登録 : 2015.10.15 23:01 修正 : 2015.10.18 12:26

狭い路地と伝統の刺身料理屋に旬のコノシロ・イセエビ

北城浦口には乾物店もある =パク・ミヒャン記者//ハンギョレ新聞社

 北城浦口(プクソンポグ)をご存じですか? 「仁川路地文化守り」のイ・ソンジン理事長は“知る人ぞ知る超穴場”が、仁川土地っ子だけが知る美味しい店が集まる入り江にあると説明した。 仁川広域市中区月尾路50番地にある北城浦口は一時、花水埠頭、萬石埠頭とともに首都圏3大漁港だった。満船(大漁)の旗を掲げた漁船が停泊すれば、足の踏み場もないほどに人々が押し寄せた。 1970年代末まで首都圏最大の漁港として魚市場の名声を享受した北城浦口は、1975年に沿岸埠頭一帯が埋め立てられて魚市場の商店が一つ二つと沿岸埠頭へ移転して衰退の一途を辿った。 彼らが去った後には工場や屑鉄野積場などができた。 旬の魚を味わいに来る観光客は蘇来浦口(ソレポグ)に移っていった。寂れる一方に見えたこちらに最近数年間で変化の兆しが見え始めた。 西海岸(ソヘアン)の夕日と工場を一つのフレームに収めるというアマチュア写真家がポツポツと精米所のスズメのように舞い込み始めると、狭い路地をすり抜けてようやくたどり着く垢抜けない風景に惹かれた人々が訪ね始めた。

 今月9日、地下鉄1号線仁川駅は黄色い秋の日差しに染まっていた。 旅行先に仁川を選んだ人々があふれていた。 忠清北道清州(チョンジュ)市に暮らす高校生ソ・ヨンホ君と彼の友人も、その中に混じっていた。 ソ君は「二回目の仁川旅行ですが、あまり知られていない所を探して仁川の味を感じたい」と話す。 北城浦口こそが彼らの目的地だ。

 仁川駅から徒歩15~20分の距離にある北城浦口は荒涼たる高架道路とものさびしく巨大な大韓製粉仁川工場を過ぎたところにある。道沿いの街路樹のように気をつけていなければ見逃してしまう。大韓製粉の子会社である大韓飼料工業仁川工場の屋根には「熊印大韓飼料」という巨大な文字が書かれている。潮の香りのする海側とは異なり、土や石、うとましい都市のセメントの臭いが漂っている。目をあげれば「北城浦口」と書かれた古びた看板が見下ろしている。

一時は首都圏3大漁港の一つ
沿岸埠頭に押されて衰退の一途を辿る
ノスタルジーと新鮮な魚介で注目
出張族の口コミでグルメも訪れ
花水埠頭・萬石埠頭も同伴人気

旬のイセエビ塩焼きも大盛りのパダ(海)刺身店 =パク・ミヒャン記者//ハンギョレ新聞社

 看板の下をくぐって路地に入れば、大人3人が並んでは歩けないほどの狭い通りだ。 再び左に曲がって1~2分歩けば、「萬石17回同窓会」と書かれた板が立っていて、その上に「パダ(海)刺身店」が見える。 そこから再び左に入れば大人1人がやっと通れるほどの路地を挟んで左には水槽が、右には刺身料理屋が並んでいる。全部で6店舗ある刺身料理屋が、その昔の北城浦口の栄華を反芻しながら現在を生きている。

潮の干満差を眺めて楽しめる北城浦口の刺身料理店 =パク・ミヒャン記者//ハンギョレ新聞社
江華ポル音島(カンファポルウムド)刺身店のコノシロ焼き =パク・ミヒャン記者//ハンギョレ新聞社

 パダ刺身店、ヨウネ(狐家)刺身店、江華ポル音島刺身店、ミソ(微笑)刺身店、ソンエネ江華刺身店、テホネ刺身店が立ち並んでいる。江華ポル音島(カンファポルウムド)刺身店の主人カン・プンスンさん(74)は刺身店が立ち並ぶ前からここで牡蛎や貝を行商籠に入れて売った。 「ここで商売を始めてもう50年になるだろうか。昔はここは“糞広場”と呼ばれていた」。朝鮮戦争後、ここは故郷から越南してきた失郷民であふれていた。板きれで家を作って共同トイレが1、2カ所しかなくて、住民たちは人目を伺いながら用を足した。潮が満ちてくれば大便がふわふわ漂っていたので“糞広場”と呼ばれたという。

 これらの刺身店の窓は海に向かって開いていた。窓外の風景は時間によって変わり、それもまた北城浦口だけの魅力だ。 水槽の前の台の上には旬のコノシロ、イセエビ、旬が過ぎたマナガツオなどが慎ましく横たわっている。 干満の差で海水に浸かっていた干潟は、日暮れ時になれば表面があらわになる。干潟の向こうに工場の灯りがポツリポツリと点れば、呑助たちの騒々しいおしゃべりが始まる。江華ポル音島刺身店でコノシロの刺身を注文すると従業員が「今は刺身で食べられる新鮮なコノシロは入りません。 焼き物が美味しいですよ」と助言する。カンさんのように江華島(カンファド)が故郷の人が他にもいる。 創業25年になったソンエネ江華刺身店の主人チョ・クムグンさん(67)とテホネ刺身店のチャ・ギョンニムさん(53)だ。 チョさんは「今はコノシロが少ないので高い方」として「この路地の刺身店はどこも同じ状況」と話す。 今月13日基準で鷺梁津(ノリャンジン)水産市場の活きコノシロ相場はキロ当たり2万5000ウォン(約2500円)で前日より4500ウォンも騰がった。 国立水産科学院南東海水産研究所のイ・ジョンフン博士は「7~8月のコノシロ漁獲量は昨年と同水準だったが、9月以後は昨年比で大幅に減っている」として、水温が低いことを理由の一つに挙げた。コノシロは水温が高いところに棲む魚だ。 活魚で流通するコノシロは沿岸で主に獲るが、今年は水温が低く個体数が減ったということだ。 イ博士は「このような状況はこれからも続く見込みで今年は活きコノシロを刺身で食べるのは容易でない」と話す。

 12年前に開業したヨウネ刺身店は全羅北道の金堤(キムジェ)が故郷の主人ソン・スンヒさん(60)手製の「キョットゥリ アンジュ」(突き出し)が大盛りだ。この路地の最年少はパダ刺身店の主人キム・ヤンヒさん(48)だ。 彼女は母親のイ・ジョンスクさん(84)と姉のヤンスンさん(56)さんが営んできた刺身店をこの5月に引き継いだ。ミソ刺身店の主人キム・ボンエさん(65)と彼女は仁川の土地っ子だ。キム・ヤンヒさんは「幼い時に板きれでイカダを作って遊んだ」として、この一帯の70年代の風景を懐かしむ。彼女はさらに「20余年前、姉(ヤンスンさん)が車のタイヤの中の金属をはがして、貝を焼くための火鉢を作って商売を始めた」と話す。 彼女は「イセエビが旬で新鮮だ」と薦める。 こちらの刺身店のメニューはほとんどどこも同じだ。 コノシロがメインメニューで、つまみの味に違いがあるだけだ。 こちらの刺身店の主人6人は、お互い友達や家族のように人情を感じて路地を守っている。

 仁川北城浦口は韓国の近現代史を抱いている。1890年にソウルから仁川に来たチョン・フンテク兄弟は小規模な魚の行商販売を常設魚市場の形に脱皮させ富を築いた。日帝侵略以後、日本人も魚市場の運営に入ってきた。 日帝は魚市場を「第1公設市場」に合併し、仁川府の直営に変えた。1929年から1931年まで北城洞の海岸一帯を埋め立て、水産物の共同売場と魚市場、漁業用製氷工場を設立した。北城浦口の歴史だ。

仁川/パク・ミヒャン記者 (お問い合わせ japan@hani.co.kr )

韓国語原文入力:2015-10-14 19:41
http://www.hani.co.kr/arti/specialsection/esc_section/712846.html 訳J.S(3095字)

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