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[レビュー]独島の“脇役”になった鬱陵島の今日

登録:2021-03-20 07:27 修正:2021-03-20 08:55
『鬱陵島オデッセイ:人類学者の視線』チョン・ギョンス著//ハンギョレ新聞社

『鬱陵島オデッセイ:人類学者の視線』 
チョン・ギョンス著/ヌルミン・2万6000ウォン

 『鬱陵島オデッセイ』は鬱陵島(ウルルンド)の“疎外感”に注目した本である。「テレビの気象報道が『台風は幸い東海に抜けました』で終わると、鬱陵島住民たちは唖然とせざるを得ない。鬱陵島にはまだ到着もしていないのに、もう台風状況は終わったかのような報道を見る度、見捨てられた気持ちになる」。同書の著者、ソウル大学人類学科のチョン・ギョンス名誉教授は、2006年から15年以上鬱陵島を行き来しながら人類学、生態学、文献学、海洋学(Oceanpolitics)などの学問を網羅し、鬱陵島の隠れた歴史や日常、価値を発見する。

 著者は、独島(日本名・竹島)の“脇役”になってしまった鬱陵島の地位について問題意識を喚起する。鬱陵島が、政治家たちが独島へ行くための“関門”に転落してしまった現状では、「領土の日常化」の実現が難しいと指摘し、鬱陵島を「領土主権の論理ではなく、文化主権の論理と見るべき」と主張する。文化は“日常”と“関係”で構成されていることから、著者は鬱陵島民の日常、すなわち生活に着目する。そのために注意深く観察したのが“海流”だ。鬱陵島周辺には黒潮海流が流れているが、この海流に乗ると南海から鬱陵島に航海しやすいという。鬱陵島が地理的には慶尚道に隣接するが、地名には全羅南道興陽(フンヤン:麗水、高興半島、巨文島など島嶼)地域の言葉が多く発見されるのはこの影響のためと推定される。ここでヒントを得た著者は、同時代の人類学者に「興陽の漁師の記憶を詳細に復元すること」を提案する。鬱陵島・独島に対する彼らの記憶が「文化の領土」の国境を堅固に立てるうえでプラスになるからだ。すでに、日本の隠岐諸島の住民らは鬱陵島と交流した逸話や記憶、生態などを記録している。

 著者は文献学や言語学的資料を根拠に、独島で絶滅したとされたいわゆる二ホンアシカがの名前が「可支(カジ)」で(アシカと可支は一見似ているように見えても異なる生物)、可支の故郷が鬱陵島であり、近代以降、日本の帝国主義の侵奪によって可支が絶滅したという点を突き止める。日本の領土への野望の対象が「独島の次は鬱陵島になるかもしれない」という著者の警告を軽く聞き流せない理由がそこにある。

チェ・ユナ記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )
https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/987438.html韓国語原文入力:2021-03-1910:03
訳H.J

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