古代中国で後漢が滅亡してから隋が全国を統一するまでの350年を超える期間は、混乱と戦争に満ちた時代だった。その時期を魏晋南北朝時代(220~589年)と呼ぶ。
中国の混乱は周辺国にとっては成長の機会だった。朝鮮半島では、この時期に百済、高句麗、新羅が古代国家のシステムを整備して国力を大きく伸ばすことができた。高句麗が隋の文帝と煬帝との16年にわたる長期戦争(598~614年)に勝利できた原動力も、この時期に固められた。
魏晋南北朝時代の末期に登場して短期間中国北部を支配した国が北周(557~581年)だ。鮮卑族が建てた北周は、3代目の皇帝である武帝の在位期間(560~578年)に最も隆盛した。武帝は強力な軍隊で華北地域を統一する一方、寺院の田畑を没収して農民に土地を分け与えて農業生産力を大きく高めるなど、北周の全盛期を導いた。その後、漢族が支配する南朝の陳を征服するために準備をしているとき、36歳で病死した。一部では毒殺の可能性も主張されている。それほど長くはない期間に武帝が磨きあげた領土と国家システムは、北周を受け継いだ隋の文帝が全国を統一する基盤になった。
上海の復旦大学が中心となった中国の科学者たちが、1500年前に広大な華北地方を支配した武帝の顔を復元し、国際学術誌「カレント・バイオロジー」に発表した。
■歴史の記録や壁画がなくても分かる
復元処理には、発掘された頭蓋骨と遺体から抽出したDNA情報を利用した。復元された武帝の顔はどんな形なのだろうか。
武帝が属した鮮卑族は、現在のモンゴルと中国の北部および北東部にあたる地域に住んでいた遊牧民だ。一部の中国の歴史書には、鮮卑族は厚いあごひげと高い鼻筋、黄色の髪の毛など、エキゾチックな容貌を持っていたと描写されている。しかし研究チームは「武帝は典型的な東北アジア人の顔の特徴を持っていた」と明言した。
武帝の墓が発見されたのは1996年。考古学者は、武帝の墓でほぼ完全に保存された頭蓋骨を含む遺骨を発掘した。
考古学者らは、大きく発展したDNA解読技術に力づけられ、数年かけて100万個以上の一塩基多形性(SNP)を復元することに成功した。SNPは、DNAの特定の位置で一つの塩基が別のものに変わったものを指す。最も一般的な遺伝的変移の形であり、病気に関連する遺伝子を探すことに役立つ。一人のゲノムにはおよそ400万~500万個あると言われている。分析の結果、武帝のSNPには皮膚と髪の毛の色などに関する情報が含まれていた。しかし、皮膚の厚さ、眉毛の形、鼻幅、唇の高さなど、より詳細な情報は得られなかった。
研究チームは、この情報を武帝の頭蓋骨の形と結びつけることで、顔を立体的に再構成した。その結果、復元された武帝の顔は、茶色の目に黒色の髪の毛、少し黒みがかった皮膚を持ち、顔の形は現在の東北アジア人に似ていたことが分かった。
研究を率いた復旦大学の魏偏偏博士は「かつては古代人の姿を調べるためには、歴史記録や壁画に頼っていたが、今では直接知ることができるようになった」と述べた。
■脳卒中を起こしたもよう…遺伝子の3分の1は漢族
研究チームは武帝の死亡原因についての端緒も見出した。遺伝子分析を通じて、通風や脳卒中、白血病のような病原性の突然変異を発見した。これは、武帝が失語症で、まぶたが垂れ下がり、足を引きずるような歩き方だったという歴史的な記録を裏付ける。こうした特徴は脳卒中の症状と類似したものであるため、武帝が病死した可能性にさらに強めることになった。
研究チームは武帝の血統に対する情報も確認した。まず武帝は、遺伝的に古代の契丹族と黒水靺鞨族、現在の中国のダフール族とモンゴル族に最も近いことが分かった。
しかし、武帝の遺伝子には鮮卑族と漢族の血統が混じていた。研究チームが再構成した武帝の家系図によると、武帝は鮮卑族の王室と現地の漢族の貴族の間で何代にもわたる結婚を経て誕生した。これは、鮮卑族が南に進出する過程でなされたとみられる。武帝の遺伝子のうち61%は古代東北アジア人の系統、3分の1は黄河地域の漢族系統に由来したと推定された。武帝の祖母の王氏は北部地域の漢族または高句麗出身だと推定される。これは、古代人がユーラシア地域でどのように広まったのか、また、現地の人たちとどのように統合したかを教えてくれる重要な情報だと、研究チームは意味付けした。
研究チームは、次は古代中国の北西部長安(現・西安)に住んでいた人たちのDNAを研究する計画だ。数千年の間に明滅した様々な国の首都だった「千年の古都」長安は、紀元前2世紀から紀元後15世紀まで、ユーラシアのシルクロードの東側の終着地だった。研究チームは、これを通じて、古代中国人の移住と文化交流の歴史をさらに詳しく調べられることを期待している。
*論文情報
doi.org/10.1016/j.cub.2024.02.059
Ancient genome of the Chinese Emperor Wu of Northern Zhou.