1600年前の伽耶の人々の顔を見たことがあるだろうか。
4~6世紀、嶺南・湖南地方で小さな国を構成し、日本列島と活発な交易を繰り広げ、今日の韓流の有力な元祖に挙げられる彼らの実際の姿を、現在の韓国人が思い浮かべるのは実に難しい。しかし、驚くべきことに日本には当代の伽耶人の姿を形象化した生き生きとした造形物が残っている。
今年4月末から慶尚南道金海市(キメシ)の国立金海博物館で開かれている特別展「海を渡った伽耶人」の展示場の入り口で、まさにその伽耶人の像に出会うことができる。6世紀頃、日本列島に渡った朝鮮半島の伽耶系移住民を形象化したと推定される現地古代墓からの出土品。もともと死者の魂を鎮めるために収められた象徴物で、日本では「埴輪(はにわ)」と呼ばれる一種の土製人形だ。東京近郊の千葉県にある山倉1号墳から出たもので、海を渡って日本列島で暮らした伽耶人の姿を当時形にした唯一の遺物として挙げられる。尖った三角形の帽子をかぶり、首には玉型の首飾りをして、耳飾りを着けた人物像で、上衣の右の前身頃を先にあわせ、左の前身頃を重ねるかたちの古代朝鮮半島人特有の服装であるため、当代の日本人の姿とは異なる。
日本の九州国立博物館、福岡県と共催した今回の展示は、規模は大きくないが特別な意味をもつ。鉄器や騎馬術などの先進文物を日本列島に伝播した古代韓流の主役、伽耶人たちが残した交流の痕跡を振り返る最初の展示であるためだ。日本に残した伽耶人たちの痕跡を、見慣れない現地出土品を通じて初めて韓国国内に見せるだけでなく、韓国国内の伽耶遺跡から出土した遺物と比較しながら見ることができる。一風変わった感覚と雰囲気に感じられる日本現地の伽耶系土器や造形物、鉄器、武器など259点の遺物が登場する。
伽耶移住民の形を模した土製品である埴輪とともに目を引く重要な遺物は、馬と牛の形に作られた5~6世紀頃の墓造形物(埴輪)だ。4~5世紀、日本に移住した伽耶人たちは牛と馬を一緒に連れて行き、現地で放牧しながら牧畜生活文化の土台を築いた。家畜を飼う伽耶人の牧畜文化が、当代日本人の実生活はもちろん、葬儀文化にも大きな影響を及ぼしたという事実を、馬と牛の形をした埴輪から察することができる。一切装飾を施したり飾ったりせず、胴体だけを強調したもの、子馬の姿を造形したものなど、多様な形と日本特有の端正さが特徴のこの家畜埴輪は、伽耶と日本の強い古代交流を示す端的な象徴物といえる。
特別展はこの他にも、伽耶人たちが乗っていたと推定される船が刻まれた埴輪土器、伽耶の特産品である鉄の塊と鎧、渦巻き装飾がついた刀、甑(こしき)を乗せた移動式かまどなど、日本各地の34遺跡から出土した伽耶関連遺物260点余りを3つのエリアに分けて紹介している。玄海灘を渡った伽耶移住民が、文化的アイデンティティを守り、古代日本社会に大きな影響を及ぼした跡を鑑賞できる稀有な機会だ。6月25日まで。