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[時論] キム・ジェチョル社長 辞表波動が残した教訓

原文入力:2011/08/03 19:07(2467字)

チェ・スンホ 文化放送ディレクター

ジャーナリストは追い出され公営放送は嘲弄の対象となった。
キム・ジェチョルが支配するMBCは“テンチョンニュース”時代 顔負け
(訳注:チョン・ドゥファン (全斗煥)  大統領の時代に、テンという9時の時報に続いて必ず「チョン・ドゥファン大統領は今日・・・」と大統領の動向からニュースが始まっていた時代をさす)

<文化放送>(MBC)の社員は今、虚脱感を味わっている。 キム・ジェチョル前社長がまた社長に選任された。 先週の金曜日に突然辞表を出しわずか3日後のことだ。
キム社長は一昨日、大株主である放送文化振興会(以下 放文振)に辞表を出した動機を説明し「放送通信委員会に対する抗議の意思表示に過ぎず、辞任の意思はなかった」と言った。 MBCの社長職が戯画化された分だけ社員達も嘲弄された気分だ。 しかしこの過程で本当に驚いたことは放文振の反応だ。 キム社長の辞表提出が本気だったかどうかに関係なく、効力が発生したのであり、それにより放文振は再選任の手続きを踏んだ。 キム社長は単に再信任されたのではなく新たに社長に選任されたのだ。 それならば、公募手続きを含め、キム社長がMBCの社長にふさわしいかどうか十分に検証する手続きがあってしかるべきだった。 しかし放文振の過半数を占める与党出身の理事は、それらの手続きなしで圧倒的な頭数の力で彼を再び社長の座に座らせた。 視聴率と広告収益が良いという説明が付け加えられた。 しかしチョン・ドゥファン時代はそれこそMBCの視聴率と収益が良かったが、誰も当時の社長たちが立派だったとは言わない。 大統領府の手下として“テンチョンニュース”を主導したためだ。キム社長が支配するMBCでは、テンチョンニュース時代顔負けの様々なことが起こっている。

先週ハン・サンデ検察総長候補者について取材するという「PD手帳」担当のディレクター(PD)に対し、担当部長が“不可”と答えた。 彼は「やるんだったら国会の聴聞会以後にでもやりなさい。聴聞会以前には絶対だめだ」と言ったという。 彼は来年の総選挙と大統領選挙の時も「候補者の検証は選挙以後に延期すべきだ」と言い張るかもしれない。「PD手帳」はもはや4大河川事業も扱うことができない。 「4大河川事業はいままで多すぎるくらい何度も扱った。 だから事業完工まではもう扱うことはできない」というのが幹部達の立場だ。 米軍の枯れ葉剤問題も取材するなと言った。どうしてもやると言うなら、視聴率が7%以上にならなくてはいけない。それより低ければ担当ディレクターが不利益を甘受しなければならないと言った。 不利益というのは、「PD手帳」のチームが所属している時事教養局から非製作部署へ移されることである可能性が高い。 今年3月から現在まで、4人のディレクターが本人の意志に反して非製作部署に発令された。 その上、ディレクター達が出す企画をことごとにやめさせる過程で、担当部長がディレクターらの机の中まで調べるなど査察論議まで起きている状況だ。

過去には幹部がこのように言論の基本精神に背く行為をすれば、労使が参加する公正放送協議会などで論議され、問題が深刻な場合には問責されることもあった。しかし現在は幹部はそのような心配をする必要がない。 キム・ジェチョル社長体制の下で団体協約が解約されてしまったためだ。 MBCの団体協約の公正放送関連条項は、ノ・テウ政権下で締結されたものだった。 87年の6月抗争以後の民主化過程で、チョン・ドゥファン独裁時代の“テンチョンニュース”を克服するために設けた最小限の牽制装置である(訳注:具体的には、製作実務に関する責任と権限は局長にあって、社長や幹部が指示できないようになっていた。キム社長は就任前からこの団体協約の改定の意思を強く示していた)。 しかしキム・ジェチョル社長は団体協約を解約することによって、MBCを事実上チョン・ドゥファン時代に逆戻りさせている。 その上、彼は最近では、これまで存在したことのない新しい規定を作りソーシャルテイナー(社会参加芸能人)の出演を封じているという批判まで受けた。 MBCに対する失望は嘲弄に変わり“三歩一ファック”というきまり悪い対応まで現れた(訳注:ハンギョレ・サランバン7月22日の記事[“キム・ヨジン出演禁止規定”各界「MBC出演拒否」]の中のタク・ヒョンミン聖公会大兼任教授の抗議のパフォーマンス参照)。

しかしこうした惨憺たる状況は、キム・ジェチョル社長の再選に何の影響も与えることができなかった。 いや、もしかしたらそのためにあれほど素早くまた社長の座に座らせたのではないだろうか? MBCの社長辞表波動と<韓国放送>(KBS)の盗聴波紋が赤裸々に見せてくれたものは、私たちの公営放送システムが完全にだめになってしまったということだ。 公営放送はもはや大統領選挙の戦利品になってしまった。 権力を牽制しようとするジャーナリストは追い出され、「聴聞会の後にでもやってみれば」と言ってジャーナリズムを愚弄する者たちが放送を掌握した。 いくら盗聴問題を解明しろと要求しても、黙っていればそれまでだ。 国民に対してでなく権力に対してのみ責任を負えば良いというのが、現在の公営放送システムであるからだ。

このままではいけない。 保守だろうと進歩だろうと、誰のためにも公営放送をこのままにしておいてはいけない。 国民世論の公論の場にならなければならない放送を権力の宣伝の場にしてしまった現在の公営放送システムは、必ず変えなければならない。 それがキム・ジェチョル社長の辞表波動が残した教訓だ。

原文: https://www.hani.co.kr/arti/opinion/column/490241.html 訳A.K