「これほど圧倒的なスケールの陶磁史展示会は見たことがありません。その上、多くが私も初めて見るものなので」
昔の陶磁器で埋め尽くされた大きな展示棚の間を「隣のおばあさん」のような日本の老学者はまるで少女のように急ぎ足で見て回っていた。青磁、白磁、土器など各種の遺物に逐一目を通し、メモに余念の無い姿からは至上の幸福感が漂っていた。
1976年~84年、全羅南道新安郡(シナングン)の海中から引き揚げられた14世紀の元の沈没船(新安貿易船)に積まれていた陶磁器2万点を、史上初めて収蔵庫から出し全量展示したソウル龍山(ヨンサン)の国立中央博物館「新安船特別展」に24日昼、大切なお客さんが訪ねてきた。東アジア陶磁史の世界的権威である日本の根津美術館の西田宏子副館長(77)だった。50余年の長きにわたり韓中日の陶磁器を歩いて見てまわり、交流の歴史を研究してきた彼女は「展示は感動そのものだった。新しい発見の喜びと好奇心で胸が踊った」と打ち明けた。
「76年の新安貿易船発見後に、チェ・スンウ、チョン・ヤンモ先生など韓国の学者たちと船に積まれていた韓中日の陶磁器の経緯について語らい続けてきました。日本では新安船の名品の一部が1983年に初めて展示され紹介されたが、その時の展示をはじめ、韓国での新安船展示もほとんど漏らさず見ました。中国各地の有名な窯の生産品、高麗青磁、日本の陶磁器が網羅された新安船陶磁器の経緯はある程度分かっていましたが、今回の展示には個別の名品だけでなく積まれていた陶磁器の全貌がそっくり出てきたのでとてもうれしかった。窯別、形式別に主な陶磁器の意味や歴史的脈絡が確実に明らかになったことを感じました」
西田副館長は、日本の陶磁史学界を代表する碩学だ。英国のオックスフォード大学院で博士号を取り、東京国立博物館で学芸員として奉職し、韓国の国立博物館でも研修した。朝鮮時代に朝鮮半島南海岸の窯から日本に渡った井戸茶椀の伝来経緯の研究などで顕著な研究成果を上げた。中世以後の韓中日陶磁の影響関係にも関心が強い彼女は、展示場に二時間以上留まり、青磁白磁の器や造形物をはじめ、生活遺物まで丹念に見てまわった。
彼女の鑑賞評で特に興味深かったのは、高麗青磁に対する言及だった。今回の展示を見て、高麗青磁が国際的な交易品であったし、中国の著名な窯でもそれを真似た製品を出すほど、評判が高かったことを改めて知ったという。「高麗青磁は汝窯のような宋の高級窯から一方的に影響を受けたものと考えていたが、今回展示された新安船の船積み品である汝窯産の香炉を見ると、高麗青磁香炉の色や形をまねて作った跡が歴然でした。一部の青磁は汝窯より高麗窯のものがはるかに優れていたことでしょう」
西田副館長は新安船が出港した中国の港の寧波には、高麗青磁を商う骨董商人が相当に多かったと見ると話した。新安船に一部積まれていた高麗青磁も、そんな風に入手して船積みしたもので、それほど中国でも高麗青磁の知名度が高かったと推定できるという説明だった。
彼女は一歩進んで、この展示が中世日本に入った中国系陶磁名品の用途や流入過程、東アジア中世の陶磁交流などを研究するうえで大きく役立つ契機になると期待した。「遺物の中の最上品白磁は、船の最終寄着地と推定される日本で当時は使われなかったものです。このような白磁がどんな目的で取引され、実際にどのように活用されたかを、もう少し研究しなければなりません。新安船の陶磁器の中には解き明かさなければならない秘密がとてもたくさんあります」