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日本に行った朝鮮青年と韓国の移住民

登録:2014-02-23 21:04 修正:2014-02-24 06:56
<野蛮の街> キム・ソヨン著
チャンビ(創批)・1万2000ウォン
チャンビ(創批)提供

差別を体験し生まれ変わる立志伝
1920年代の東京は今のソウル韓国
移住民労働者の現実を連想

<野蛮の街>は日帝強制占領期に朝鮮の田舎出の少年が7年間の旅行を通じて頑健な青年に育つ旅程を描いた青少年小説だ。 設定だけ見れば別に興味をそそららないが実際読んで見ると思いがけない収穫があった。 朝鮮の青年が他の地域、それも植民本国に渡って行き、あらゆる差別と労苦を体験し、真の民族主義者に生まれ変わるという立志伝はしばらくさておくとしよう。代わりにその青年を今韓国に来ている多くの移住民労働者と重ねて見るとすぐに何か違った感覚が生まれた。

 政治がめまぐるしく、教育を受けることも困難で、経済状況が劣悪で、若者の未来を拘束している国々が依然として多い。 かつては朝鮮が、韓国が、そのようにして脱出したい所だったが、今は‘コリアンドリーム’を抱いた世界各地の青年たちが流れてくる所になった。 1920年代の日本東京は2010年代のソウルでもある。 しかし、実際に空港(当時は港)に足を踏んだ時から、チャンスの土地が‘野蛮の街’に急変するのは、その時も今も同じだ。 1923年、関東大地震と朝鮮人虐殺のような狂気のジェノフォビア(異邦人嫌悪)は2014年の韓国ソウルでもいくらでも起きうることだ。 もしかしたら、今が1920年代の東京よりはるかに遅れているかもとすら考える。

 主人公 トンチョンは東京に渡り労苦を体験するが、古本屋で働きながら勉強と仕事を併行した。 大学に入学し社会主義を勉強し、日本人同志たちと熱を帯びた討論を行い朝鮮人留学生の集いにも情熱を注いだ。 社会主義の理想で充満していた当時には、天皇制廃止を望む日本人たちと植民地独立を熱望する朝鮮人の連帯は自然なものだった。 しかし今はどうか。 英語圏から来た外国人と友人なることは望んでも、政治的にも経済的にも劣悪な国から来た人々と本当に心を交わして連帯し、その国と我が国の矛盾を共に解決しようとする意志は探してみ難い。

 1920年代、東京の朝鮮人青年は移住民労働者として残忍で非理性的なジェノフォビアを体験し、留学生としては植民地本国の青年たちと知的に平等な連帯を経験した。 2014年の韓国は、この地の移住民にどんな姿を見せているだろうか。 まもなく社会の仕事場に出て行ったり、大学に入る青少年にとっても、この問題は単に大人の問題ではない。 少なくとも今、私たちが住む所が誰かにとって‘野蛮の街’になることは止めなければならないだろう。

パク・スクキョン児童文学評論家、写真 チャンビ(創批)提供

https://www.hani.co.kr/arti/culture/book/625465.html 韓国語原文入力:2014/02/23 19:55
訳J.S(1238字)

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