原文入力:2011/06/24 06:56(3594字)
朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhonov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学
今この文を極端に疲れた状態で書いているので、文法が間違っていたり単語の選択が適切でない場合もあるかと思いますが何卒お許してください。私は昨日の昼、学会で訪れていたモスクワから帰ってきましたが、そこで先輩や後輩たちとの再会が多かった上に、いろいろなことで忙しかったため、休憩どころか、十分に眠る時間もなかったのです。10余年間、執筆してきた『朝鮮史通説』もようやく出版社に原稿を渡すなど仕事はある程度済んだものの、疲労困憊という対価を払わなければなりませんでした。しかし、どんなに疲れているとは言え、見て見ぬフリはできないことがかなりありましたので、読者のみなさんの参照に供するためにここに書き留めておきたいと思います。
西側の学者たちに「国威宣揚」をしようとした学会主催側の斡旋で私たちは皆トベルスカヤというモスクワの繁華街に位置する高級ホテルに泊まりました。そのトベルスカヤ通りを歩いてみて一つ驚いたことがあります。なんと地上に横断歩道がまったくないのです。地下歩道はたまにありますが、地上の横断歩道がまったく見当たらないのです。地下歩道の場合は、 車寄子を使う体の不自由な方々にはおそらくそれを利用することはほとんど不可能でしょう。エレベーターなどの施設が皆無だからです。ああ、「全体主義」の時代にはそれでもこの通りに横断歩道は確かにあったのに、どうして「民主化」以降はなくなったのでしょうか。答えは簡単です。今日のモスクワは歩行者、すなわち車のない平民たちのための都市ではないからです。車主のみがこの都市で真の意味での市民権を持っています。平民たちに残されたものは、車両のほとんどが1970年代に生産され、ラッシュ時にはソウルより混む「地獄鉄」と、時間が経てば経つほど消えていくトロリーバスと電車くらいです。
平民たちが事実上 市民権を持たない「金持ちの共和国」では、富/権力と無縁ではあるものの、多数の生存と進歩のために欠かすことのできない様々な職業集団は、共産主義政権時代には想像すら難しい困難を経験しています。プーチンなどの執権党派の首魁たちも自認しているように、ロシアでは教師の平均賃金が韓貨換算で約50万ウォンに過ぎません()。実際には比較的貧しい地方の場合は20~30万ウォン程度とみて間違いないでしょう。モスクワの物価水準はソウルの2~3倍に達しているというのにですね。結局、1950年代の韓国のように生計の困難な教師たちはその負担を父兄たちにそっくりそのまま負わせ、彼らに各種の「無名雑税」を反強制的に納めさせたり、「兼業族」に変身して朝夕にマートで床掃除をしなければなりません。働き過ぎで慢性疲労に悩んだり、自分たちを騙すことに慣れている教師から学生たちは果たして何を学べるでしょうか。新興「社会貴族」の子女たちが早期留学をしたり、私立の「貴族学校」に通ったりしている一方で、平民の子女たちは益々愚民化していくのです。平民の約3分の1はもはや本を読まなくなっており、また約3分1は地動説を信じず(かつての教会の教えどおり)、太陽が地球の周りを回っていると信じているそうです(http://www.msnbc.msn.com/id/41539330/ns/technology_and_science-science/)。かつて宇宙船を初めて打ち上げた国は最早中世的な無知の沼に陥りつつあります。
大学教授の給料は教師たちよりは約30~40%高いものの、勤務条件は最悪である点は同じです。ロシアの大学で教えている私の先輩たちは大概 週に10~12時間の講義をしなければなりません。それだけの残業をしないと手当てが支給されないため、生計を立てられないというのです。食べることはできても研究する時間は絶対的に不足しています。ソ連崩壊後20年間で韓国学分野の場合は一部の新しい古典翻訳書(『海東高僧伝』『龍飛御天歌』など)と近現代文学の翻訳書(金素月、金東仁、朴婉緖、殷熙耕 等々)が出たものの、新しい研究単行本は極めて珍しいようです。ソ連時代には盛んだった一部の現状「不人気」分野(韓国語文法、植民地時代の労動運動史、共産主義運動史、伝統時代の民衆抵抗史、朝鮮時代の政治社会史など)には専門家がまったく残っていないか、いてもごく少数です。若い学者の代表的な学位論文は、韓国に出回っている何種かの概説書と該当分野の英語書籍などから得た概略的な情報の「寄せ集め」にすぎません。学問が失われるにつれてソ連式の「無償教育」も少しずつ失われていきます。法的には相変らず「無償教育」であるものの、実際には約60%以上の大学生たちは「有料学生」に分類され、大概 4~6百万ウォン、あるいはそれ以上の授業料を払っています(http://www.isa-sociology.org/universities-in-crisis/? p=441)。大学が学問の不可能な企業に変身すると同時に、共産主義時代にも存在していた学校内の民主主義はすべて滅んでしまいました。学生たちが無権利状態に置かれていることはもちろん、教授会議の権力もほとんど残っておらず、事実上選出されない極少数の権力者たちが大学の行政を握っています。このような構造では不正腐敗は想像をはるかに越えてしまいます。特に私の母校であるモスクワ国立大学で1992年以降から君臨してきたサドブニチ総長などといった「名門大」権力者の場合は、不正腐敗疑惑に関する報道が、この間ずっと絶えませんでした(http://www.compromat.ru/page_9830.htm)。やくざたちの運営する不良企業、これが今日のロシアの大学の姿なのです。
教育分野などの公共部門が少しずつ滅びつつある状況は、総合的な経済状況と直結しています。極少数の官僚、財閥たちの私腹を肥やす石油、ガスなどの資源輸出以外の経済は、依然として1991年以降の危機状況から逃れられず、少しずつ規模を縮小させています。すなわち、支配階級の私利私欲により経済は次第に単純化・原始化しているのです。代表的な例として旅客機生産部門を挙げてみましょう。崩壊直前のソ連は世界の25%の旅客機を生産していましたが、今日のロシアにおける半死状態の工業は年に15機の旅客機を作れれば豊作だと言われています(2009年の統計: http://en.wikipedia.org/wiki/Aircraft_industry_of_Russia)。この国が亡びる直前に、すなわち1990年に715機の旅客機を作ることができたということを一体誰が信じられるでしょうか。ソ連崩壊で滅びてしまったコンピューター生産は蘇る兆しもなく、精密機械生産は次第に滅び行く趨勢です。集権官僚と財閥たちは原料輸出でぼろ儲けすることに満足しており、いかなる掛け声で誤魔化そうとも、実際には「複雑で」短期的な利潤の見えない高級技術の開発や生産部門にはこれといった投資はしないのです。そのような投資は、短期的利潤に捉われない国家のみが可能なことであるにもかかわらず、国家は財閥と結託した安保屋であるマフィアの捕虜になっているため、その公共性を完全に失ってしまい、執権者の私利私欲を満たしてやるやくざ集団に変身してしまいました。このような国家はソ連の遺産を食い潰しながらロシアをじわじわと殺していると言っても言い過ぎではないでしょう。
今日のロシアを、原料や消費財の商売でもしてみようという商人の視覚ではなく、ロシアの人民の視覚から見れば、ソ連の遺産でかろうじて維持されている、その遺産が徐々に古くなるにつれ絶えず死にゆく国と見ざるをえないでしょう。15~20年後、ソ連時代に輩出した教授、教師、医者とその当時に作られた公共施設がすべて退出されてからは、結局 亡国に近い状況がやってくることは明白です。ロシアを少しでも蘇らせる方法は銀行と地下資源、主要企業らを社会化し国家を安保屋のマフィアではない真の意味での「公共機関」に作り変える民衆革命しかありません。エジプトの民衆たちが示してくれた道、もしかしたら今日のエジプトよりさらに急進的な道(エジプトの場合は軍隊の権力は実は健在なのです)、それはロシアの唯一の希望です。それがなければ死しかありません。