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危機回避を図る経済、もうカードは残っていない


原文入力:2012/01/21 16:21(8146字)

←ドイツ、フランクフルトの中心街に位置するヨーロッパ中央銀行(ECB)の前に立てられた大型ユーロ貨幣象徴物の下を市民が通り過ぎている。

 2008年以後、金融状況が休む間もなく悪化していることを示すために使っている‘危機’という概念は、ある悠久な体系に突然異常が生じたことを暗示する。 それなら原状復旧をするために無節制だったこの間の形態を直すこと程度で充分かもしれない。 だが、現在の事態が第2次世界大戦以後、西欧国家に導入された民主資本主義には乗り越えられない類の混沌を内包しているとすればどうなるだろうか?

 毎日のように現在の経済危機を示す事件を見れば‘市場’が国家を支配しているということがわかる。 自称‘民主主義主権国家’とは言うものの、国家は市民のためにできることに限界を示し、市民が要求できることに譲歩を求めている。 国民は一つ明らかな事実を確認する。 まさに政治指導者が自国民の利益のために奉仕するわけではないという点だ。 彼らは国家や民主主義の峻厳な原理から離れているヨーロッパ連合(EU)や国際通貨基金(IMF)のような国際機構のために奉仕する。 大部分は現在のこのような状況に対して概して安定的基礎経済条件にささいな障害が発生したことだと言っている。 ただの危機だということだ。 しかし本当にそうだろうか?

 ‘大不況’(Great Recession)とそれによってほとんど崩壊した公共財政は全て市場の要求と民主主義の要求間の綱引きであり、結局資本主義社会の根幹が動揺していることを現わしていると見ることができる。 市場と民主主義間の葛藤は混乱と不安定を産む。 したがって現経済危機を理解するには本質的に葛藤を内包した‘民主資本主義’と呼ばれるこの体制の変換に光を当てなければならない。

 1960年代末以後、政治民主主義と市場資本主義の間の矛盾を跳び越えるために三種の方案が順次導入された。 最初の解決方案はインフレーション、二番目は公共負債、三番目は民間負債だ。 各方案の解決方式により経済勢力、政界、社会勢力の間には特別な関係が形成された。 しかしこのような方案は順に危機に直面した。 2008年金融為替危機は結局、三番目の方案の終焉と共に、その性格がどのようなものかが不確かな新しい関係の開始を告げている。

民主主義と市場、胎生的葛藤関係

 第2次世界大戦以後、民主資本主義は1960年代末から初めての危機を体験した。 当時、西側世界全体にインフレーションのうずが巻き起こっていた。 経済成長の沈滞は第2次世界大戦以後、労使葛藤解消と平和な関係の持続性を急速に脅かした。 当時まで受容されていた関係方式の骨子は次のとおりだ。 労働階層は政治民主主義に対する代価として市場経済と私有財産制を受け入れた。 当時、政治民主主義は社会保障と持続的な生活水準向上を保障した。 20年間余り、統制なき経済成長が続く中で社会・経済的進歩が民主市民権を形成するという信念を固定化した。 政治指導者はこのような世界観を誇らしく思ったが、多様な政治的要求が拡大した。 福祉国家拡張、自由な団体交渉に関する労働者の権利と完全雇用の政治的保障のような要求であった。 政府はケインズ経済政策を大々的に実行することによってこれらすべての要求事項の受け入れに動いた。

 しかし1960年代末から成長が鈍化し始め、このような関係を持続することが難しくなる。 労働社会的抵抗が全世界に広がり不安定が台頭した。 まだ失業の恐怖を実感できない労働者は生活水準向上のような自身の進歩的権利だと感じた全てのものを放棄しようとはしなかった。

 以後、数年にかけて西側世界の政府は全く同じ問題に直面する。どうすれば完全雇用に対するケインズ式ビジョンを守りながら労組の賃金引き上げ要求を和らげることができるかということだ。 1970年代、多くの西側政府は実質賃金上昇を抑制するために失業率上昇を放置すれば自身の存立基盤や民主資本主義が脅かされると信じた(これは国家最高位階層に共有された信念でもあった)。各国政府はこのような難関から抜け出すために完全雇用と自由な団体交渉を同時に持続しながら一つの方案を講じることになった。まさにインフレーションの拡大を覚悟して通貨政策を緩和することだった。

 初めは労働者にとって物価上昇は特別な問題にならなかった。 物価上昇に実質賃金を連動するよう強要できる非常に強い労組が彼らを代弁したためだ。反対にインフレーションは債権者と金融資産保有者、すなわち相対的に労働者層が殆どいない階層の資産を侵食しながら損害を負わせた。 このような点でインフレーションは分配の葛藤が通貨を通じてそのまま投影されたものと見ることができる。 一方は雇用安定と国家収入に対するより多くの持分を要求する労働者階層であり、他方は投資に対する利益還収を最大化しようと努める資本家階層だ。 両者は各自が依拠することになる、互いに両立不可能な思想を土台にしている。 一方は市民権を主張し、他方は私有財産と市場を前面に掲げる。 従ってここでインフレーションは一つの社会のアノミーを表出する。 社会構成員のすべてが社会の正義の共通基準に対する合意点に到達できないアノミーだ。

成長鈍化にぶつかったケインズ主義

 第2次世界大戦直後、各国政府が経済成長を通じて階層間の反目を緩和できたとすれば、インフレーションは実質経済が生産していない資源を絞り出しながら消費水準と所得の再分配を維持できるようにした。

 いずれにしてもこのような葛藤仲裁戦略は効果的だったが、無制限には持続できなかった。 結局、資産保護に苦心した資本家側の反発を引き起こした。 彼らの対応により、初めは労働者に有利だったインフレーションが失業を産み労働者を罰することになる。 市場の圧力を受けた各国政府は再分配中心の賃金合意を放棄し通貨規制に反転することになる。

 ジェームズ・カーター米国大統領(1977~81)により連邦準備制度理事会(FRB)議長に新しく指名されたポール・ボルカーが前例のない金利引き上げの断行を決め、インフレーションは1979年以後に安定した。 金利上昇のために大恐慌以後、最悪の失業を記録することになった。 ‘ポール ポルカーのクーデター’は投票を通じて認められることになる。 初めはボルカーの取ったデフレーション政策の余波を憂慮すると語ったロナルド・レーガンが1984年に再執権したのだ。 1983年英国では米国の政策に従う厳格な通貨政策で失業者が急増し、急速な脱産業化が引き起こされたのにも関わらずマーガレット・サッチャーが総理再任に成功した。 両国でデフレーションは労組に対する合法化された弾圧を伴った。 以後、数年にわたり資本主義国家全体でインフレーションは制御されたが失業は持続的に増加した。 特にフランスの失業率は1980年の5%から1988年には9%に増加した。 同じ時、労組加入率は急減しストライキも珍しくなり、一部国家では集計さえ止めた。

 新自由主義時代はアングロサクソン国家が第2次世界大戦以後、民主資本主義の一つの軸を廃棄処分した時点に始まった。 その軸とは失業は執権政府だけでなく社会の構成方式の存立基盤である政治的支持を押し倒すという考えだ。 全世界の政治指導者はレーガンとサッチャーが牽引した政策経験に大きな関心を持って追従した。 しかしインフレーションを終わらせれば経済無秩序が解決されると希望した者はまもなく自らその代価を払うことになった。 インフレーションは止まったが公共負債が当面の肩代わりをしたためだ。 1980年代、公共負債は天に向かって上り詰めた。その理由は多様だ。

インフレ拡大に伴う賃金上昇

 先ず景気低迷により納税者は税金納付に敵対的に変わった。 裕福で社会的影響力が大きい人々が最も激しかった。 物価上昇を抑制しながら自動的に税収増加(所得増加に連動した)も止まった。 これは国家通貨の価値を下落させ公共負債を持続的に軽減させることも終わったことを意味した。 事実、通貨価値の下落は初期には経済成長を補完し次第に借金を減らすための最上の手段に変わってきた。 通貨安定化にともなう失業率の上昇で国家は社会支援費用を増やさなければならない状況に達する。 その上、1970年代労組の賃金上昇緩急調節受け入れ(一種の差別化された賃金体系)を代価に形成された色々な社会的権利に対する要求が始まっていた。 これは次第に公共財政を重く押さえ付けた。

市場の圧力、通貨規制に急旋回

 市民と市場の要求の間の間隙を解消するために、インフレーションを再活用することは不可能だった。 結局、社会平和を維持する負担は国家に戻った。 しばらくは公共負債は機能的にインフレーションと同じ役に立つ道具であった。 実際のインフレーションと同じように、公共負債は分配葛藤を緩和するために政府がまだ生産されてもいない資源を流用できるようにしてくれた。 別の言い方をすれば、未来の資源を持ってきて今日必要な資源として充当することだ。 市場と社会の要求間の争いが生産の場から政治の場に移りながら、労組の闘争は選挙圧力に変わった。通貨をどんどん印刷する代わりに、政府が先に立って金をさらに借りてくることになる。 インフレーションの程度が微小だったので、債権者は国債の長期的価値に安心していたし、このような過程は順調に進行された。

公共負債を増やして労働者なだめ

 しかし公共負債の蓄積も永遠には持続できなかった。 かなり以前から経済学者は公共赤字が流用可能な財源を枯渇させ、金利上昇と景気鈍化を引き起こし民間投資を枯死させるだろうと政権に警告してきた。 ところが彼らはその臨界点を捜し出せなかった。 仮にそうだとしても、今しばらくは金融市場規制を緩和しながら相対的に低金利を維持し、労組を無力化しながらインフレーションを抑制することが可能だった。 しかし貯蓄率が例外的に低い米国は直ちに自国民と外国投資家にまで国富ファンドを含めて国債を売り始めた。しかも負債負担が大きくなるにつれ公共財政で利子を支給する比重が増加した。 特に事前に規定できないある時点に国内外債権者は金を返してほしいと要求する筈だった。 したがって‘市場’は国家に財政規律と利子補填に必要な厳格な公共予算を実行するよう圧迫し始めた。

 1992年米国大統領選挙は双子の赤字問題が主な争点だった。 連邦政府の赤字と国家全体の貿易収支の赤字だった。 この問題を選挙戦略を中心にみなしたビル・クリントンが勝利し‘財政健全化’(Fiscal Consolidation)に力点を置いた政策の信号弾が上がった。 全世界的に米国主導の下で経済協力開発機構(OECD)とIMFなどがこのような努力を積極的に約束した。 初期民主党内閣は大々的な社会改革を通じて経済成長を振興し、税金を上げることにより赤字を減らそうとした。 ところが1994年民主党は中間選挙で議席の過半数を得られなかった。 クリントンは路線を急旋回し公共費用の縮小が骨子である緊縮政策を受け入れる。 数十年ぶりに初めて1998~2000年に米国連邦政府は予算黒字を記録する。

←昨年11月‘貪欲’‘誤った偶像’と書かれた黄金の牛模型を持ってウォール街を行進する‘ウォール街を占領せよ’デモ隊

市場の新たな圧力、財政健全化

 しかしクリントン行政府は恒久的に民主資本主義政治の経済を順調に進行させることはできなかった。 彼の社会葛藤調整戦略は多くの部分でレーガン政権の時にすでに始まっていた金融分野規制緩和を拡大する内容だった。 労組の持続的衰退と社会保障支出の大々的削減、財政健全化政策で萎縮した需要などにより所得不平等が急速に深刻化され、これを相殺するために個人と企業らに前例のない水準の貸し出しを可能にした。 これに伴い、公共負債が民間負債に代替されたことを示すもっともらしい名前である‘民間ケインズ主義’が登場することになる。 政府はもはや良質の住宅を平等に供給したり労働者を教育する費用を賄うために金を借りはしない。今後は個人たちが自身の教育、またはより良い住居地に移る費用を賄うために危険とリスクを覚悟して借入れ契約をすることになる(実際、ほとんど選択の余地がない)。

貸出拡大、公共負債を民間負債に

 クリントン行政府が導入した政策は相当な幸福を創り出した。 金持ちは税金をあまり出さなかったし、その中でもあらかじめ感づいて金融分野に投資した人々は莫大な利益を手にした。 その一方で貧困層も全く不満を持つ理由がなかった。 少なくとも初期にはそうだった。 サブプライム信用とこれにともなう‘富のしん気楼’が福祉支援金の削減と賃金上昇(‘柔軟化’された労働市場の最下位層には存在しなかった)に代わった。 特に黒人にとって住宅取得は単純に‘アメリカンドリーム’を実現することだけを意味しなかった。 彼らは働き口を保証されなかったし、持続的な緊縮だけにまい進する政府からは何も期待できなかった退職年金の代わりをするということだった。

‘民間ケインズ主義’で金融は超好況

 したがって自由化は財政健全化と公共緊縮政策を相殺した。公共負債に続き民間負債までが加勢して国家主導の公共需要に代わることになる。 雇用と利益を支えるのは個人需要であり、特に不動産部門はより一層激しかった。 このような動力はアラン・グリーンスパンが率いるFRBが、景気低迷および失業率再上昇を防ぐために低金利を導入する2001年から加速化した。 しかし‘民間ケインズ主義’は金融分野で史上最大の利益を産んだだけでなく、経済好況の中心軸でもあった。 これはヨーロッパ労組の限りない羨望を買った。 ヨーロッパ労組は米国社会の急速な負債拡散を引き起こしたグリーンスパンの通貨拡大政策をモデルにした政策を立案する。 ヨーロッパ労組はヨーロッパ中央銀行とは異なり米国FRBが通貨安定を守るだけでなく高い雇用を維持しなければならない法的義務を持った点に熱い関心を示した。 しかし2008年、これは全て終わることになる。 国際信用のピラミッドが突然崩壊したためだ。 このピラミッドは1990年代末と2000年初期の経済繁栄の土台であった。

 インフレーション、公共赤字、そして民間負債につながる時代を経過し、第2次世界大戦以後の民主資本主義はすでに4番目の段階に進入した。 全世界金融システムが耐爆しようとするや国家はその前に財政健全化政策を相殺する目的で容認した致命的貸し出しを社会化し経済信頼を回復しようとした。 実物経済崩壊を防ぐために必要な景気浮揚とあいまってこのような措置は公共赤字をより一層深刻な水準へ悪化させた。 その経過を見れば分かるように、このような事態は一部理論の主張とは異なり、世界銀行とIMF体制下の1990年代に広がった日和見主義指導者や公共機関の誤った支出のせいではなかった。

危機、そして不良債権の社会化

 その経過はこうだ。 2008年以後、民主資本主義に内在した分配葛藤は国際金融投資家らと各主権国家間の激しい戦いに変わった。 過去には労働者と社長、市民と財政部署、個人債務者と民間銀行間の戦いだったが、今日では金融機関が国家と真剣勝負を行っている。 金融機関は最近まで国家を脅迫して自身を救済するよう要求した。 今後はこのような状況の根本であるその力学関係がどんなものなのかを規定することが残った。

 実例として金融危機初期以後から金融市場は国家別に相異なる金利を要求した。金融市場が各国政府に差別的に圧力を加えながら、該当国家の国民は前例のない財政縮小に耐えなければならなかった。 天文学的な額の負債が国家の肩を押さえ付けているので、極く僅かな水準の国債金利上昇もいざとなれば財政破綻を引き起こしかねない。 同時に国家がデフォルト(債務不履行)を選ぶこともありうるので、市場は国家をあまりに強く圧迫するわけにもいかない状況だ。 したがって一部国家は最も危険な状況にある他国を喜んで助けようとする。 そのようにして国債金利上昇に備えるということだ。

 市場が期待するのは単に財政健全化だけでない。 市場は経済成長に対する合理的な展望も要求している。 しかし財政健全化と経済成長、この二つをどうすれば同時に達成できるだろうか? アイルランドが財政赤字縮小のための強力な措置を約束した時、アイルランド負債のリスク プレミアムは低くなった。 しかし数週後にプレミアムは再び上昇した。 経済再建計画があまりに苛酷でいかなる景気回復も不可能だったためだ。

 数年前から民主資本主義政治の実行が難しくなっている。 大恐慌以後、政策決定者がこのように不確実性が大きな状況と対面したことはなかったと言える。

 その上、一部では史上初の低金利資金があふれ出ながら、新たなバブルが形成されている。 少なくとも現在まではサブプライム モーゲージに対する投資がこれ以上は成り立ってはいないものの、原材料や新しいインターネット経済展望は魅力的だ。 金融会社は主な顧客と自身の利益のために‘新しい成長分野’になると見られる分野に中央銀行が供給したあふれる流動性を利用する素地が十分だ。 とにかく金融分野規制を目標にした改革がほとんど失敗したせいで、資本は以前よりさらに性急に要求事項を出すことができるようになった。 2008年‘大石死なず’(大馬不死)の代表的事例に選ばれた銀行は、2012年や2013年にも同じ救済を望むかもしれない。 そして3年前に国家を相手に繰り広げた脅迫を再び実行することもありうる。 しかし今回は資本主義の公共救済は不可能かもしれない。 公共財政能力の限界値に到達したためだ。

民主資本主義に残されたカードはあるか

 現在の民主主義の危機は経済を押さえ付ける危機と言えるほどに深刻だ。 現代社会の‘システム統合’、すなわち資本主義経済の効率的運営の根幹が動揺しているだけでなく‘社会的統合’も動揺している。 新しい緊縮時代が開かれる中で市民の権利と資本蓄積の要求の間でバランスを取る各国の能力は深刻な打撃を受けた。 また、国家間相互依存関係がより一層深刻化され、経済と社会、または、資本主義と民主主義間の葛藤を国内次元で解決しなければならないという主張はますます現実性が弱化している。 いかなる政府もこれからは国際社会の制約と義務、特に自国民を犠牲にしなければならない金融市場の強要を無視できないためだ。民主資本主義の危機と矛盾は国家内だけでなく国家関係でも未知の組合わせと交替を進め次第に国際的様相に広がっている。

 1970年代以後の経済危機の流れを観察してみる時、民主資本主義が社会葛藤を調停する(一時的にであっても)新しい方案を見つける可能性はある。 しかし今回は政治的に難攻不落の位置に強固に踏みとどまっている資本家階層、すなわち国際金融産業に全面的に有利な方向であろう。

文/ウォルフガング・ ストリーク(Wolfgang Streeck)
マックスプランク社会研究所(ケルン)所長。本文は2011年9~10月に発行された<ニューレフトレビュー>(New Left Review) 71号(ロンドン)に掲載された分析内容を縮約したものだ。

翻訳/パク・ジヒョン sophile@gmail.com
南極保護連合(ASOC)東アジア支部担当

原文: https://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/515781.html 訳J.S