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[世相を読む] 不処罰/キム・ドンチュン

原文入力:2011/10/03 19:34(1665字)


捜査機関・司法府・政界・言論が
加害側と共生関係である時
不処罰は慣行になる


←金東椿(キム・ドンチュン)聖公会大社会科学部教授


映画<ルツボ>で全国が熱く燃え上がっている。観客は縁戚学校法人、警察と検察、地域社会など有力勢力の癒着により何の防御能力もない障害児童たちの人権が凄惨に蹂躪されても加害者は免罪符を受け取ることになった この信じがたい現実に歯ぎしりしている。もちろん小説や映画は事実より誇張された点があり、実際に当時そのような癒着があったかは明らかになっていないが、加害者は公訴棄却処理されたり‘公訴権なし’で免罪符を受け取り、1審で実刑を受けた人も2審では全員執行猶予を受けた反面、反対に事件を告発した教師は罷免という報復的処罰にあったことは厳然たる真実だ。

ところでこの事件は、単なる児童性暴行事件ではなく、障害者の人権問題だけでもない。観客は何の力も発言権もない人々はこのようにされても結局は文句も言えずに生きるか、抗議して結局は警察の放水に撃たれるしかないというこの悲痛な現実に怒り、縁戚不正私学のような‘凍土の王国’は不可侵の世界として堂々と残り同じ不正をずっと犯し続けているという事実に強く共感したためだ。何よりも警察・検察・裁判所など公共機関が強者の犯罪に対しては概して‘不処罰’あるいは軽処罰の結論を下す映画の場面が、現実と同じだと見たためではないだろうか? 映画が世間の世論を揺るがすや政府も全国福祉施設実態調査をすると騒ぎ立て、国会も特殊学校にも開放型理事を導入しようといういわゆる‘ルツボ法’を再び持ちだそうとしている。しかし、一時的な怒りと臨機応変式の対応には何の効果もない。今の政府で私たちは不正疑惑のある有力人士らが無罪、赦免で復権される場面を何度も目にし、多くの不正を犯して追い出された私学関係者らが裁判所と教育部の合法的決定により続々と復帰する場面をずっと見守っている。


社会は‘相互授受’で維持される。社会学者マルセル モスは<贈与論>で贈与を受け取った人がそれにともなう報恩をしなければ社会関係が断絶し、互いに潜在的戦争状態に突入すると語った。ところで一方が明白な被害を被ったのに責任を負うなり処罰を受ける人はいなく、被害者は何の補償・賠償も受けられない時、関係がこわれるだけでなく葛藤が爆発し社会は実際に戦争状態に突入するだろう。 一歩進んで光州(クァンジュ)5・18当時、最高実力者であった許和平(ホ・ファピョン)のように 「第5共和国は巨大な歴史の波」と正当化し、当時 新軍部の核心であり以後には第5共和国時期の秘密資金造成にも加担したアン・ヒョンテのように処罰されるどころか死んでも国立墓地に埋葬されるならば私たちはそのような国をどのように見なければならないだろうか?


<ルツボ>の性暴行を拷問、虐殺、スパイ捏造、軍隊内暴力、不当解雇などに変え、その事件の被害者である障害を持つ子供たちを韓国戦争期の被虐殺者、5・18被害者、軍事政権下の拷問被害者、軍疑問死関連者、北に拉致された漁夫・在日同胞などスパイ捏造犠牲者、再開発に伴う撤去現場の暴力被害者、不当解雇労働者に変えればどうなるだろうか? 果たしてこれらが全て全く異なる問題であろうか? 暴力は常に自己防御能力のない弱者や社会的に周辺化された人々に向けられ、縁戚私学のように何の内部監視勢力もない所で発生する。そして捜査機関・司法府・政界・マスコミが加害側と共生関係にある時、不処罰は慣行になる。


去る9月30日、光州国家監査場で‘ルツボ’事件を告発した教師が出てきて涙まじりに「子供たちを守ることができなくて申し訳ない」と言った言葉は事実我が国の司法府と国家が言わなければならない言葉だ。


原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/499044.html 訳J.S