本文に移動
全体  > 文化

[マガジンesc] escウォーキングマップ41. 金堤(キムジェ)城山公園と日帝の痕跡

原文入力:2011/12/01 16:17(4148字)
全北(チョンブク)、金堤(キムジェ)市内 6km…城山公園~金堤郷校~オクコリ~金堤(キムジェ)駅
イ・ビョンハク記者


←※クリックすれば拡大します。 切り取って保管して下さい。


② "金堤(キムジェ)女子高出身だと言っただけで連れて行ったんだよ。言ってみれば美味しい米を食べて育ったんだから美人に決まっているということだろうね。" 全北(チョンブク)、金堤市の郷土史学者キム・ビョンハク(82)氏のお言葉だ。碧骨金堤は広大な平野と三韓時代の水理施設である碧骨堤(ピョッコルチェ)でその名が知られたふるさとだ。全国の米の30%が金堤一帯でとれるという。日帝強制占領期間には米収奪が強行された所だ。 日本は群山(クンサン)港を通じて米を積んでいった。前後左右に地平線がかすかに見える金堤の都心のど真中、山にも路地にも日帝がなめ尽くして行った痕跡が残っている。城山公園から出発して金堤東軒と伝統市場を経て金堤駅まで歩く。 約6km。

金堤市内の住民たちのとても重要な休息所、城山公園駐車場に車を駐めて、階段道を上がる。海抜41m。城山は広くて広い金堤平野の真中、金堤市周辺にぺたっとうつ伏せになった山の中で最も高く、また最も美しい山だ。城山という名前は三韓時代(または、百済)に積んだ土城に由来する。土城の外側を囲んだ朝鮮時代の石城があったが、日帝初期に城壁を崩し干拓地埋めたてに使う中で消えた。石城は既に無く土城跡①だけかすかに残っている。長さ300mの城山散歩道を歩く間、樹齢500年のケヤキと森を成し遂げたのっぽ松が深呼吸をしろと囁く。


←金堤伝統市場の保健所前で飴商人のプンバ(物乞い)が演じられていた(左側)。城山公園散歩道(右側)。


三韓時代に土城を積んだ城山…展望台 西には扶安(プアン)近海まで一望


山頂には展望塔②がある。日帝強制占領期間に水貯蔵タンクがあった場所に1996年に建てられた高さ30mの3階建物だ。2階に展示された金堤歴史文化資料を見て3階の展望台に上がる。全面ガラス貼りの展望休憩施設があるが、営業はしていない。壁に時計一つ、ちりんと懸かっている休憩室の雰囲気は荒涼としていたが展望は素晴らしかった。‘金堤万頃、広い野原’と金堤の母なる山の、母岳山(モアクサン)があまねく目に映る。設置されていた望遠鏡を覗いて見ると、群山(クンサン)・扶安(プアン)、セマングム防潮堤側の海の一部まで鮮明に望める。散歩道に‘イ・サンウン学生殉義碑’③が見える。1943年日帝の米収奪通路を塞ぐために駐在所と万頃橋脚を爆破しようとしたが発覚して獄中で殉国した裡里(イリ)農林学校のイ・サンウン学生を追慕して建てられた碑石だ。忠魂碑④は日帝強制占領期間と韓国戦争を経て犠牲になった方々の魂を追慕する碑石。日帝時、その場には神社があった。


城山を降りてきて金堤趙氏門中の龍厳書院をすぎて、金堤郷校⑤に入る。一番後ろの大成殿が朝鮮末期に修理された建物だ。講堂からは墨の香がする。住民たちが四書三経も学び書道も磨く空間だ。郷校前の通りに、日帝時に建てられ20余年前まで利用されてきた校洞精米所の空の建物が残っている。キム・ビョンハク氏が説明した。「倭政の時、秋になればこの精米所周辺に稲が山のように積まれた。順序を待つのに、俵に各自の名前を書いて貼り、酒宴を行うことが多かった。」


城山麓の金海金氏門中碧城書院をすぎて金堤伝統市場に入り口そばに古くてやつれた日本式家屋⑥一戸がある。うっとうしい撤去・保存論争の中でかろうじて生き残った日帝強制占領期間の建物だ。郷校と旧官衙周辺の通りは朝鮮初期から金堤のメインストリートであり繁華街であった。金堤伝統市場路地の一画でドラ・太鼓の音が騒がしい。飴商人たちの嘆き節が真っ最中だが、見物人も飴を買って食べる人もなく寂しい。おばあさんが1人で手をたたき興を添えていた。


朝鮮時代の官衙建物である金堤東軒(守令の執務室)⑦と亭子の披襟閣、そして内衙(守令の居所)⑧を見て回る。昔のままに建っている建物と前後の広場にたっぷり積もった真っ黄色のイチョウの葉が晩秋情緒を感じさせてくれる。 東軒の懸板の近民軒の‘近民’は民に近く寄るという意、披襟閣の‘披襟’は襟を解いて心を交わすという意だ。


シタバリ茶房とヘテ茶房の間の路地の奥は朝鮮時代の監獄があった場所。‘獄通り’と呼ばれる。旅人宿・酒場の看板が並んでいる旧歓楽街路地⑨に入る。 パラダイス・真善美・香港…、看板は古くてすりへっているが、壁には‘青少年善導区域’の赤い文字が鮮かだ。50代のおじさんが低い声で話した。「有り体に言えばここがXX横丁だ。XX小路とも言ったね。」 数十年前には「米を搗いて売って、何日も居続けからっけつになるまで飲んだ所」だという。


金堤伝統市場⑩を過ぎて円覚寺(ウォンガクサ)を過ぎれば樹齢400年のケヤキ二株を見て道路に出る。金堤で地価が最も高いという伝統市場交差点のパク薬局前を通り金堤小学校側に歩く。DCモールマート周辺は“日帝強制占領期間に米を収奪して行った橋本農場倉庫と事務室があった所”だ。金堤苗木店前には柿・梅・桃の苗木がいっぱいだ。“春秋に多く植えるんだけど、土さえ掘れば今植えても死なない。ちゃんと根がつくよ”(苗木店主人)大サービス3年モノ3万ウォン。


ユファン蜜豚肉食堂路地を回りビリヤード場・遊興酒場になった旧第一劇場建物⑪を見る。第一劇場は金堤劇場・中央劇場と共に金堤の3大劇場だったが、全て廃業した。路地を歩いて上がる右側に自営高等学校(旧 金堤農高)そばの坂道を眺める。コビゲッチェと呼ばれた峠だ。扶安側から塩を担いで碧骨堤(ピョッコルチェ)土手道を歩いてきて金堤を経て全州に行った人々が、峠の下の酒幕で泊まっていったという。本来キツネ峠だったが、酒幕の若い女主人が夫にかくれてお客さんと仲良くして抱き合っていると、夫が女夫人の鼻を切ってしまったのでコビゲッチェと呼ばれるようになったという。


←城山公園 碧城書院正門。越冬用の煉炭が積まれている。


日帝日本式家屋には畳部屋・昔の壁紙もそのまま


峠を後にして枯れ葉剤戦友会を過ぎ、やはりビリヤード場に変わった中央劇場の建物を見て金堤市立図書館(旧 村事務所)前へ行く。図書館の右側に旧東津農地改良組合(東津農組・現在は自活センター)土塀で松ひと株に出会う。‘東津松’⑫と名付けられた樹齢200年の松だ。碑石前面に‘水流万里 松色千年’(水は流れて万里に達し、松の青い光は千年を行く)という文が刻まれている。 東津農組は1925年に日帝が金堤・扶安・井邑一帯の水理管理のために作った組合で、最近まで存在していた。日帝による米収奪の前哨基地でありながら他方では当時の農民を日照りの苦痛から抜け出させた機構だ。恥辱と豊かさの両面性を持った金堤の灌漑水理の歴史を見守ってきた松だとして市民が保存している。


‘トンドンタダググン~’金堤農楽保存会(地下1階)練習場から聞こえてくるチャング(鼓)の音を聞きながら農漁村公社(旧郡庁)前をすぎる。ここで警察署五叉路を過ぎ金堤駅に至る道路は日帝以後、教育庁・裁判所・登記所・警察署などが位置した官庁街だ。街路樹として植えた常緑樹ヒマラヤ杉の行列が異彩を放つ。金堤東小学校そばの路地、1939年精米工場の母屋として建てられた日本式家屋ソン・ヒョソン家屋(登録文化財)⑬を見て、金堤駅を眺めながら右折する。また一戸の日本式家屋(ユ・インホ家屋・登録文化財)⑭が出てくる。入って見ると4重窓と長い廊下、複雑に区切られた部屋、木の階段と2階の畳部屋、昔の日本語筆文字がぎっしり詰まっている壁紙などがそっくり残っている。米を収奪して行った橋本農場の事務室であり、管理人宿舎であった。1958年に家を買い取り今まで暮らしているユ・インホ(84)氏が、鉄道を渡り斗月川そばの精米工場をさしながら話した。「あーあの工場の中だね? そこは倭政の時もメガリカン(精米所)があったんだ。日本に米を積み出す日本人どもの船がここまで入って来たんだ”


1912年日帝が開通させた金堤(キムジェ)駅⑮でウォーキングを終える。三韓時代の辟卑離國、百済時代の碧骨郡…、駅舎前の案内板で‘金堤(キムジェ)地名由来’を読んでから待合室に入る。改札口に立ち鉄道の向こう側を眺めると、日帝が米を積み出して行った斗月川‘メガリカン(精米所)’跡も見え、先日まで米軍基地があったという凰山(ファンサン)も見えた。


金堤(キムジェ)=文・写真イ・ビョンハク記者 leebh99@hani.co.kr


お昼はアサリ粥・カルグクスで


◎行く道|首都圏から西海岸(ソヘアン)高速道路に乗り金堤(キムジェ)出入り口から出て29号国道に沿って金堤市(キムジェシ)内に行く。または、京釜(キョンブ)~天安(チョナン)・論山(ノンサン)~湖南(ホナム)高速道路に乗り西全州交差路出口から出て716号地方道に沿って市内へ行く。


◎食べる所|尭村洞(ヨチョンドン)地平線アサリ粥(063-546-3939)のアサリ粥・刺身の和え物、市庁前のソムマウル アサリカルグクス(063-543-5000),尭村洞名品館(063-543-9595)韓牛汁飯・プルコギ キノコ寄せ鍋・ユッケ石焼きビビンバ。


◎泊まる所|金堤市(キムジェシ)、検山洞(コムサンドン)と尭村洞(ヨチョンドン)、母岳山(モアクサン)、金山寺(クムサンサ)周辺にモーテルが多い。


◎旅行問い合わせ|金堤市(キムジェシ)文化広報祝祭室(063)540-3374,金堤(キムジェ)郷土史研究会(063)545-4006

←金堤(キムジェ)城山公園交差点付近の日帝強制占領期の日本家屋

https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/212/508075.html