‘メディアはメッセージだ’というマーシャル マクルーハンの話(<メディアの理解>)は韓国社会ではこのように変えても差し支えない。 ‘メディア設立はメッセージだ。’ 18代大統領選挙が朴槿恵(パク・クネ)セヌリ党候補の勝利に終わった後、解職言論人とインターネット パッケスト、市民社会団体などを中心に代案放送を作ろうという議論が高まっている。 最大値の不公正選挙放送報道をリリースしたKBS・MBCと朝鮮・中央・東亜総合編成チャネルが送りだした視聴率0~1%台のゴマ粒のような不公正放送に対する反作用だ。 負けることのできない選挙で敗北した原因の一つとして不公正偏向放送が名指しされ、敗北に対する理性的分析と感情的怒りが一同に調和して代案放送推進の流れを作り出した。
代案新聞の25年後に代案放送
野党圏の大統領選挙敗北直後、代案言論設立に寄せられる経験は初めてではない。 <ハンギョレ>創刊過程がそうだった。 1987年12月24日、当時夕刊だった<東亜日報>7面下段にこのような広告が載せられた。 ‘民主化は一発勝負ではありません-虚脱と挫折をぬぐい去りハンギョレ新聞創刊に力をお寄せください。’金大中・金泳三候補の単一化失敗は、直選制で行われた13代大統領選挙で再び軍部出身の盧泰愚を大統領にしてしまった。 その年の12月16日、大統領選挙が終わった後<ハンギョレ>創刊準備事務室は虚脱と怒りで一杯の市民からの電話が鳴り響いた。 選挙敗北一週間後に出てきた‘民主化は一発勝負ではない’という広告は、これらの人々ポカンとあけられた胸を慰めて‘権力と資本に隷属しない’代案新聞の必要性を人々に刻印させた。
25年が過ぎた。 今回は新聞でなく代案放送だ。 不公正放送には公正な放送で対応しなければならないという即自的論理が基礎にあった。 この間に活字より映像媒体の影響力が飛び切り大きくなったという現実もある。 インターネットとスマートフォンなど過去にはなかった新しい媒体の登場も大きな資本が要らない代案放送の可能性を開けた。 人的インフラは李明博政権が作ってくれた。 去る5年間に力量のある解職放送人があふれた。 朴正熙政権時期に解職された<東亜日報> <朝鮮日報>の記者たちが<ハンギョレ>創刊の主軸になったのと同じだ。
<ニュース打破>製作スタッフ、<ナコムス>キム・ヨンミン
現在‘国民放送’推進の流れは大きく2つある。 まず全国言論労働組合とイ・クンヘン前MBC PD,ノ・ジョンミョン前YTN記者など解職言論人が作ったインターネット パッケスト<ニュース打破>がある。 ‘ニュースにふさわしくない古いニュースを打破し、聖域なき調査報道を追求する’という目標で2012年1月に初放送を送りだした。 地上波放送が知らぬフリをしたり縮小報道した4大河川事業不良、済州(チェジュ)江汀マウル(村)海軍基地問題、三星(サムスン)半導体職業病、民間人不法査察などを持続的に報道し成果を上げた。
<ニュース打破>製作スタッフらは12月24日インターネット ホームページを通じて‘公益財団ニュース打破’の設立を推進すると明らかにした。 公益財団形態で資本と人材を強化して既存の調査報道に集中した<ニュース打破>の放送内容と形式を大幅に拡張するということだ。 2013年3月の週2回放送を目標に調査報道の他にメディア監視、国際ニュース、トークショーまでを番組目録に上げる計画だ。 公益財団ニュース打破は‘危機に処した韓国民主主義と言論自由回復に最善を尽くす’という目標も提示した。
2011年下半期から政治パッケスト熱風を追い立てた<ナコムス>のキム・ヨンミンPDが中心となった‘国民TV放送’(仮称)は2012年12月26日に集いを持った後、<ニュース打破>とは別の道を進むことにした。 出資金を出した組合員が中心となる協同組合形態を選んだ。 これを通じて初期出資金50億ウォンを集める計画も議論された。 放送コンテンツはパッケスト用政治トークの他にもニュース分析、深層取材物など幅広く扱う計画だ。
代案放送設立を議論するこれらの人々が熱く燃え上がる一方では、代案放送の必要性に関する世論化作業が更に必要だという慎重論も出ている。 チョ・ジュンサン公共メディア研究所長は、大統領選挙直後に噴出している代案放送設立の動きに対して「李明博政府の‘放送掌握’に対する反発、公営放送に対する途方もない失望が底辺にある」としつつも「放送掌握の問題点を深刻な社会的イシューとして再登場させるには多少時間がかかるだろう」と見通した。 朴槿恵(パク・クネ)大統領当選人の放送政策が当分‘管理モード’になると予想される状況で、放送問題が国民的イシューになるには時期的に早いという分析だ。 ‘放送というもの’に対する適応期間も必要だ。 溌刺さと自由さで人気を呼んだ既存パッケストらとは異なり、放送という形式は一定の‘規律’を要求する。 そのためにチョ所長は代案放送を推進するにしても、初めから大規模に始めるよりは最小限の資本を通じて各個躍進水準に散らばっていた代案言論を代案放送内にかき集めて整理する作業が先行しなければならないと助言した。
国民放送は以前にも推進されたことがある。 1997年大統領選挙を控えてのことであった。 <ハンギョレ>の所有構造をまねた‘国民株’放送が言論団体などを中心に数年間にわたり真剣に検討されたが結局失敗に終わってしまった。 2000年代初期アクセスチャンネル形態の市民放送に合わさったが、市民放送(RTV)もやはり深刻な運営難と微々たる存在感しか残らなかった。
‘放送のために負けた’検討してみるべき
カン・サンヒョン韓国放送学会長(延世(ヨンセ)大教授)は「かつて新聞が主流メディアの役割を果たしていた時は、苦しい言論環境に対する反作用で<ハンギョレ>が出現することになったとすれば、今は既存放送媒体の極端な偏重現象に対する反作用が代案放送議論を作る背景になった」と診断した。 しかし、放送で‘解決’しようと言う接近はやはり正しくないと指摘する。 「選挙敗北の原因を指摘するに際して他の原因も多いのに‘放送のために負けた’とばかりに接近するのは大衆的支持を全て受けることはできない」ということだ。 彼は「代案放送が現実的に不可能なわけではない。 放送媒体は新聞と違って資本が多くかかるというが、代案メディアはドラマやエンターテインメントではない、人々が喉の渇きを感じる地点、ニュースと事実に対する接近に集中すれば良い。 費用を相対的に少なく投じてでも代案的な声を代弁する窓口になることができる」と肯定的に評価した。 もちろん大規模資本と政府の許可を受けなければならないケーブルTV放送ではなくインターネット基盤放送を前提とした言葉だ。 研ぎ澄まされた意志と生半可な情熱よりは、できることからじわじわとバリケードを積み上げなければならないという話だ。
<ハンギョレ>のような進歩言論には代案放送議論自体が進歩言論の限界に対する反省的出発点にならなければならない。 <メディアの理解>の副題は‘人間の拡張’(the extensions of man)だ。 再び別の言い方をすれば、いかなる形態であれ進歩言論の拡張が必要な時期であることは明らかだ。
キム・ナムイル記者 namfic@hani.co.kr