原文入力: 2009-01-19午後07:42:23
西暦639年創建確認
イム・ジョンオブ記者シン・ソヨン記者
←全北,益山,弥勒寺跡、西塔から発見された舎利具遺物(左側)金製舎利壷と舎利奉安記録が彫られた金版が見える。右側は忍冬草,レンゲ紋がいっぱい彫られた舎利壷. 益山/シン・ソヨン記者viator@hani.co.kr,文化財庁提供
“善花公主説話 虚構の可能性”…西塔解体過程で舎利箱など発掘
<三国遺事>に百済武王の王妃だった新羅善花公主の発願で建てられたという記録が伝える全北,益山,弥勒寺が百済人王侯の発願で建設された事実があらわれた。弥勒寺の具体的な創建年代は武王在位40年の西暦639年と確認された。
文化財庁傘下の国立文化財研究所は19日弥勒寺跡西塔(国宝11号)を解体調査する過程でこういう内容が彫り込まれた金板で作られた舎利奉安記録板と金製舎利壷など遺物500点余りを発掘したと明らかにした。研究所は去る14日、塔身1階心柱(中央柱)を調査する過程でこれらの遺物を確認した。
金板裏表面に194字からなる舎利奉安記録板には施主者の身分が武王の王侯で佐平(百済の最高官職)だった沙宅積德の娘という事実が刻まれている。これは百済,書洞王子(武王)が郷歌‘薯童謠(ソドンヨ)’を新羅に広め新羅真平王の娘、善花公主と結婚し、その後善花公主が弥勒寺を建設したという<三国遺事>の内容とは違う。キム・サンヒョン東国大教授は「銘文の王侯が百済官吏の娘という内容は非常に意味ある事実」としながら「書洞王子と善花公主の結婚説話は後代の虚構である可能性が大きい」と語った。
金板にはまた弥勒寺創建年代が己亥年(639年)という内容が漢字古体で刻まれている。一緒に出土した高さ13㎝,肩幅7.7㎝の金製舎利壷は胴体二部分を接合して作られレンゲ・忍冬草紋内部を櫛目文で飾った典型的な百済様式であることが明らかになった。
イ・コンム文化財庁長は「これほど完ぺきに保存・出土した古代舎利工芸品は非常に珍しい」として「百済史研究に重要な資料になるだろう」と明らかにした。
益山/イム・チョンオブ選任記者blitz@hani.co.kr