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幸徳秋水 ‘アジア階級連帯’ 100年を越えて来韓

原文入力:2011/08/30 20:17(2203字)
チェ・ウォニョン記者


‘朝鮮独立’主唱 日本 思想家
‘社会主義真髄’‘長広舌’等
逝去100周年に合わせ初の翻訳出版
東洋的脈絡の社会主義 注目惹く


←日本の思想家 幸徳秋水(1871~1911)


 "生を捨て義を取り / 身を殺し仁を成し遂げる。安重根よ、あなたの一挙に / 天地全てが戦慄した。"
1909年10月 安重根が伊藤博文を暗殺した後、日本の思想家 幸徳秋水(写真・1871~1911)は安重根の義挙を賛えるために彼の肖像で絵葉書を作り、そこへ自作の漢詩を書いた。1910年 幸徳が天皇暗殺を謀議したという罪目で逮捕された時、彼はこの葉書をふところに大事にしまっていた。こういうエピソードのために幸徳は朝鮮独立を主唱した日本の知識人程度として国内に知らされることになった。

しかし幸徳の地位は単に朝鮮独立に共鳴した反帝国主義知識人には留まらない。彼は日本を越え中国、朝鮮などアジア全域に社会主義を伝播し、民族を跳び越える階級的連帯を追求した革命家であった。アジアで初めて<共産党宣言>を翻訳出版し、‘ストライキ’、‘資産階級’‘無産階級’等、西欧用語を翻訳紹介したことも業績に挙げられる。


幸徳の死後、100年目に当たる今年、彼の著作が初めて国内で出版された。イム・ギョンファ仁荷大韓国学研究所人文韓国(HK)研究教授が最近<廿世紀之怪物帝国主義>、<長広舌>、<社会主義真髄>等、幸徳の代表著作を集め韓国語に訳した<私は社会主義者だ>(教養人 編集)を出した。


4年間、翻訳に没頭したというイム教授は「天皇に反対した人物として日本では積極的な照明を受けられなかったために、韓国国内でも大きくは注目しなかった側面がある」と語った。韓国語版解題を書いた朴露子(パク・ノジャ)オスロ大教授は「幸徳は近代東アジアの進歩的談論を作るために先駆的寄与をした」とし、遅れてなされた国内出版を歓迎した。


幸徳が生きた時代は日本が外では帝国主義侵略を拡大し、内では後発資本主義国家として深刻化された各種社会矛盾に苦しめられた時代であった。こういう背景の中で彼の思想は大きく自由民権運動から議会中心社会主義に、また急進的無政府主義への軌跡を描いたと言える。


←1904年8月、オランダ、アムステルダムで開かれた第2インターナショナル大会に参加した国際社会主義者ら。当時、日本代表として出席した片山潜(15番)は当時、露日戦争で交戦中だったロシア代表 ゲオルギー プレハーノフ(13番)と反戦で同意する握手を交わした。これに先立ち幸徳秋水は<ロシア社会党に送る文>で、ロシアの社会主義者たちに戦争反対を訴えた。 教養人 提供


幼い時から自由民権運動の影響を受けた彼は、新聞記者として仕事をしながら社会主義に目を開き、ロシア革命の影響を受けた後には全面ストライキなど直接行動と全世界的階級連帯を前面に掲げた急進的無政府主義を主張した。


終始一貫、現実の中でどのように革命を成し遂げるべきかを悩みつつ、西欧の社会主義・無政府主義を受け入れた幸徳の思想的軌跡は東アジア全域に大きな影響を与えた。1904年に書いた<廿世紀之怪物帝国主義>は帝国主義を愛国主義と軍国主義の結合として把握し、少数の支配階級のための虚構であることを一つ一つ暴いた。この本はすぐに翌年 中国語に翻訳され中国辛亥革命の主役たちに大きな影響を及ぼすなど、東アジア反帝国主義運動に理論的な枠組みを提供した。


マルクス主義理論を簡単に解説した<社会主義真髄>は中国で3回も翻訳され、毛沢東も読みふけったと知られている。歴史学者であり独立活動家であった申采浩(シン・チェホ)は1928年 日帝に逮捕された時、幸徳の<長広舌>を読み無政府主義に共鳴するようになったと述べもした。
幸徳の思想は何よりも‘国境を超越した階級的連帯’を追求したという点で今日、より一層共鳴が強い。愛国主義が広まった露日戦争当時、幸徳はロシア社会主義者らと共に階級的連帯を基盤に‘反戦’を叫んだ。


朴露子教授は「韓国労働階級の階級意識は依然として支配者が強要してきた愛国主義、軍事主義談論に抑えられている」として「国家・軍隊・愛国に対する幻想を打ち破ろうと言った幸徳の教えは現在も大きな意味がある」と明らかにした。


また、西欧の社会主義を東洋的脈絡に合わせて受け入れたという点も高い評価を受けている。イム教授は幸徳の思想に含まれる‘儒教を土台にした漢学的基盤’に注目した。幸徳は儒教的犠牲精神を継承した志士が革命の主体にならなければなければならないと強調するなど、少数知識人らの啓蒙的役割を力説した。それは労働階級に対する理解が不足しているという欠点として指摘されうるが、労働階級が脆弱だったアジアの現実的脈絡に忠実だったという意味としても見ることができる。


イム教授は「幸徳の思想的軌跡は現実に沿い絶えず自身の思想を発展させていった痕跡」と評価した。


チェ・ウォンヒョン記者 circle@hani.co.kr


原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/religion/494094.html 訳J.S