MBCの公正性の象徴 ソン・ソッキが
総合編成チャンネルJTBC行きを選んだ
「正論のための全権を約束された」と言うけれど
勝率低い "危険な賭け" のようで
信頼度1位の言論人ソン・ソッキ
JTBCのアクセサリーにならないことを…
「結局はこのように行くんですね。」 ソン・ソッキが<中央日報>の総合編成チャンネル
私の周辺の反応は大きく2つに分かれた。「残念だが、ソン・ソッキだから何か理由があったんだろう。」と「ソン・ソッキだから一層残念だ。」 それは十分予想できることだった。 私たちは皆1992年のMBC労組のストに参加して主導者と見なされ拘束された青い囚衣姿の彼を記憶している。 捕縄で縛られた状況でも澄みきった笑みを浮かべていた36才のソン・ソッキは、MBCの公正性を象徴する存在であった。 <100分討論>と<ソン・ソッキの視線集中>を通じて、自身のブランド価値を越えてMBCの信頼性まで一段階引き上げた傑出した存在。 人々は「ソン・ソッキだから」一層残念がったり、あるいは「ソン・ソッキだから」あまり失望しないようにしようと努力していた。
ところで面白いことに、ソン・ソッキを "言論人" でない "放送人" と見る人々は彼のJTBC行きを概して理解する雰囲気だ。 歌手やコメディアン、タレントなどの放送人が総合編成チャンネルに出演するのを道徳的定規で評価しないように、ソン・ソッキの役割を全て "放送人" と見るならば理解できないことでもないではないかという話だ。 言ってみればこのような論理だ。
「事実取材は作家やディレクターがすべてしてくることで、この人はそれを材料に放送をなめらかに進めていく放送人だったわけでしょう。 もしこの人の役割を言論と見るならば、キム・ジェチョルが社長だった去る3年間、MBCが壊れていく成り行きを見ながらも沈黙したことに対する責任をさらに重く問わなければならないでしょう。 ディレクター・出演者など一緒に仕事をしていた製作スタッフが切られていく間にも、それに対するいかなる抗議もなしで黙黙と出演して出演料を受け取っていたんですから。」
2010年3月キム・ジェチョル社長が入ってきてからMBCはソン・ソッキを執拗に揺さぶった。 <100分討論>の進行者の椅子からソン・ソッキを追い出す際には "出演料" をその理由に上げたし、その過程で彼が<視線集中>でいくら受け取っているのかも満天下に公開した。 MBCラジオ全体をあわせて<シングルボングルショー>の進行者であるカン・ソクに次いで多い出演料を受け取っているという事実は、ヘッドラインとなって人々の口端に上った。 長いストライキとそれにともなう後遺症で皆が取り込んでいる合間を利用して、MBCはこっそりと、長い間彼の手足となって共に仕事をしてきたディレクターと出演者を次々取り替えた。 ソン・ソッキは公開的にいかなる抗議もしなかった。 代わりに彼は一週間に6回、自身の席を静かに守ることでキム・ジェチョルの3年間を過ごした。
言論人の役割は機械的公正性を守ることではなく、特定の懸案に対する自分だけの観点を持ってこれを客観的ファクトと論理的構造で "フレーミング" (framing・枠組みを作ること)して見せてくれることだ。 したがってMBCの公営性後退に対してこれといった立場を提示しなかった "マスコミ人" ソン・ソッキの歩みは明らかに批判されるべき側面がある。 それも、名実共に韓国で "信頼度1位の言論人" と評価されてきた彼ならば、批判はより一層避けにくいだろう。 実際私たちはここ数年間、ソン・ソッキから社会各層の多様な見解を伝達されただけであって、彼自身が特定の懸案に対してどんな観点や考えを持っているのかについては知らない。 彼は公正な討論仲裁者であり情報伝達者としての位置が揺らぐことを憂慮するあまり、インタビューを一度することも難しい人として名が通っていたから。
別の見方をすれば 、 "放送人" ソン・ソッキが自分の席を守らなかったとすれば、MBCの公営性は完全に再起不能状態になったかも知れない。 <世界は、そして私たちは>の進行を務めて退出させられた放送人キム・ミファ、所信を盛ったクロージングメントを放棄しないために<ニュースデスク>から降りなければならなかったシン・ギョンミン アナウンサー、<ディレクターの手帳>を主導したチェ・スンホ ディレクター。 彼らがMBCを去ったことは多くの人々の怒りを引き起こし大きな話題になったが、話題はMBCに留まらず、むしろ去っていった人々について移動した。 MBCは元に戻すことができないほどに壊れてしまったように見えたし、キム・ジェチョルはいかなる批判や牽制にも揺らがなかったし、直ちにMBCに取って代われるような窓口が一つ二つ首を差し出していたから。 MBCを生かしたいと思っていた数多くの言論人が傷ついていく中で、一人二人と疲れてMBCをあきらめなければならないのではないかと言い出す人々が登場した。
不当解雇と "新川(シンチョン)教育隊" (訳注:昨年の数ヶ月にわたる長期ストのあと会社側は報復性の人事を強行し、労組員に対してMBCのシンチョン・アカデミーでサンドイッチ作りの教育を受けさせるなど本来の業務とは全く関係の無い部署に発令した。MBC労組はこの人事を80年の第5共和国の "サムチョン(三清)教育隊" をもじって「シンチョン(新川)教育隊」と呼んだ。この人事は裁判所から不当人事であり無効であるとの判決が下ったが、MBCの新社長は依然としてその判決に合わない人事を行ない労組は強く反発している。)の発令に象徴される報復性人事が乱舞したMBCにおいて、十分とは言えないまでも公正性を守る最後の砦は<視線集中>でありソン・ソッキであった。 ソン・ソッキと<視線集中>チームはソン・ソッキ本人の声を聞かせてはいないが、どちらか一方の話だけを偏向的に伝達したり事実を歪曲したりせずに、公正な伝達者としての役割を 堅持した。 <視線集中>まで崩れたとすれば、文化放送のどこにも、一時にせよこの放送会社が公営性を追求した放送会社だったという痕跡は見出せなくなっただろう。 ソン・ソッキが去った後、急速に没落した<100分討論>が、含量不足のパネルを交渉して 含量不足 の討論を見せている現実を見よ。
公正な放送進行者としてのイメージに妨げになることを憂慮してインタビューまで避けてきた人が、大学の講壇まで離れてJTBCに行く賭博を敢行したことは、明らかにいぶかしい決定だった。 しかし彼がアンカーや番組進行者として行くのではなく、 JTBCの各種ニュースに責任を負う報道・時事部門の社長として行くという事実に注目する必要がある。 彼はいまや、自分の考える公正な "言論" とは何かを、ニュースを通して見せなければならない。 "言論人" ソン・ソッキに対する評価は、もしかしたらこれから始まるのかもしれない。 JTBCという総合編成放送のプラットホームを通じて、彼がどんなニュースを聞かせるかによって、彼が今まで維持してきた "信頼度1位の言論人" なるイメージは一瞬のうちに消えてしまう可能性がある。 賭けとすればかなり危険な賭けだ。
ソン・ソッキは<時事IN>とのインタビューを通じて、JTBCから「私が考える正論というものが均衡とか公正さとか、そういったものならば、それを一度実践」できる「全権を」約束されたと話した。 社長という地位が持つ最も大きい魅力がここにある。 社長は高額年俸や名誉も共についてくる地位だが、それ以前に、自ら考えたビジョンを貫徹させる権限を有する地位だ。 ソン・ソッキは放送生活30年のうち前の23年をMBC所属アナウンサーとして、後の7年をフリーランサーの放送人であり講壇の教授として生きた。 とりわけ最後の3年間はキム・ジェチョルのMBCを経験しながら過ごした。 自身の考える望ましい放送を実現できる全権を与えよう、という提案を受けたとすれば、もしかしたら彼としては今まで積み上げてきたすべてのイメージをかけて賭博をしてみるだけの価値があると考えのたかも知れない。
もちろんこの賭博はさらりと同意できるようなものでもないし、勝率が高そうにも見えない。 JTBC の報道が以前と変わらなければソン・ソッキは「JTBC のアクセサリーになった」と言われて不名誉にその経歴を終えなければならないだろうし、彼の言葉のように "正論" を追求する方向に報道論調が生まれ変わったとしても、依然として「財閥の言論所有と巨大言論の総合編成チャンネル進出を正当化するアリバイを提供した」という批判は避け難く見える。 30年間積み重ねた自身の名声とイメージをオールインしたこの一発勝負の賭博の結末はどうなるだろうか。
そして、残った話
「それではこれからは、泣く泣くJTBC のニュースを見なければならないんでしょうか?」
「この賭博の結果に関心がある人ならば、そうしなければならないでしょうね。」
「すでにドラマや芸能は他の総合編成チャンネルに比べて若い視聴者層がたくさん集まっているから、ニュースでも若い視聴者層を捉えることができるならば、他の総合編成チャンネルと差別化することもできますね。」
「それだと思います、JTBCの本音は。」
イ・スンハンTVコラムニスト