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「国は『国家』ではなく家族が一緒にいられるところ」

登録:2012-10-20 09:01 修正:2022-10-22 10:45
「かぞくのくに」梁英姫(ヤン・ヨンヒ) 監督 
在日同胞2世として北送問題糾弾 
北送船に乗った実の兄たちの話を扱い 
「ディア・ピョンヤン」制作後、北朝鮮入国禁止 
毎晩北にいる兄を心配する 
「映画中のリエが荷物カバンを引っ張っていくように 
私も日本・北朝鮮・韓国を引っ張って生きていきます」
「かぞくのくに」梁英姫(ヤン・ヨンヒ) 監督

在日同胞2世の梁英姫(ヤン・ヨンヒ、48・写真)監督には「祖国アレルギー」があるという。「故郷は日本の大阪だが、生まれたことも暮らしたこともない朝鮮を祖国だと学び、今、国籍は韓国(南韓)人」。彼女は「いつも『祖国に忠実であれ』との話を聞いて育ったからなのか、祖国という言葉がかなり嫌いだ」と話す。彼女は「どこの国のものであれ、国旗が描かれたTシャツにはアレルギーがあり、着られない」と言う。「オリンピックの時、国旗の代わりに、(選手たちの)家族び写真が掲げられたらいいだろう」とも考えるのだ。

自伝的映画『かぞくのくに』で第17回釜山国際映画祭に招請された梁英姫監督に6日、映画祭が開かれる釜山市内のあるホテルで会った。梁監督はこれまで、ドキュメンタリー映画である『ディア・ピョンヤン』『グッバイ・ピョンヤン』を通じて、自身の家族が体験した在日同胞北送問題を正面から扱った。彼女の最初のフィクション映画『かぞくのくに』は、やはり1971年に日本から北朝鮮へ行く「帰国船」に乗った梁監督の3人の兄の実話に若干の想像力を加えて作った。『かぞくのくに』は2月にドイツベルリン国際映画祭で国際芸術映画連盟賞を受け、今年は日本映画史上、在日同胞監督の映画としては初めて米国アカデミー映画祭外国語映画賞部門に日本映画出品作として選ばれた。

映画は16才で帰国船に乗って北朝鮮に行き、25年ぶりに病気治療のために3ヶ月間の特別許可を得て家族が住む日本に帰ってきたソンホ(井浦 新)と、彼と再開した家族の話だ。ソンホのそばには北朝鮮から一緒に送られた監視員(ヤン・イクジュン)がおり、彼は北朝鮮の生活に関して自由に話せない。彼は妹のリエ(安藤サクラ)に工作員の仕事を勧めて家族を当惑させたりもする。ソンホは脳腫瘍を病んでおり、3ヶ月間だけで治る病気ではないことを知り、父親は北朝鮮当局に滞留延長を要請するが、平壌からは突然、帰国指示が伝わってくる。彼は1週間だけで再び家族と別れなければならない。

「今も平壌で兄、おい、親戚たちが生きています。2編のドキュメンタリーを作る時は家族に被害が及ばないよう、ナレーションの単語ひとつを選ぶのにも気をつけました。金日成といわなければならないか、首領様といわなければならないか、「偉大な」を修飾語に付けなければならないか、悩みながらです」

彼女は『ディア・ピョンヤン』を作った後、北朝鮮への入国を禁止された。「かぞくのくに」を作りながら、以前より勇敢になったという。「私たちの家族をとても有名にさせて、触れられなくしよう」と考えを変えたという。だが、毎晩寝つく前に「兄さんは元気か」と心配してしまうのは仕方ない。

 梁監督は在日同胞北送事業の問題に関して、記者会見でもう一度、声を高めた。「1959年末から80年代初めまでに約9万4000人が北朝鮮に行きました。北朝鮮と日本政府の共同プロジェクトでした。日本のマスコミも北朝鮮が地上の楽園のように奨励しました。日本では貧しく差別される人々が大半でした。当時の韓国は政治的に心配だったし、私たちの両親も4・3抗争の後に日本に来たので、韓国政府を信じられない状態でした。その時、北朝鮮に来れば韓国出身でも教育と就職の機会を与えるといったのです。 (在日同胞には)天の声のように聞こえたでしょう」

彼女は「北朝鮮に行った人々が直面した最も大きな悲劇は、チョイス(選択の自由)を失ったこと」と話した。「実際に行った時、考えと違ったとすれば、再び日本に戻るなり、他の国に行くなり、選択する自由がなければならないのに、これが剥奪された」と言って残念がった。政府として北送を奨励した後、北に行った人々のその後の人生に対して責任を負わない北朝鮮と日本政府の態度を批判した。

済州道出身で総連系幹部であり朝鮮籍を持っていた彼女の父親は、故郷に戻れないまま「韓国の歌だけを歌って日本で亡くなった」と言う。 日本で生まれ育った兄は北朝鮮行きを選び、梁監督は朝鮮籍状態であったが、40歳を越えて韓国籍を選んだ。彼女は「映画の最後でリエが荷物カバンを引っ張っていくように、(私自身は)日本・北朝鮮・韓国の3ヶ国を一緒に引っ張って生きる」と話した。

『かぞくのくに』で彼女が言う「国」とは、国家でなく「ところ」という意味だという。「家族がいなければならないところ、なければならないところという意味です。『家族が一緒にいられるところ』として国の意味はソンホ、リエ、父親、母親、それぞれ違うことがありえます。この家族に『家族の国』はないのです。 祖国とは何か、『ホーム』と言える国がどこなのか、今でも探しています」

釜山/パク・ポミ記者 bomi@hani.co.kr

写真 釜山国際映画祭提供

http://www.hani.co.kr/arti/culture/movie/554611.html韓国語原文入力:2012.10.07 18:44
訳 M.S(2119字)

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