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1927年龍山市街図には…日帝の‘永久駐留計画’がそのままに

登録:2013-05-17 00:54 修正:2013-05-19 11:37
創刊企画l 龍山(ヨンサン)基地遺跡の再発見
龍山(ヨンサン)朝鮮駐屯軍兵営図(1927年)

現在残っている龍山(ヨンサン)基地内日本軍兵営施設は、1905年乙巳保護条約直後に樹立された‘永久兵営計画’により1906~1913年8年にかけて築造された。 日本軍は露日戦争の後、朝鮮および中国侵略のために歩兵部隊を強化し始め、1920年頃には安定した編成が完成された。 龍山基地には13師団、6師団、2師団、8師団、9師団などの地域師団が交代で駐留し、1915年に20師団が常駐体制として編成され1942年太平洋戦争に出動するまで留まった。

①龍山基地北側メインポストにある78連隊本部の古の姿。朝鮮駐屯20師団の主力だった。②歩兵78連隊正門。現在も施設の一部が残っている。③龍山の総督官邸、二代朝鮮総督長谷川(好道)が建てた豪華な洋式建築で '龍山阿房宮' と呼ばれた。

 1927年朝鮮総督府で製作した‘龍山(ヨンサン)市街図’(ソウル歴史博物館提供)を見れば、当時龍山朝鮮駐屯軍の兵営施設と編成が分かる。 それだけでなく軍司令部、陸軍倉庫、歩兵連隊兵営が龍山駅と緊密に造成された点、野砲兵営の西側に人為的に日本の民間施設が造成された点等から推し量って兵営の全方向的性格を察することができる。

④1904年露日戦争時に設置された朝鮮駐箚軍司令部。乙巳勒約締結を強圧した主役だった。韓日併合後、朝鮮軍司令部になった。⑤1926年1月10日 79連隊練兵場で開かれた入隊式の光景⑥基地南側 サウスポスト入り口にあった朝鮮駐箚軍司令官官邸。朝鮮強占のための軍事戦略などを謀議したところとも言う。

イム・ジョンオブ記者 blitz@hani.co.kr

写真 培材(ペジェ)大キム・ジョンホン教授・ソミョン出版パク・ソンモ代表 提供、キム・テヒョン記者

⑦78連隊より後に作られた79連隊の兵舎。ペチカの煙突が見える。⑧基地北側の兵器倉庫⑨監獄

https://www.hani.co.kr/arti/culture/culture_general/587846.html 韓国語原文入力:2013/05/16 22:39
訳J.S(612字)

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