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6世紀初め 新羅 碑石 浦項で発見‘

原文入力:2009-05-15午後11:40:34
‘冷水里碑’ より古い可能性

ノ・ヒョンソク記者

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慶北,浦項市で6世紀始めの新羅の古い碑石(写真)が発見された。
文化財庁は「去る14日浦項市,興海邑ハクソン里の道路工事現場で昔の碑石が出てきたという申告を受け、国立慶州文化財研究所に移し分析した結果、新羅古碑石であることを確認した」と15日明らかにした。これは現在最も古い新羅碑石として公認された迎日冷水里碑’(503年建設推定,国宝264号)が1989年に発見されたところから東に約8km離れている。文化財庁側は「ある住民が工事現場で平たい石を持っていって使おうと洗ってみて碑石文字を確認して申告した」と付け加えた。

発見された碑石は最大高さ104㎝,最大幅49㎝,厚さ12~13㎝の自然石だ。一面に12行200字程度の文字が彫られている。新羅6部中一つの‘沙喙部,地名の‘古利村’,官等・官職名‘阿干支’ ‘道使’等が確認される。特に一番先頭部分の干支である‘辛巳’は建設時期を知らせる糸口で、501年または561年と推定される。

パク・ジョンイク慶州研究所学芸室長は「碑石の官等名が561年に建てられた昌寧真興王拓境碑に出てくる官等名よりさらに旧式なので501年である可能性が高い」として「その場合この碑石は国内で最も古い新羅碑石になる」と話した。チェ・グァンシク国立中央博物館長も「碑石に地方官の名前と罪に対する言及などが見える点から推測して新羅の地方統治,裁判などと関連した内容等を含んだ行政・布告用石碑と推定される」と明らかにした。

ノ・ヒョンソク記者nuge@hani.co.kr

原文: https://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/355164.html 訳J.S