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珍島の5月は天然色山水画

原文入力:2007-05-10午後06:50:15
←朝鮮時代の南画の大家、小痴 許鍊が滞在した雲林山房。4月中旬頃からが最も美しい

小痴先生が滞在した雲林山房
しだれ柳の薄緑色の芽が出て
広い麦畑が春風に揺れる
韓半島随一 ‘セバン落日’に
小さな島々が赤く燃えた

5月は珍島が最も美しい時。向東峠を越える曲がりくねった峠道には陽炎が立ち野原には黄色い大根の花が明るく咲く。どこまでも広がる麦畑は春風に揺れて雲林山房の池のまわりのしだれ柳には薄緑色の新芽が出る。

珍島は国内で3番目に大きい島だ。西海岸と南海岸をつなぐ潮目,珍島大橋にのぼれば橋の下に一日に4回時速11ノットで流れる激しい潮流を見られる。渦巻く鳴梁海峽の水音はあたかも大きな牡牛の群れのなき声のように聞こえる。それほど水の流れが強い。1597年李舜臣が軍船12隻で133隻の倭船を迎え撃ち、33隻を撃沈した鳴梁大勝の現場だ。

←珍島大橋を渡ると広がる麦畑。くるぶしを覆う程育った麦の青さが抽象画のような風景を見せてくれる

珍島大橋を過ぎ珍島に足を入れた瞬間、珍島の各種の色彩に目が喜ぶ。くるぶしを覆う程に育った麦は、青い上に青く白菜畑には大人の掌ほどの葉をつけたハクサイがすくすく大きくなっていきつつある。深緑色の長ネギ畑と並んでいる黄色い大根畑は一幅の抽象画のような風景を作り出す。

珍島旅行で最初に立ち寄らなければならない所は義新面,斜川里にある雲林山房だ。雲林山房は朝鮮時代南画の大家、小痴 許鍊が滞在した所。草衣禅師の下で恭齋 尹斗緖の画帳を通じて絵を習い始めた小痴は秋史 金正喜から書画授業を受けた。秋史は小痴について ‘鴨緑江の南には敵う者がいない’ と絶賛した。詩書畵で当時を席巻した小痴だったが、1856年師匠秋史が亡くなると全てを捨てて故郷に戻り雲林山房を造り余生を送った。小痴の画脈は子息の米山 許瀅と孫の南農 許健、曽孫の林田 許文で4代にかけて続いている。

←朝鮮時代南画の大家、小痴 許鍊が滞在した雲林山房. 

雲林山房は4月中旬頃からが最も美しい。しだれ柳には赤ん坊の爪ほどの芽が出て、雲林山房の後の尖察山も春光を帯び始める。やわらかい春の日差しを受ける薄緑色の新芽。雲林山房で送った小痴の晩年はとても幸せだったことだろう。

雲林山房を出て向東峠に行く。珍島東側の海をひと目で見ることができる所だ。 峠に珍島を眺望できる展望台がある。足下に錦湖島,茅島,斗力島,無楮島,大三道などが碁石のように浮いている。海霧に消されてはいきなり現れる数多くの島々の姿が神秘的だ。向東峠は珍島住民たちに日の出眺望地として知られるところ。天気がよい日には済州道,漢拏山まで見えるという。

←セバン落日
向東峠を越えて出会う義新面茅島里は ‘神秘の海辺の道’ で有名だ。古郡面回洞里と義新面茅島里の間の約2.8kmが潮の干満の差で1年に3~4回分かれる。珍島の人々はこれを‘ヨンドンサリ’と呼ぶ。1975年ランディ駐韓フランス大使が ‘韓国版モーゼの奇跡’ とフランスの新聞に寄稿して全世界に知らされた。水路が完全に分かれる時は春(4・5月)と秋(10・11月)に各3日ほどずつ、 秋には夜明けに分かれるのできちんと見るのが難しく春に開く水路が最も良い。

海辺の道が開かれる姿は神秘そのものだ。海は茅島から分かれ始めるが、あたかも三日月のように曲がった水影ができ徐々に分かれる。浜辺の終わりで正体が現われ始め海まん中で道が合う。幅は広いところが1,狭いところは10mにもならない。水路が開く時間は2時間だ。水路を見るのに最も良いところはポンハルモニ銅像後方の山の斜面にある展望台.ここから海が分かれ合わさる姿がひと目で全て見える。

←南桃石城

龍登祭の歴史は500年前にさかのぼる。回洞里の人々は虎を避けて茅島に避けて身を守った。だが急いで行ったためポンハルモニが一人で残されてしまい、ポンハルモニは家族に会いたくて龍王に祈りを捧げた。感動した龍王は海を開き家族たちに会えるようにし、ポンハルモニは ‘みんなに会ったので今は死んでも心残りがない’ という話を残して息をひきとった。以後の人々はポンハルモニを賛える法事を行ったがこれがまさにヨンドンサリだ。

珍島の西側海は日没が美しい。特に智山面,セバン里は中央気象台が挙げる韓半島一番の落日名所。道路周辺に夕日展望台が用意されている。夕日展望台から海側を眺めれば大小さまざまに集まっている多島海の島々の間に赤く落ちる夕日を目撃することができる。ヤンドク島,チュジャ島,ヒョル島,クァンテ島などの島々が夕日の中に赤く燃え上がる姿は言葉では言いようがないほど美しい。

←珍島草原

セバン里を離れ、また南に行けば臨淮面南桃里。三別抄の指導者ペ・ウンソン将軍がモンゴル-高麗連合軍に追われ、最後を終えた南桃石城がある。三国時代に積まれたと知られた南桃石城は周囲610mの原形がそのまま保存されている。城壁の高さは5~6m程度だ。南桃石城は城内に人々が実際に住んでいるという点で特異だ。城内には20世帯余りの住民が居住している。南桃石城で会ったある老人の話によれば日帝時代にも120世帯余りが暮らしていたが、今は町に出て行っていない。その上、城の出入り口というべき東門と西門,南門は農機具が自由に出入りすることができないほど狭い。

石城を囲む小川にかかっている2つの美しい橋も見逃せない。東側にあるのタンホン橋、西側にあるのがサンホン橋だ。我が国の、浮かしの ‘虹橋’ の美しさをそっくり今に伝えている。

文・写真チェ・カプス/旅行作家・詩人

旅行手帳

←珍島

▲行き方
西海岸高速道路木浦出入り口で出て、榮山江河口堰と霊岩防潮堤をすぎれば77号国道。右水営で18号国道に乗り珍島大橋を渡れば珍島だ。18号国道は珍島を南北に横切った後、東側海岸を通って一周する。南桃石城は18号国道に乗ってペンモクまで行かなければならない。ペンモクから臨淮面に出て智山面へ行く16号郡道に乗れば、セバン落日展望台. 雲林山房は珍島邑で双渓寺方面表示板を見て行けば良い。珍島郡庁観光課(061)540-3219,雲林山房管理事務所(061)543-0088,おとな2000ウォン,青少年1000ウォン,子供800ウォン.

▲泊まる所
珍島邑と珍島大橋周辺に旅館やモーテルが多い。太平モーテル(061-542-7000),プリンスモーテル(061-542-2251),南江モーテル(061-544-1414)等がある。

▲食べる所

黒米と珍島紅酒,岩わかめなどが珍島特産品だ。珍島邑チョルマ広場にある沃川刺身料理屋(061-543-5664)が名が知られた韓定食店。塩辛と海産物がたくさん出る。

セバン里落日展望台の下にある多島海観光刺身センター(061-543-7227)は展望が良い。海産物と新鮮な刺身を味わうことができる。

▲その他

毎週土曜日午後2時から珍島郷土文化会館(061-540-3543)大公演会場で ‘土曜民俗公演’ を見られる。カンガンスレ、シッキムグッ、珍島鼓遊び,珍島挽歌など多様な音楽を公演する。

5月16~17日両日、古郡面回洞里~義新面茅島里の浜辺および海辺の道一円で ‘珍島神秘の海辺の道 5月祭り’ が開かれる。サムルノリ公演,珍島アリラン学習など多様な行事が準備されている。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/culture/travel/208407.html 訳J.S