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[マガジンesc]釜山サントリニの秘密

原文入力:2009-03-04午後08:05:33
escワーキングマップ1.釜山 太極道村と南浦洞
写真家がうらやましがる沙下区,甘川2洞からチャガルチ市場まで半日ウォーキング ツアー

ナム・ジョンヨン記者

←escワーキングマップ

外国の都市に行けば地図を持って市場と公園,文化遺跡を訪ね回ります。皆さんが生きる都市には素敵な散歩コースがないですか? <esc>が韓国の都市を探険する方法をお知らせします。 escワーキングマップは隔週で連載されます。

←釜山太極道村と南浦洞.

釜山,沙下区,甘川2洞,太極道村はよく‘ギリシャのサントリーニ’に喩えられる。レゴブロックのような家はモザイクとなって多彩な色を発し絶壁にぶらさがった家々の間に狭い路地が続く。最近になってキッチュな美感に引きずられたアマチュア写真家がたくさん訪れるが彼らが好むフォトポイント①は甘泉峠の頂上にあるカムジョン小学校周辺だ。

太極道村は玉女峰と天馬山の覆われている。朝には玉女峰下の村に日が差し夕方には天馬山下の村に太陽が落ちる。玉女峰下の村の不規則な格子が作り出す曲線が写真家がうらやましがる場面だ。写真を撮ろうとするなら朝上ぼるのが良い。

←甘川2洞,甘泉峠の上から見下ろした太極道村。午前に日が差す玉女峰下の村は写真家らがうらやましがる所だ。

月の村(貧民街)展望は全てが‘オーシャン ピュー

住民たちが‘ハルベサンソ’②と呼ぶ太極道教祖の墓でソルバッ3路階段に進入した。この先は階段路地だ。サムジ公園③と井戸が過密な林の中の小さい池のように現れる。タオル,ジャージ,ふとんが掛かった洗濯紐が公園を横切る。村で生まれ育ったチョ・ソヒョン(50)氏が公園を管理する。

“ほんの3~4年前まで井戸から水を汲んで飲みました。”

“ところでなぜ村の人々は自分の家に色とりどりにペインティングをしたのでしょう?”

“私も分からないです。ただ自分の家を可愛くしたのではないですか?”

ギリシャ サントリーニの人々は純粋に観光客誘致目的で白いペイントを塗った。だが住民や沙下区庁に尋ねても‘釜山版サントリーニの秘密’はついに分からなかった。

沙下区庁で作った<沙下区誌>を探してみると、太極道村は「太極を敬い修業に励む新興宗教の太極道を信じる人々が4千人ほど集まって集団村を作ったところ」だ。1958年忠北,槐山などの地から来た太極教徒たちが居を定め、1980年代には2万人に達したが今は1万人に減った。宗教家たちは大部分が村を離れた。

ソルバッ3路から下るとすぐに左折すれば幅が1メートルにもならない路地だ。この道は保育室と甘川2洞事務所④に連結する。屋根と軒が危なっかしく相対していて路地はアーケードのようだ。太極1路の入口には休むに丁度よい遊び場がある。靴紐を縛って太極4路を通って太極5路へと路地をさ迷った。路地の交差路にトンソ大学視覚デザイン学科の学生たちによる美しい壁画⑤が掛かれて‘いた。太極6路は息が切れる急坂だ。青いネギが植わった植木鉢,洗濯紐にかかった黄色いハンカチ,屋根に干してある運動靴などの路地風景がかすめる。

おばあさんたちは日がよくあたる路地に椅子を出して甘泉近海を眺めている。その瞬間、月の村の坂道はおばあさんのベランダとなり、月決めの貸間は高級ホテルの‘オーシャン ピュ ルーム’(ocean view room)になる。玉女峰道に沿って村を回った。展望の良いあずまや⑥には住民たちが時計をさげた。峨嵋洞聖堂⑦の自販機でコーヒーを飲み路地探険を終えた。ミルクコーヒー300ウォン、ひと回りするのに一時間あればば足りる。

玉川路分岐点で峨嵋谷路に沿って降りて行く。ぐにゃぐにゃしたS字アスファルト道で地域内バスが唸り声を出して這い上がる。斜面の向こう側には龍頭山タワーと釜山近海が広がる。臨時首都記念館⑧(釜山市記念物第53号)までは20分かかる。臨時首都記念館は1926年慶南道知事官舎として建てられ韓国戦争の時にはイ・スンマン前大統領の官邸として使われた建物だ。イ前大統領の書斎と化粧室はもちろんUN湯’一杯で持ちこたえた戦争時期の民衆の生活像も見られる。こぢんまりした裏庭が休むのに具合良い。

東亜大プミンキャンパスでは釜山臨時首都時期の政府庁舎⑨(登録文化財41号)が待つ。1925年に建てられたルネサンス様式の建物は今月中に東亜大博物館として再誕生する。東亜大博物館は国宝2点,宝物11点など大学博物館にふさわしくない所蔵品をそろえている。特に朝鮮末期図画書,画員たちが昌徳宮と昌慶宮を描いた16帖東闕圖を鑑賞すること。

←国内最大の古本屋路地である宝水洞古本屋路地。新学期を除いては毎月1,3週日曜日は休み。

テチョン路三つ角で中古レコード専門店の大韓レコード⑩に立ち寄った。所蔵価値の高い名盤に目がひっくり返るほどだ。価格は3千ウォンから数十万ウォンまで。テチョン路に沿って5分程歩けば宝水洞古本屋路地⑪だ。参考書,問題集を売り買いする所が大部分だが、古書店,テウ書店などでかなりよい小説や人文書,美術本を求めることができる。通りの風景と色あせた本はアマチュア写真家のオブジェにも活用されるが、この国内最大の古本屋路地にイネンビン⑫というコーヒー屋ができた。 アメリカーノ2500ウォン。

テチョン路に沿って直進すれば釜山近代歴史観⑬(釜山市記念物49号)だ。日帝強占支配期には東洋拓殖株式会社であり、解放後には米国文化院となり、1982年には放火事件の被害者となった。 ‘釜山米文化院に火,不純分子が放火’(1982年3月19日)と‘釜山米文化院歴史的返還’(1999年4月30日)が1面トップ記事を飾った<釜山日報>がかかっている。歳月の変化を示す展示物だ。展示物のお勧めは太平洋戦争末期に発行された戦時債権,日本で発行された<最新朝鮮移住案内>等、韓国と外勢の関係を見せる品々だ。

←釜山,南浦洞国際市場。韓国人と日本人が交わるショッピング路地だ。

さあ国際市場路地をさ迷う時間だ。カントン路地⑭は輸入缶詰が、カバン路地はカバンが、シンバル路地は履き物が主人だ。美術通り⑮には画廊が集まっている。‘南浦洞のモンマルトル’というには過分かも分からないが十分に見回す価値がある。アリラン通り(16)は釜山の人々が食べ物通りという。湯麺、ククス(うどん),ビビン麺(以上2千ウォン),釜山オデンが入った忠武のりまき(3千ウォン)がメインメニューだ。PIFF広場(17)を過ぎる時は下を注視しなさい。ビーム ペンドス,モフセン マフマルバプ,ホウシャオセン,チャン・イーモウ,キタノタケシ,ジェレミーアイオンス,ユ・ヒョンモク…人々は名前を読んでは手の平を合わせてみて記念写真を撮る。

ウォーキングツアーはチャガルチ市場(18)で終わらせた。太極道村の後方の山に太陽が沈んだ。ここまでで約5km歩いた。半日あれば充分だ。

ウォーキング メッセージ

◎太極道村入口のカムジョン小学校までは土城洞駅から2番ソグ市内バスに乗る。 6~12分ごと。

◎南浦洞,食べ物通りなどで屋台食べ物で食事を間に合わせるのがおもしろいようだ。18番ワンタン屋(19)(051-245-0018)はワンタン(中国式ギョーザ)麺,ワンタンうどんを売る。汁を飲むようにずるずるっとワンタンを食べる。4千ウォン、疲れたからだの力を補充しようとするなら釜山近代歴史館後方の‘チョウンサルロ パブチッコ(良い米でご飯を炊いて)’(20)(051-248-8500)も良い。石釜定食1万2千ウォン,韓定食1万7千ウォン。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/342233.html 訳J.S