原文入力:2009-08-27午前11:18:24
論難と共に発展してきたヌード写真の歴史…
最近 アマチュア写真家の関心も高まり
パク・ミヒャン記者
←アンドレ ケルテス。‘わい曲させたヌード,No. 40’(<写真に現れたからだ>イェギョン)
あなたの前に数千枚の写真がある。すべて違う。花,子供,戦争,愛,悲しみ,死そして裸身が混ざっている。そのうちで真っ先にあなたの目をひきつける被写体は何だろうか? 小物の腕のようにまっすぐ伸ばしさっさと他の人がひったくる前に懐の中に入れてしまいたい写真は何だろうか? 人のからだをとったヌード写真ではないか!
美に対する価値判断を離れても脱いだからだほどに私たちの視線を惹きつけるものはない。うごめく本能の彫刻と芸術があたえる恍惚感がその中に溶けている。脱いだ人を取った写真をよく‘ヌード写真’という。ヌード写真はエロ写真やポルノ写真とは区別される。エロ写真とポルノ写真がからだを通じて性的な刺激だけを呼び起こすことが目的ならば、ヌード写真は芸術的な目的を持った写真家が芸術的な空間で消費する写真だ。ポルノ写真はエロ写真より一層露骨な内容を含んでいる。
←ヘルムット・ニュートン. ‘キツネ毛の外套を引っかけたローラ’(写真集<ヘルムット・ニュートン>)
ルイス,キャロルの少女ヌード写真
写真家ならば一度ぐらいは自身のアングルに入れてみたい被写体がからだだ。なぜ? 私たちのからだほど私たちに近いところで喜怒哀楽を歌う被写体はないためだ。ヌード写真の歴史はそのような人間の心象に寄り添って始まった。
←エドワード ウェスタン. ‘ヌード’(<クルラシコ50写真家>ヘネム)
1839年‘ダゲレオタイプ’(ルイ ザック マンデ ダゲールが発明した写真撮影,現象,定着プロセス)が発表され始まった写真の歴史は、画家たちのためのものだった。画家たちは自身が描きたい人物や風景を写真に残し絵を描いた。ヌード写真も同じだった。画家たちはヌード画を描くためにモデルが必要だったが、長時間モデルたちを裸にしては置けなかった。そこで画家たちはモデルの裸身を写真に残した。写真の卓越した描写力と写実的な効果は即座に陰湿で凶悪な男たちの心をとらえた。妻以外には裸の女性のからだを見られなかった男たちはヌード写真に熱狂した。19世紀浮上するブルジョア階級の男たちは高値でヌード写真を買い、はためくマントの中にしのばせ自分たちの欲望を満たした。こういう理由でヌード写真は低級なものと取り扱われたり社会的非難まで起こした。
写真家たちはこういう雰囲気を打破しようとヌード写真を画家の絵のように撮った。ヌードモデルたちは有名な絵の中に登場する女性と同じ姿勢を取った。写真の上に色をつけたりもした。<不思議の国のアリス>の作家で、写真作家としても活動したルイス キャロルは幼い少女の裸身をを撮り、たびたび妙な彩色で夢幻的な雰囲気を醸し出した。彼の写真は事後に多くの論議を呼び起こしもした。
男性ヌード写真も登場した。ヴィルヘルム フォン クルルェデンの写真の中の裸の男性らはあたかもギリシャ,ローマ時代の神々のように見える。
←マン レイ. 'キキ-アングル バイオリン’(<クルラシコ50写真家>ヘネム)
1910年代に入り写真家たちは写真本来の性格に忠実なストレート写真に関心を抱く。ヌード写真も絵画的で夢幻的な雰囲気から抜け出し始める。1917年から1933年までアルフレッド スティグルリツは自身の恋人ジョージア オキーフ(米国の画家・彫刻家)のからだを撮った。彼女の陰毛が写真の中に黒い森のように赤裸々に登場する。屈曲したからだだけがあり頭は切られ腕はどこへ行ったのか見あたらない。彼は「写真が写真のように見えることを恥じるな」と話す。エドワード ウェスタンは<ヌード>という彼の作品で自身のモデルであり恋人だった写真家ティーナ モドティのからだを撮った。強い光と影の間で屈曲した人間のからだが正確で鋭く描写された。超現実主義の影響を受けたヌード写真も登場する。アンドレ ケルテスは写真の中に魔術師が妖術を働かせたように曲がりくねった身を置いた。<わい曲させたヌード,No. 40>が代表的だ。19世紀のヌード写真が投げかけた姦淫症的な臭いはもう見られない。マン レイは裸体を自身の写真実験材料に活用することもした。彼の作品の中の裸身にはバイオリン模様が描かれやや分厚い女性の乳房の上には白いすじがしみ紋のように浮かび上がっている。
←ルイス キャロル. ‘エブルリン モード ハッチ’(<クルラシコ50写真家>ヘネム)
20世紀に入り、被写体としての裸身に対する写真家たちの探求は多様な方式で繰り広げられる。ティエン アバスが撮った裸体主義者,アダムとイブのように男女の裸身を撮ったトゥエイン マイクルス,米国同性愛者たちのからだを撮ったロバート メプルソプ,手足が縛られた裸体の女性をとったアラキ・ノブヨシなど、資本主義が発達するほどヌード写真に含まれた作家の意図は少しずつ変わり複雑になっている。写真評論家パク・サンウは現代写真におけるヌードは「作家ごとにヌードという形式は同じでも、その内容と芸術的な意味は完全に違う」と話す。「ロバート メプルソプは芸術的意味としてヌードの概念はそのままだが、彼のある写真はポルノ写真よりさらに刺激的」と話す。
韓国の写真家たちも被写体として裸身に対する関心は多大だった。自身のからだを赤裸々に表わした写真家チェ・クァンホのヌード写真,2007年ヌード写真展<からだ>を開いたファッション写真家キム・ヨンホ,長時間露出技法で裸身を撮ったキム・アタなど.
定期的撮影大会を開くカフェも生まれて
資本主義が発達し芸術写真領域を抜け出したヌード写真はファッション写真と広告写真などにとても重要な(?) 材料として使われた。20世紀ファッション写真史の巨匠,ヘルムット・ニュートンはモデルの裸の上に毛皮コートだけを肩にかけるようにして写真を撮った。彼の強烈なファッション ヌード写真は<ヴォーグ>,<エル>,<クイーン>等、世界的なファッション雑誌に紹介された。
一枚のヌード写真で世界的なスターになることもある。マリリン・モンローは写真モデル時期に撮ったヌード写真が俳優への踏み台となった。1953年ヒュ ヘプノが創刊した雑誌<プレイボーイ>はヌード写真を積極的に活用し販売部数を伸ばした。
←イム・スンオク(ミンヌードドットコム運営者)
21世紀のヌード写真はさらに複雑で執拗に私たちの多様な領域にまで影響を及ぼしている。
2009年、写真が趣味のアマチュア写真家たちも芸術写真家に劣らずヌード写真に関心が高い。写真専門インターネット サイト‘エスエラル クラブ’や‘レイソダ’,‘フォトリーグ’等の写真ギャラリーに行けば、アマチュア写真家たちが撮った数多くのヌード写真を見ることができる。こういう写真は韓国写真作家協会(以下 写協)が主催したり、ヌード写真カフェが開いたヌード写真撮影大会に参加して撮ったものが大部分だ。
写協は1ヶ月に1,2度のヌード写真撮影大会を開く。100人余りの会員がモデル3~4人を岩や景色の良いところでポーズをとらせて写真を撮る。
最近は小規模ヌード写真撮影大会が人気だ。望み通りの時間に思う存分写真を撮ることができるという長所のためだ。ヌード写真カフェ ミンヌードドットコム(minnude.com)を運営するイム・スンオク(37)室長は会員数が2790人だと話す。2005年オープン初期には会員数が1万人余りだったが、2007年に成人認証制を導入し現在は純粋にヌード写真に関心がある会員たちだけが残ったと話す。彼は月に一度以上の撮影大会を開く。写協主催撮影大会に参加する人々が50~60代男性が多い反面、ミンヌードドットコムの会員たちは30~40代の会社員が多い。
ヌードモデルは20代後半の専門ヌードモデルから成人映画演技者まで多様だ。撮影場所は大部分が照明施設を備えたスタジオだが、水中撮影とか風変わりな雰囲気演出のために高級ホテルやモーテルを利用したりもする。小麦粉を髪の毛にまぶし高速で撮るなど多様な技法が活用されたりもする。イム室長は「モデルをよく表現する能力が重要で、一枚の芸術作品を撮るために悩んで悩み抜かなければならない分野」と話す。ややもすると作品よりはヌードモデルのからだにだけ関心がある人々は絶対お断りだと彼は話す。
ミンヌードドットコムのように定期的にヌード写真撮影大会を開く有名ヌード写真カフェやスタジオは全国に10ヶ所程度あると知られている。一部あらわれなかったヌード写真カフェの中には商業的な目的のために過度に刺激的な撮影大会を開いたり、本来の趣旨を喪失したところも希にあると知られた。
文パク・ミヒャン記者mh@hani.co.kr
原文: https://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/373304.html 訳J.S