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[マガジンesc]‘愛と戦争’のあえかな記憶

原文入力:2010-04-21午後07:36:15(4252字)
escウォーキング マップ23.南原城と広寒楼
広寒楼から龍城館跡・万福寺址を経てコセム(古井戸)路地 見物 7km

イ・ビョンハク記者

←コセム路地と広寒楼苑西門の間の通りの様子.

南原と言えば広寒楼、広寒楼と言えば春香伝だ。李夢龍・成春香が後に残した愛の陰で南原城の姿は朧げだ。丁酉災乱(訳注:日本では慶長の乱)の時、外敵に相対し戦い全滅した7000余の住民・官軍たちの恨が立ちこめているところだ。日帝強制占領期と惨い625(韓国戦争)に見舞われ、開発論者たちが争うように建設する間に多くの遺跡が消えていった。それでも隅々には崩れてこわれてはいても先人たちが撫でまわし残した手垢・足跡が輝いている。広寒楼苑から出発し客舎だった龍城館跡を経て万福寺の場所を見て再び楼苑に戻る。
南原の母なる川である蓼川辺だ。広寒楼苑駐車場(一日 2000ウォン)そばの観光案内所で観光略図と小冊子をもらい広寒楼苑正門を入る。450年間垂らしつづけた榎の木陰を通り昔の庭園を歩く。朝鮮時代の代表的官衙庭園に挙げられる広寒楼苑。世宗の時に流配されてきた黄喜(ファンヒ)が廣通楼(クァントンヌ)という楼閣を作ったのが始まりだ。

春香祠堂①と善政碑・不忘碑の一群を見て広寒楼②に上がる。楼閣の後に設置された階段式玄関施設は1877年に鄒氏 大木匠が後方に傾く広寒楼を支えるために作ったものだという。池と三神山,陸橋・烏鵲橋が額縁の絵のように見える2階の内部には金宗直・鄭澈・白光勳など朝鮮時代の名士たちの扁額が懸っている。当初は200ヶ余りあったと言われるが現在は80ヶ余りだけが残っている。妓生たちが書いた扁額も眼につく。

日帝強制占領期、先烈たちの苦痛が漂う広寒楼

←南原,万福寺址に置かれた蓮華紋の石灯基部. 後方に宝物の五層石塔が見える。

広寒楼の下に日帝強制占領期の烈士たちの苦痛が漂っている。1910年から18年間、2階は裁判所,下の階は監獄として使われたと言う。1919年4月3~4日に轟いた南原の独立万歳運動の叫びもこちらに閉じ込められ血を吐いたのだろう。1階の石柱ごとに仕切りのために掘られたと見える溝が残っている。

北門を出て朝鮮末の官吏の子弟たちを教えた学堂(官書堂)南城齋③に出会う。閉じられた民家の門をあけて入れば、1875年に作った正面4間の建物が現れる。柱ごとに教訓的な内容を書いた柱連が懸っている。孝子閣④を過ぎ、衰退していく旧梁氏富者邸⑤(チョンウォル荘旅館の右側路地)と呉氏富者邸⑥を覗き見て、看板のない雑貨屋に立ち寄り缶コーヒーを買って飲む。50年間、商号もなしに商っているというチョン・スゥニム(79)氏が話した。"田んぼであれ畑であれ全部その梁富者,呉富者の家の土地だったよ。昔は。" 富者邸前の路地も裏路地も古びて取り壊され崩れていて過去の栄華を見つけるのは難しい。

旧ミョンジ閣旅館(現 韓式食堂宗家)韓屋⑦を見て、南門跡に向かって歩く。日帝強制占領期に繁盛した‘本町通り’だ。チラホラと日本式家屋跡が残っている。南門の四つ角を曲がり角の南門跡標石⑧(石人像)を見て、旧南原城の内側に入る。南原城は平地に正四角形に積んだ周囲2.5kmほどの石城だった。東学革命、そして日帝強制占領期に鉄道・道路開設で4大門と大部分の城郭が消え、北西側の一部区間だけが残っている。‘旧消防署’の建物には市立図書館と小劇場がある。劇団'ドゥンジ(巣)'が4月末まで<糞を踏んだ日>を公演(夕方8時・月除く)している。

←広寒楼苑の蓮池に三神山の若葉を出した犬ヤナギらが映っているいる。

郵便局の角に竹の茂った石の小山が見える。南原ソクトン(石で作った堂山)⑨だ。南原城を守る堂山神をまつる祭壇(城隍壇)だ。世宗の時、南原府使 金熹(キム・ヒ)を祀る遺愛廟⑩を見に行く。円仏教路地に立った道しるべは間違っている。南原教育文化会館内に入らなければいけない。多文化家族支援センターでしばし休む。建物の定礎石の上の‘感謝の文’が目を引く。‘建物主が多文化家族たちのために建物を引き渡したことに対する感謝の文’だ。

道の向かい側の龍城小学校内に入る。色とりどりに美しく飾られた本館建物の場所が客舎龍城館⑪があった所だ。6.25韓国戦争の時に国連軍の爆撃で全焼し、基壇石の一部と石段二間だけが残った。階段の月台に彫られた‘鬼面像’(蚩尤像)が鮮やかだ。ノ・サンジュン(76)前南原文化院長は「運動場の下にかつての建物跡が敷かれているが、一部だけ発掘調査の後そのまま伏せておいた」と伝えた。李舜臣将軍像と国民教育憲章塔の間に樹齢530年になるケヤキが運動場のおしゃべりする子供たちを眺めている。学校正門の左側一角に集められた大きな昔の石材を見ることができる。

西門四つ角に向かって歩く。日帝強制占領期の初期まで残っていた西門跡だ。まがり角の花屋前に西門跡標石⑫(石人像)を建てた。公設市場と共に南原の二大市場である龍南市場を経て関王廟⑬へ行く。フンブ農薬社路地だ。正門は閉じられており、左側の塀そばの民家の門をあけて入らなければならない。關羽を祀る霊廟で、規模が大きくよく保全された幾つもない関王廟だ。関王廟の前の公設市場付近は30余年前までセリ畑だったという。“関王廟セリ,砂畑セリは香りが良く昔は献上品の中の一つ”だった。

埋まっていた‘石人像’発掘 完全に立てる

西南側に向かって歩きに歩いて、丑川水路にかかる王政橋を渡りカクシモリバン(花嫁人形理髪店)を過ぎれば広い空地に石物が散らばる万福寺址⑭に出会う。金時習の<金鰲神話> ‘万福寺樗蒲記’で主人公のヤンセンが娘の魂に出会い、行廊の小部屋で‘雲雨之情’を分かち合ったその万福寺だ。高麗の時、万福寺は托鉢を終えて帰ってくる僧侶の行列が壮観だった‘万福寺 帰僧’が南原八景中の一つに数えられた。丁酉災乱(慶長の乱)で焼失した。解説士パク・ヨニム氏が解説した。「外敵どもは当時、朝鮮軍司の士気低下のために石仏台座にあった5尺大の仏像をなぎ倒し引き回したと伝えられています。”幢竿支柱・石仏台座・五層石塔・石仏立像などが宝物だ。

←石人像.

昨年10月、寺の跡地に新しい遺物がお目見えした。幢竿支柱そばの道路にかろうじて頭だけ見せていた‘石人像’⑮(写真)を発掘して立てたのだ。高さ370㎝に達する全身石像だが背を向けて目を開いたまま後方の空を見ている。向かい合ったもう一つの石像があるが、胴は道路の中に埋まっていて欠けた頭部は南原民俗館に展示されている。万福寺址そばには科挙一次合格者たちが家族を離れ出てきて学んだ養士齋がある。また王政橋を渡り繁華街側に入る。西門市場四つ角手前に‘カンジョン キガマッキョ(絶妙な水飴菓子)’屋の前で右折し農協共同売場に行く。果物・野菜を買い入れる所だ。チャメ(マクワウリ)小5ヶが1万ウォン、昨年の2倍の値段だという。‘頭を刈ります’美容室を過ぎて公設市場(16)に行く。本来は広寒楼正門側にあった市場(4,9市場)を40余年前の広寒楼苑拡張工事の時に移ってきた。

市場を通過していくと杏の木・ユスラウメの木など青々とした苗木を売るおじさんがけだるい表情で座っている。“売れるかって?苗木はもう終わりよ、因子花でも売って果物も売らないと”

道の向かい側のコ泉路地に入る。占い屋が並んでいる。コセム(古井戸)(17)は南原市内にいくつか残った古い井戸だ。水が乾き一時は埋められ最近はモーター装置を付けて水が流れるようにしている。この泉は別称が‘乳の出る泉’だ。子供を産んだ女性が乳がよく出てこない時、壜にこの水を入れ両乳首にぶら下げれば乳がよく出てきたという。ノ・サンジュン氏は「夜こっそりと若い婦人たちが出てきて壜につめて帰った」と伝えた。コセム路地は‘マッコリ小路’とも言った。本来は名が知られたマッコリ小路だった。マッコリ 2本で歌い手酌婦は素朴な歌の調べを選んであげたという。タイルを貼ったかまどが懐かしいトンサム屋(18)等、何軒かがその命脈をつないでいる。

もう行き止まりだ、再び広寒楼苑西門側に行く道だ。酒場‘鍾路ナム’を過ぎれば広寒楼の塀横に香壇・春香・夢龍などの名前のついた商店街が続く。韓牛と包丁,工芸品・記念品を商う商店街だ。刃物を直接作って売るプフン包丁が有名だ。商店街の終点が最初に出発した観光案内所だ。蓼川堤防に沿って満開の桜の花びらが駐車場まで飛んできて散る。約7kmを歩いた。

←escウォーキングマップ23.南原城と広寒楼. 地図グラフィック(※クリックすればさらに大きく見ることができます。)

ウィーキング メッセージ

お昼はチュオタン(泥鰌鍋)夕飯は韓定食

◎首都圏から京釜高速道路~湖南高速道路に乗り全州出入り口から出て17号国道に乗り、南原に行く。大田で大田統営高速道路に乗り咸陽から88高速道路に乗り換えて行ってもかまわない。

◎南原はチュオタンと韓定食の故郷. チュオタンを出す食堂が並んでいる。セジプチュオタンが有名だが出す方式と味は似ている。市庁裏の初雪食堂(063-625-3555)はチュオタン(6000ウォン)よりもメニューにはないシレギ味噌汁(4000ウォン)がさらに有名な店。香ばしくさっぱりしていて迎え酒用としてもお客がたくさん訪れる。広寒楼北門付近の宗家(063-626-9988)は有名な韓定食店。旧ミョンジ閣の韓屋を受け継いで整備した。1人2万5000ウォン(4名以上から)。

◎ 4月23~26日 第80回南原春香祭りが広寒楼苑一帯で行われる。伝統婚礼・赴任行事・春香国楽大祭など伝統文化行事と時代歴史体験,どじょうつかみなど生態体験行事などが進行される。南原市内で丁酉災乱の犠牲となった人々を祀る万人義塚,市内中央の古刹禪源寺,南原郷校なども一見の価値がある。南原市庁文化観光課(063)620-6181.

南原=文・写真 イ・ビョンハク記者 leebh99@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/SERIES/212/417140.html 訳J.S