屋はどうすればいいのか。」
梨花堂の隣に開店したパリバケット加盟店主キム・某(43)氏は<ハンギョレ21>に「私も(すぐ隣に店を出すことについて)たくさん悩んだ」と話した。「通った会社を退職して経済的に難しかった。 初めて創業をしたので何でもよいわけではなくパリバケットをすることにした」とキム氏は話した。 加盟店開設相談の時、パリバケットはソウルの他の地域の売場引き受けも提示した。 キム氏には権利金を出すお金が足りなかった。 梨花女子大新村周辺にはすでにいくつかのパリバケット店があった。パリバケット本社では梨花堂周辺には梨大付属高等学校と梨花女子大など学校が多く立地が悪くないと説明した。 キム氏は「住民と学生の中にパン屋が新しくできて良かったという方も少なくない」として「(梨花堂とパリバケット)二つともうまくいって欲しい」と話した。
大企業のフランチャイズだけが生き残る
フランチャイズは単純にパンの味だけでなく、パンのデザイン、安楽な椅子、洗練された照明も全てが商品競争力を実現していると抗弁する。梨花女子大周辺にはすでにパリバケット店舗が多い。 梨花女子大の中に‘梨花サラン店’がある。 新村民資駅ビルそばに‘梨大店’がある。 地下鉄2号線梨大駅付近には‘カフェ梨大店’がある。 他のフランチャイズを含めれば、その数はさらに多くなる。 フランチャイズ支店どうしが無限競争する製菓・製パン市場でキム氏は梨花堂との共生を夢見ている。 自営業者どうしが競争する間に加盟費、開設相談およびコンサルト費用などはフランチャイズ本社が利益として持っていく。
<ハンギョレ21>とビジネス地理情報専門業者‘オープンメイト’の分析結果を見れば、共生の夢は夢想に近いようだ。 大企業とフランチャイズが‘ウシガエル’のように経済生態系を蚕食している現象が再確認された。 2002年以後の10年間、ソウル市内の飲食業・食料品店など主な自営業の創業・廃業現況を調べた。 特に弘益大・恵化洞(大学路)等の周辺商圏を綿密に分析した。 リッチモンド菓子店が弘益大周辺核心商圏で30年余り持ちこたえたことが奇蹟のように見える程、財閥の不公正競争が激しかった。
弘益大前の通りの主な商店の平均営業期間は5.95年にとどまった。弘益大前の通りは1月現在283店が生存競争を繰り広げている。 業種別ではビール・焼酎など酒類を販売する遊興酒場と、サムギョプサル(三枚肉)・コプチャン(モツ焼き)・ヘジャングク(酔い覚ましスープ)を商う韓国料理店がそれぞれ98ヶ所(34.6%)、62ヶ所(21.9%)で半数を越える。次いで洋食(29ヶ所・10.2%),粉食(23ヶ所・8.1%),コーヒーショップ・カフェ(16ヶ所・5.7%),鶏・鴨料理(13ヶ所・4.6%),ファーストフードと日式食堂・水産物(12ヶ所・4.2%),製菓・製パン・ケーキ(9ヶ所・3.2%),グルメ食堂・フュージョン料理(4ヶ所・1.4%),中華食堂(3ヶ所・1.1%)の順だ。
リッチモンド菓子店弘大店の上側にスターバックスがあり、向い側にはカフェベネットがあった。 すなわちアンジェリナスが開店するリッチモンド菓子点弘大店跡は財閥コーヒーフランチャイズの無限競争を象徴する場所になったわけだ。 大企業が運営する外食業やフランチャイズ加盟店が主に生き残った。 特にコーヒーショップやファーストフード、パン屋など多様な領域で系列会社を率いた財閥は、商圏要地にいくつかの店舗を所有している。 ロッテグループが断然目につく。 ロッテリア弘大店とカフェ カンタータがすでにあり、リッチモンド菓子店跡にできるアンジェリナスまで含めればロッテ系列店舗は計3ヶ所になる。また、新世界とスターバックスが半々に持分を所有するスターバックス コリアが2ヶ所、GSグループのミスタードーナツも登場する。合わせて外国系会社であるサブウェイ、M2Gタコベルなどが道行く人を誘惑する。 フランチャイズ業界の最強者SPCグループのパリバケットも一役買う。 大企業系列店舗は2000年代後半にでき始めた。 時間がたつほど自営業は押し出され大企業どうしが角逐を行う場所になって行くわけだ。
大企業フランチャイズ、周辺商圏の賃貸料を引き上げ
競争は資本主義の本質だ。 問題は味とサービスというサービス業の本質ではない領域で競争が起きるという点にある。大企業加盟店は店を出して周辺店のお客さんを引き込むのはもちろん、賃貸料上昇にまで影響を及ぼす‘ウシガエル’の役割を果たす。 こちらで10年を超えて韓国料理店を営んできたキム・某氏は「大企業が直営したり加盟店が入ってくれば、お客さんを奪われることも恐ろしいが、高値で開店して周辺店に賃貸料上昇を呼び起こし、より大きな困難を持たらす」として「商売は難しくなる上に賃貸料が上がれば自営業者は持ちこたえられない」と話した。
この間に多くの店が静かに弘益大前の通りを去った。去る10年間に192ヶ所が消えた。 廃業業種は韓国料理が毎年1~8ヶ所ずつ店を閉め計46ヶ所(24%)で最も多かった。次いで遊興酒場(39ヶ所・20.3%),粉食(29ヶ所・15.1%),洋食(22ヶ所・11.5%),ファーストフード(16ヶ所・8.3%),コーヒーショップ・カフェ(15ヶ所・7.8%)等であった。特に店舗廃業は大企業がコーヒー・ドーナツなどの外食業に本格的に参入した2000年代後半以後に多かった。年度別に見れば2002年23ヶ所が店を閉め、以後ずっと減って2007年から再び増えた。 2007年には25ヶ所、2008年20ヶ所、2009年26ヶ所、2010年26ヶ所、2011年16ヶ所が廃業した。
それでも店を閉める数より開く数が多かった。 同じ期間に306ヶ所が‘大当たり’の夢を抱いて創業した。 遊興酒場は95ヶ所(31%)が開業した。 次いで韓国料理が毎年2~11ヶ所ずつ店を開き計60ヶ所(19.6%)が創業し、粉食(28ヶ所・9.2%),コーヒーショップ・カフェ(27ヶ所・8.8%),洋食(25ヶ所・8.2%),ファーストフード(24ヶ所、7.8%)等が後に続いた。
恵化洞の大学路も似た状況だ。こちらの業者の平均寿命は7.6年であり、10年間に169ヶ所が生まれ131ヶ所が消えた。 現在残っている210ヶ所は業種別には韓国料理が56ヶ所(26.7%)で最も多く、洋食(34ヶ所・16.2%),粉食(23ヶ所・11%)が後に続いた。 ファーストフードと遊興酒場がそれぞれ18ヶ所(8.6%)であり、コーヒーショップ・カフェ(15ヶ所・7.1%),製菓・製パン・ケーキ(11ヶ所・5.2%)等と分布している。
大企業系列店舗の看板が弘益大前通りに比べ多様な業種ではるかに多く首を出している。最も多いのはCJであった。パン屋トゥレジュール3ヶ所と中華食堂のチャイナファクトリー、コーヒーショップ ツーサムプレイスなど計5ヶ所だった。 SPCグループはバスキン・ロビンス2ヶ所をはじめとしてパリバケット、パリクロワッサンなど4ヶ所を占めていた。 ロッテはファミリーレストランTGIFをはじめロッテリア、クリスピークリームなど3ヶ所を持った。 この他に新世界のスターバックスが2ヶ所、汎LG系列のアワホームが保有する さぼてん、斗山(トゥサン)のKFC,クッスン堂の百歳酒村などがある。 外国系のハーゲンダーツ、マクドナルド等も一店ずつを占める。これら店舗は23ヶ所に及び、全体の11%を占めていた。
大企業被害で追い出された先で‘出血競争’
去る10年間に131ヶ所が店を閉めた。業種別には最も多くの店舗がある韓国料理が28ヶ所(21.4%)で最も多かった。続いて洋食(24ヶ所・18.3%),粉食(16ヶ所・12.2%),ファーストフード(12ヶ所・9.2%),コーヒーショップ・カフェとファーストフード(10ヶ所・7.6%)等の順であった。 創業も同様な分布を示した。韓国料理と洋食はそれぞれ45ヶ所(26.6%),19ヶ所(11.2%)が開店した。次いでコーヒーショップ・カフェとファーストフードがそれぞれ17ヶ所(10.1%)ずつ新たに登場した。 このほかに粉食(16ヶ所・9.5%),遊興酒場(14ヶ所・8.3%)等と現れた。
特に恵化洞では賃貸料が高い場所に開店できない零細業者が北上する様相を示した。 ソウル大病院がある大学路はすでに大企業系列店舗が布陣しており、表通りから離れたところでも賃貸料が相当高く、小規模自営業者がそれを避けて流動人口の相対的に少ない恵化洞ロータリーの上側へ向かっていた。 企業型スーパーマーケット(SSM)ホームプラスが入ってくるやすぐに廃業した小規模スーパーマーケットや餅屋、パン屋の跡にコーヒー、ピザなど他業種が入った。 昨年ピザ店を開いたチョン・イルギョ(37)氏は「当初、大学路の側を当たってみたが奥まったところでも賃貸料だけで月150万~180万ウォンで、権利金も6千万~7千万ウォンに達していてこちらに開店した」と話した。
大企業を避けたからといって運営が容易になるわけではない。Kコーヒーショップの主人は「小さな商圏を巡りコーヒーショップが昨夏3ヶ所が同時にできてつぶし合いになり、開業後の数ヶ月は赤字だった」として「今は黒字になったが月100万ウォンにもならない水準」と話した。新しい店の出現は周辺にも影響を与えた。N粉食店主人は「こちらで10年を越えてやってきて常連もいるが、トッポッキやスンデの代わりにコーヒーやサンドイッチを買って食べるお客さんが増えているので売上が減っている」と話した。 結局、大企業を避けて追い出された先で小規模自営業者どうしが再び‘出血競争’を繰り広げるわけだ。
店舗閉店傾向は大企業が進出した業種とそうでない業種間で明確に区分される。 大企業が積極的に進出していない中華料理店は2002年に368ヶ所が開店し437ヶ所が閉店した結果、廃業側が69ヶ所多かった。 以後、昨年まで廃業した店舗が創業した店舗より常に多かった。 粉食も同じだ。 2002年2567ヶ所が開店し3631ヶ所が閉店した。 2009年と2010年に創業が廃業よりそれぞれ414ヶ所と571ヶ所多かったことを除けば、毎年下り坂を歩んでいる。合わせて韓国料理は1990年代後半に外国為替危機を体験し創業人口が増え、2004年まで着実に開業が廃業より多かった。 だが、2005年に廃業が創業より680ヶ所多かったことを始め、毎年閉店が増えている。 (零細)自営業者の没落兆候が明確だ。
反面、大企業が進出した製菓・製パン・ケーキとコーヒーショップ・カフェは2000年代後半に入って創業数が廃業数より多かった。製菓・製パン・ケーキは2002年に廃業が創業より159ヶ所多かったが、徐々に廃業が減り2007年からは創業が廃業より多くなった。喫茶店・コーヒー・カフェもやはり2002年の廃業が770ヶ所で創業(599ヶ所)より171ヶ所多かったが、2007年から逆転した。 特に昨年は1521ヶ所が開業し廃業した675ヶ所より2倍以上多かった。
競争は資本主義の本質だ。問題は味とサービスというサービス業の本質でない領域で競争が起きているところにある。大企業加盟店は店を出し周辺店のお客さんを引き込むのはもちろん、賃貸料上昇にまで影響を及ぼす‘ウシガエル’の役割をする。
自営業者の社長の席、非正規職が満たす
これについて中小企業研究院のナム・ユンヒョン博士は「安定した働き口が減り、多くの人が自営業に飛び込んでいるが、半分以上が失敗する」として「最近では大企業がコーヒー・製菓はもちろんトッポッキ・スンデなどかつて小商工人領域と見なされた業種にまで参入し競争を深刻化させ資本力の弱い零細業者を枯死させている」と話した。ナム博士は「ソウル市内でカフェやパン屋の数が増えたが、大企業系列会社が領域を広げた側面が強いと見られる」として「大企業は直営店を開き、非正規職を量産するなど働き口創出にも大きな助けにならない」と指摘した。 自営業者の社長が追い出された席を非正規職が満たしているわけだ。
コ・ナム記者 dokko@hani.co.kr
イ・ジョンフン記者ljh9242@hani.co.kr
原文: http://h21.hani.co.kr/arti/special/special_general/31326.html 訳J.S