原文入力:2011/08/26 07:30(3694字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
国内で「無償給食住民投票」のようなレベルの寸劇が催されている現在、国外では歴史的な事件が引っ切り無しに起きています。資本主義の世界的な恐慌が深まり米ドルの価値が低下する中、世界的な財閥に成長(?)したカダフィ家がリビアで権力を喪失する危機に追い込まれています。リビアで起きていることは明らかに一面において「革命」としての特徴を示しています。これから状況がいかに進もうと、リビア事態の雷管は特に地域的・所属部族による差別などといった多くの不平等が煽り立てた多くの基層民衆の累積した不満でした。しかし、革命として始まったものの、果してこの事態が暫定国民評議会(叛軍の政府機関)の執権とカダフィ家の完全な沒落で一段落したとしても、リビアの民衆の状況が大きく変わるでしょうか?民衆のための社会民主主義とまではいかなくとも、果して形式的な民主主義でもある程度形作られるのでしょうか?私は率直に言って懐疑的な立場です。今のリビアの状況を見ると、一種の既視感がするほど、状況の展開は過去40余年間のカダフィ政権の歴史を圧縮的に再現しているかのような感が強いからです。
最近のカダフィ政権は世界支配者たちの走狗に過ぎませんでした。リビア海軍はアフリカ北岸を回りながらヨーロッパへ行こうとする「不法移民者」たちを取り締まっていたし、石油販売で稼いだ政権の富はロンドン政治経済大学(LSE)のような新自由主義の牙城を支えるのにやたらと注ぎ込まれました。ただし、カダフィ家は油田の完全な私有化と外国資本への完全な売却に反対していたため、西側列強はそのような売却をしそうな暫定国民評議会側に味方したわけです。ところが、果してカダフィ政権ははじめからそうだったでしょうか?必ずしもそうでもありませんでした。1969年に政権を握り始めたカダフィは元々「イスラム社会主義者」を自称しており、エジプトの「進歩的民族主義者」ナセル大統領の親しい友人でした。国内では外国資本の利権が沒収され、国外では様々な反帝急進団体がリビアからの支援を受けるようになりました。ヨーロッパのアイルランド共和国軍からアジアのフィリピン共産党のゲリラ闘争部隊、オセアニアのマオリ族の急進運動やオーストラリア原住民の運動などまで、カダフィ政権からの受恵者リストは1970~80年代における急進闘争団体たちの総合リストに近いのです。1986年にリビア政府の特務たちの仕業とされた西ドイツにおけるナイトクラブ攻撃以降はアメリカ帝国がリビアを(国際法の観点からすれば不法的に)爆撃までするなど、カダフィ政府はほとんど急進的な反帝国主義路線の「代表走者」とされたりしました。ところで、1980年代中盤の一時期は各学校で英語教育を全廃し、その代りロシア語教育をさせるといった計画をも成立させるなど、「アメリカ帝国に立ち向かう第3世界のリーダー」の典型に近かったカダフィは、1990年代に入りさっさと転向してしまいます。
ソ連亡国と東欧圏崩壊後に加重された帝国主義の圧力以外にも転向の理由は充分にありました。カダフィを中心とするその縁戚が帝国主義陣営と和解し、国内における中央集権的な計画経済をある程度私有化しなければ彼らの握っている行政力を貨幣資本に交換することができないと判断し、世界的な「大手」に生まれ変わりたがっていました。国際的な正義の代りに、次第に利潤に対する関心を高めていった指導層の親資本的な行為を拒むほどの労働階級の組職などはリビアになかったため、東欧圏崩壊と湾岸戦争などアメリカ帝国主義の新たな世界覇権の確立によりカダフィは比較的に容易く親米派に転向し、概ね1994年から帝国主義との和解工作に入ることになります。大量殺傷武器の製造プログラムを完全に公開し廃棄した彼の2003年の決定は、アメリカ交渉家たちがその後長らく北朝鮮に突きつけながらまったく同じことをするように無理やり圧力をかけるほど、「新しくなった」カダフィが西側に好まれる「模範生」に生まれ変わる契機になりました。しかし、結局革命家から国際財閥家への彼の変身はまさにその政権の主な敗因となってしまいました。海外で超豪華な不動産を買い溜めしたカダフィ家の「大手」ぶりは、差別されていたリビア東部地域の住民たちの怒りを煽り立て反カダフィ闘争の先頭に立ったイスラム急進派勢力の名分を強固にしただけです。しかし、同時にリビアの油田をすべて私有化し海外に売却しようとはしなかったカダフィに対しては欧米の支配者たちも最後まで支持し続けようとはしなかったのです。自国の民衆からの支持を失った上に、世界資本との完全な結託にも失敗したカダフィは、結局その双方からそっぽを向かれ捨てられてしまいました。
しかし、カダフィが亡んだからといってリビア民衆の熱望は果してすべて充足されるでしょうか。どうも今の状況の展開を見ている限り、それほど確信はできそうにありません。カダフィの転向は20年余りを要しましたが、その反対側に立つ暫定国民評議会は既に今から国際資本の走狗を自ら演じようとしており、民衆に対する権威主義的な統治を続けようとしている感があります。北大西洋条約機構(NATO)軍の爆撃のおかげで比較的に容易くカダフィ軍隊の抵抗を抑えることのできた暫定国民評議会の「指導者」ともいえるマハムード・ ジブリールという者はアメリカで政治学教授と「アラブ指導者のための訓練」の専門家として活動しており、何ヶ月か前までもカダフィ政府の閣僚としてまさに新自由主義的な民有化政策を熱烈に推進していました。誰によっても選出されていない暫定国民評議会の構成を見ると、カダフィ政府内で民有化などの親西側政策を主導し滅びつつあるカダフィを去った者(アル・イサウイなど)や海外の学界などで親資本的な学術活動を行ってきた者(ワシントン州立大で新自由主義的な経済学を教えていた「石油長官」アリー・タルフーニなど)などがすぐに目に付きます。今彼らは過去の国民評議会議員たちにイギリスやトルコ側がカダフィ政権の警察組職などをそのまま維持させ利用するよう積極的に勧めており、イギリスなどNATOの主要国に引き続き頼っている彼らがこのような方針を採択し、カダフィ政権の権威主義的な骨幹をある程度維持する可能性は濃厚です。そうしないと、彼らの望んでいる事業、すなわち海外資本の無分別な誘致と国家資産の海外への売却などを滞りなく進めることができないからです。
カダフィの転向は数十年にかけて成されましたが、彼を追い出している民衆運動を領有しようとする叛軍指導部の要人たちはといえば、敢えて転向する理由もないほどに最早国際資本、西側列強と結託している状態です。この悲劇の根本原因は、リビアの労働階級があまりにも脆弱だということです。熟練工や知識労働者、専門家の多くは参政できない外国人たちであり、政治参加の可能なリビア人たちはたいてい自営業や国家官僚職、伝統的な牧畜業などに携わっています。彼らには近代的な階級意識がほとんどないに等しく、政府がいかなる反動的な新自由主義的政策を取ろうと、それを体系的に批判し阻止するほどの力を持っていません。石油所得の水準に比べかなり多くの民衆の生活水準が高くないという事実や差別などに対する不満は多いものの、その不満が階級的に認識され組職化できるような状況ではないのです。だから反帝国主義的性向の指導者がたとえ権力を掌握するとしても、その指導者が結局はその権力を資本化し自分を財閥に変身させることをリビア民衆は残念ながら防ぐことができません。
反帝国主義そのものは当然肯定しなければならないし、積極的に擁護しなければなりません。パレスチナ解放運動やアフリカの様々な社会主義的傾向の新生政府たちを積極的に支援した1970~80年代の北朝鮮も、そのような次元では明らかに「進歩的な国家」としての面目を持っていました。しかし ―これは北朝鮮にも当てはまりますが― 階級的な中身が十分でない反帝国主義は結局 所期の目的を達することができません。帝国主義に勝つためには、帝国主義の国々の民衆たちをも含むあらゆる帝国主義の被害者たちと階級的に連帯しなければならないにもかかわらず、カダフィも北朝鮮の指導者たちも残念ながらそれができなかったのです。結局、彼らの反帝国主義は国家対国家の対立という性格を帯びるようになりましたが、そのような対立では比較的に弱い第3世界国家が勝つことは難しいのです。国家対国家の対立ではない、国際的な階級対階級の対立こそが私たちに要求される姿勢でしょう。
原文: 訳J.S