原文入力:2010-10-15午後05:50:47(2394字)
‘三星王国’に寛大な大韓民国
"欲望満たすために不法には目を瞑り"
国家はパートナー…不買運動が代案
チェ・ウォンヒョン記者
←<グッバイ三星>
<グッバイ三星>キム・サンボン, キム・ヨンチョル他著/クリエ・1万7000ウォン
しかし結局、何も起きなかった。キム・ヨンチョル弁護士が秘密資金造成など三星内部の不正を暴露した後、かろうじて始まった‘三星特検’はむしろイ・ゴンヒ氏とその一家と側近らに免罪符をあげ、イ・ジェヨン氏への経営権継承まで合法的に承認した。一部疑惑に対し有罪判決を受けたイ・ゴンヒ氏には大統領がすばやく立ち上がり類例のない単独赦免を下した。‘安全企画部エックスファイル’事件の時も同じだった。三星に対するどんな不正疑惑がふくらんでも何も起きなかった。正義・公正社会のような談論が私たちの社会にあふれても三星とイ・ゴンヒ氏一家には何も起きない。
<グッバイ三星>はこのように何も起きない時代に、何かを‘始めなさい’と薦める本だ。三星不買運動だ。三星と関連した製品やサービスをできれば遠ざけ使わないということだ。なぜそうするべきか? キム・サンボン全南大教授とキム・ヨンチョル弁護士をはじめとする哲学者、経済学者、法学者、市民運動家など15人が文で解きほぐしたその理由はそんなに単純ではない。
報道機関がためらい、まともに広告を載せてくれなかったけれど、キム・ヨンチョル弁護士が三星内部のゆがんだ姿を暴露した本<三星を考える>は15万部以上が売れた。三星に対する私たちの社会の厚い沈黙が、分からなかったり信じなかったり、あるいは関心がないのではないという話だ。代わりに沈黙の裏でおしゃべりをする。‘三星が滅びれば国が滅びる’、‘なぜ多くの企業の中で三星だけが問題か’、‘はたいてホコリ出てこない人がどこにいるの’、‘自分の金で自分が好きなようにするのが何が悪い’。
ここで三星問題が結局‘欲望’の問題であることを知ることが出来ると著者らは話す。イ・テククァン慶煕大教授はキム・ヨンチョル弁護士に対する敵対的な市民の態度を見て「多くの人々が三星という快楽の対象をあきらめたくないために起きる現象」とし「三星が滅べば大韓民国が滅ぶという妄想はこういう欲望の相関関係のために自然な真理として受け入れられる」と指摘する。高等学校の教師イ・ギェサム氏は「問題は欲望だから、論理と道徳でその都度こわれても彼らは絶対にこれを認めようとしない」と話す。ちょっと悪く言えば、‘三星がなければ私も金を稼げないので’社会の公共性自体を破壊する存在に対し何の手も使えなくなっているのが私たちの社会の自画像だということだ。
← 今年1月、米国ラスベガスで開かれた国際家電ショー(CES)でイ・ゴンヒ三星グループ会長一家が展示場を参観している。左側から長女イ・プジン ホテル新羅専務、長男イ・ジェヨン 三星電子副社長、イ・ゴンヒ会長、夫人 ホン・ラヒ 三星美術館長、次女 イ・ソヒョン第一毛織専務。三星電子提供
そのような欲望の論理がどれほど粗いかは簡単に把握できる。キム・ヨンチョル弁護士は“特定私企業に国粋主義的愛国心を投影する誤りは、市場の根本原理と企業活動の本質に対する深刻な誤解から始まる”と指摘する。三星が滅びればどうなるかと? “資本主義市場原理と法秩序から抜け出さずに、自身が持つ競争力で企業を育てていかなければならないのは極めて基本的な生存命題”だ。三星が海外へ移転してしまえば? "安い労働力を探して去っていく工場移転ではないならば、ごく少数の持分でグループをこねくりまわし‘皇帝経営’できるこのあきれた沃土をどうして捨てるだろうか”。
それなら最も一般的ながらも奇怪な論理である‘自分の金で自分が好きなようにするのが何が問題か’を一度確かめてみよう。キム・サンボン教授は問う。“2009年10月現在のイ・ゴンヒ氏が三星系列会社に対して持っている株式持分は1.07パーセントに過ぎない。最大株主も専門経営者でもないのに韓国最大の企業集団を支配できる権利はいったいどこからきたものか?”ここには私たちの社会のわい曲された支配イデオロギーが圧縮的に含まれている。“すべての社会共同体が必ず主人を持つべきで、私的に所有され支配されなければならない”というイデオロギーだ。しかし事物ではなく人々の集いである共同体を私的に所有するという発想自体は初めから不可能なのだ。
‘単独主体性’ではない‘相互主体性’を強調する哲学者としてキム教授は“‘帝王的経営’を‘市民経営’に変えなければならない”と主張する。王の国家(単独主体)が市民が主人の共和国(相互主体)になったように、資本家の専有物である企業もやはり労働者が市民であり主人になる‘ポリス’(Polis)になれるということだ。
それではなぜ、わざわざ不買運動なのか? “消費者が三星の物を買わないことだけが現在 三星という圧倒的権力に対抗し積極的に広げることができる唯一の抵抗方式であるため”という。国家権力と政治までが手をこまぬいて三星の労働者・株主の活動に限界がある以上、すべての可能性はさびしく消費者としての市民らの手にかかっているということだ。したがって“この本は後代の人々に三星に象徴される欲望の呪術に皆がひっかかったのではないという証拠物”というホン・セファ<ハンギョレ>企画委員の話は最後の可能性に対する期待だ。 チェ・ウォンヒョン記者 circle@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/444038.html 訳J.S